小林一茶については、劇作家北條秀司にもあり、緒方拳が持役にしていて、私も昔明治座で見たことがあるが、それは晩年の信濃に戻っていた時の一茶だった。
この井上ひさし作の一茶は、若き日の江戸で俳人として生きていこうとしている一茶である。
これを見てあらためて驚くのは、当時の江戸の庶民文化、経済的繁栄の凄さである。
一茶と同輩でライバルの竹里らは、俳諧で賭けをする「懸賞句会」で小遣いを稼いでいるが、俳諧を本業とする「業俳」を目指してゆく。
当時、裕福な商人、武士などは、俳諧を嗜んでいたが、本業があり余技として俳句を作る「遊俳」があり、一茶は、業俳を取ることになる。
この懸賞句会にみるように、上流階級のみならず、普通の庶民でも俳諧を楽しみ、そこに様々な趣向を立てて賭けた金を競う賭句があったのだ。
室町時代から、賭け事の一つとして「香道」があったそうだが、パチンコの一人勝ちの現在の賭博事情からみれば、江戸時代の方が遙かに上だったと言えるだろう。
井上作品なので例によって、江戸の札差で遊俳の一人夏目成美の別荘で、四百八十両の紛失があり、それをお吟味芝居で、一茶のことを調べることで劇が仕立られはじめる。
だが、正直に言って、この序盤は台詞のみで劇が進むので、相当に眠気を誘われた。
私の前の席におられた高齢の女性は、ほとんど眠られており、隣にいられたご主人らしき方と共に、幕間でお帰りになった。
最近、芝居を見に行くと、つまらなさそうだとして一幕だけ見て帰られる方がいる。
私は、映画の場合は、最初の15分間でつまらなくて、途中から面白くなる映画はないと思っている。
だが、劇の場合は、途中でいきなり役者がやる気になることや、好きなシーンに来て乗ることなどがあるので、最後まで見ることにしている。
それは、ライブである芝居の面白さで、野球で言えば、いきなり終盤でで逆転劇が起こるのと同じだである。
二幕目からは、非常に面白くなり、また竹里の転落の人生と一茶の成功が対置されていて劇的になる。
両者の間にいるのが、水茶屋の女・お園で、これも様々な人生行路を歩む。
役者は若い人が多く、久保酎吉、石田圭祐以外は見知らぬ人だったが、それぞれに適役で、もちろん、様々な役を演じる。
お園役の荘田由紀は、鳳蘭の娘で、宝塚には入らず、文学座に入って女優になったのだそうだ。
紀伊国屋ホール