指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『侍ニッポン・新納鶴千代』

2015年04月29日 | 映画

1955年、東映で作られた時代劇で、『侍ニッポン・新納鶴千代』としてはサイレント映画の大河内伝次郎主演以来、3回目のリメイクになるが、ここでの主演は東千代介で、彼のやや線の細いニヒルな感じにあっている。

彼は、主題歌も良く歌っていたように記憶している。

 

                        

 

幕末の江戸、町の道場に通っている新納鶴千代は、田代百合子と知り合い、人を介して婚姻の申し込みをする。

だが、田代の家は、加賀前田藩の重役で、山形勲は、「両親きちんと申し込みに来い」とはね付ける。

東は、芸者だった母高杉早苗が、まだ無役だった頃の井伊直弼(坂東蓑助 先日亡くなった坂東三津五郎の祖父)との間にできた子で、その後兄たちの死で、直弼急遽城主から大老にまでなったため、高杉と二人で暮らすことになったのである。

一方、道場の友人は水戸藩の者で、彼らは仇敵の井伊直弼の暗殺を企てている。

そして3月3日、彼らが江戸城登城の井伊直弼暗殺に向かった時、新納鶴千代は自分の父が直弼であることを知り、父の名を呼ぶが、二人とも惨殺されてしまう。

この東映作品の後、松竹でも田村高広のがあり、そして1963年には、三船敏郎主演、橋本忍脚本、岡本喜八監督で『侍』が作られる。

ここでは、父を憎んで、直弼の首を三船が取って掲げると言うラストになっている。このラストシーンの殺陣の凄さは日本映画史に残るものだと思う。それに比べれば、この東映版は、かなり劣る場面になっていた。

フィルムセンター


『放浪記』

2015年04月29日 | 映画

『放浪記』と言っても、菊田一夫の作・演出、森光子のが大ヒットした後のものではない。

 

                             

 

映画化は、最初の1935年、昭和10年のPCL映画、監督は木村外荘十二であり、林芙美子役は、夏川静枝である。

ここには、森光子で有名になったでんぐり返しも、「アラエッサッサーの泥鰌すくい」も出てこない。

あれは皆菊田一夫の作なのである。もちろん、後輩のアナーキスト詩人として、生前に林と交遊のあった菊田のことなので、嘘ではないだろうが、相当に誇張された林芙美子像なのである。

行商人の夫婦の娘として生まれた扶美子は、上京してセルロイド工場の女工、女給、などをしている。

ここでは、詩や小説を書いていることはあまり出てこなくて、女工のつらい仕事と貧乏な暮らし、同じ不幸な境遇にある女性たちとの友情が中心になっている。

多分、その理由は、監督の木村外荘十二は、元プロキノのメンバーであり、こうした貧しい女性に対し、連帯の言葉を送っているからである。

ここにあるのは、貧しい境遇の者は、互いに助け合わなくてはならないというメッセージである。

事実、生活保護、医療保険、年金など福祉制度がほとんど不備だった当時、下層階級の者は、下層の者同士が助け合うしか生きる道はなかった。

その点、戦後は、そうした福祉制度は行政によって整えられており、その分下層の者同士が相互扶助しようという気持ちは減ってきているように思う。

特に、「小泉構造改革」以後の日本は、下層の者は、より下層の者を叩き、軽蔑し、笑うという風潮になってきている。

誠に困ったことだと言うしかない。

別に戦前に戻せとはもちろん言わないが、地域レベルでの相互扶助はあってしかるべきだと思う。

林芙美子に懸想している男が藤原釜足で、芙美子を騙す役者に滝澤修、その妻が細川ちえ子、芙美子の義理の父が丸山定男と新劇人総出演である。

芙美子の女工の仲間に、赤木蘭子、堤真佐子らが出てくるが、戦後はおばあさん役だった英百合子が、娘役で出ていてきれいだった。

 英百合子は、岸輝子と並び、モガの代表的女性だったと言うのがよく分かった。

夏川静枝は、日本女優史に残る大女優で、非常に芸歴の長い方だったが、大変に上手でしかも知的で品がある。

今どきの女優にはないタイプである。

『放浪記』には、もう1本、1954年に東映、角梨恵子主演、久松静児監督でも作られている。角は少し感じが違うと思うが、これも見てみたいものだ。

川崎市民ミュージアム