指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『暴れん坊街道』

2015年04月25日 | 映画

久しぶりのフィルムセンター、東映時代劇特集は初めてで、この『暴れん坊街道』を見ようと思ったのは、公開時に見ているからである。

                                     

 

池上にあった池上劇場で、母に連れてもらって行ったと思うが、なぜこんな作品に行ったのかが分からないが、子供が主人公の映画だったからだろうか。

話は、近松門左衛門の『重乃井子別れ』で、お女中重乃井の山田五十鈴は、佐野周二の与作と、親・薄田研二の許さぬ恋で、子も為すが引き裂かれて城主の子の乳母にされる。

子供と引き離される時の婆は、毛利菊枝と渋い配役だが、この方は京都劇団・くるみ座の代表だった。

10年後、風来坊に落ちぶれた佐野は、街道のある町の旅籠屋に逗留することになり、飯盛り女郎の千原しのぶと情を通わすようになる。

そこには、子供ながら馬方の三吉がいて、佐野も武士を捨てて馬方になり、3人は極貧の中でも仲良く、まるで親子のように暮らす。

そこに大名の一行が来て、姫様と乳母の山田、今は家老となった薄田もいて、姫がご機嫌を損ねた時、三吉たち馬方がやっている道中双六で機嫌が直り、姫様と遊ばせることになる。

この時の姫の「いやじゃ、いやじゃ」は、歌舞伎の有名な子共の台詞である。

さて、この三吉は、実は佐野と山田の間の子であり、山田は分かり、三吉も知ってしまう。

そこから一気に悲劇に突入し、千原しのぶの父の借財のために、三吉が姫の輿入れの結納の名刀を盗んだことから最後は、佐野は馬方の親分の進藤英太郎を殺し、自分も切腹するに至る。

父と母、そして子が初めて会った時、父は死んでいたのである。

まさに封建制下の悲劇、涙なくしては見られない話だが、私は実はそれほど感動しなかった。

憶えていたのは、姫の「いやじゃ、いやじゃ」と三吉が、山田の仕打ちに怒ってお守りを川に捨てるところだけだった。

三吉は、片岡千恵蔵の長男の植木基晴で、この他にも何本か出ていたが役者は辞めたようで、四男はJALの社長である。

姫も千恵蔵の娘で、彼女も出ていたが、女優にはならずに結婚されたとのこと。

なぜ、母がこの映画に連れて行ってくれたかは、結局分からなかった。

 佐野周二の時代劇は珍しく、また「熱演型」の監督内田吐夢にしては、比較的淡々とした作品だが、やはり彼としてはお涙頂戴にはしたくなかったのだろう。

もっとも、内田吐夢は、戦時中中国にいて、戦後のすぐには帰国せず、戻っても家族とは別れて生活したとのことで、そうした孤独な性格も反映されているのだろうか。