『放浪記』と言っても、菊田一夫の作・演出、森光子のが大ヒットした後のものではない。
映画化は、最初の1935年、昭和10年のPCL映画、監督は木村外荘十二であり、林芙美子役は、夏川静枝である。
ここには、森光子で有名になったでんぐり返しも、「アラエッサッサーの泥鰌すくい」も出てこない。
あれは皆菊田一夫の作なのである。もちろん、後輩のアナーキスト詩人として、生前に林と交遊のあった菊田のことなので、嘘ではないだろうが、相当に誇張された林芙美子像なのである。
行商人の夫婦の娘として生まれた扶美子は、上京してセルロイド工場の女工、女給、などをしている。
ここでは、詩や小説を書いていることはあまり出てこなくて、女工のつらい仕事と貧乏な暮らし、同じ不幸な境遇にある女性たちとの友情が中心になっている。
多分、その理由は、監督の木村外荘十二は、元プロキノのメンバーであり、こうした貧しい女性に対し、連帯の言葉を送っているからである。
ここにあるのは、貧しい境遇の者は、互いに助け合わなくてはならないというメッセージである。
事実、生活保護、医療保険、年金など福祉制度がほとんど不備だった当時、下層階級の者は、下層の者同士が助け合うしか生きる道はなかった。
その点、戦後は、そうした福祉制度は行政によって整えられており、その分下層の者同士が相互扶助しようという気持ちは減ってきているように思う。
特に、「小泉構造改革」以後の日本は、下層の者は、より下層の者を叩き、軽蔑し、笑うという風潮になってきている。
誠に困ったことだと言うしかない。
別に戦前に戻せとはもちろん言わないが、地域レベルでの相互扶助はあってしかるべきだと思う。
林芙美子に懸想している男が藤原釜足で、芙美子を騙す役者に滝澤修、その妻が細川ちえ子、芙美子の義理の父が丸山定男と新劇人総出演である。
芙美子の女工の仲間に、赤木蘭子、堤真佐子らが出てくるが、戦後はおばあさん役だった英百合子が、娘役で出ていてきれいだった。
英百合子は、岸輝子と並び、モガの代表的女性だったと言うのがよく分かった。
夏川静枝は、日本女優史に残る大女優で、非常に芸歴の長い方だったが、大変に上手でしかも知的で品がある。
今どきの女優にはないタイプである。
『放浪記』には、もう1本、1954年に東映、角梨恵子主演、久松静児監督でも作られている。角は少し感じが違うと思うが、これも見てみたいものだ。
川崎市民ミュージアム