指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

著作者人格権

2007年04月18日 | 著作権
シアター・コクーンで矢代静一作の『写楽考』を見た。
堤真一ら役者は頑張っていると思うが全く面白くなく、憤然たる気持ちで帰る。
家で戯曲を少し見ると相当にカットしてある。
演出の鈴木秀勝は、2年前にパルコ劇場で見た『ドレッサー』もひどかった。
戯曲を読んできちんと批評する。

矢代の著作権の継承者である矢代朝子、毬谷友子はこんな改悪を了解しているのだろうか。
これは、例の森進一の『おふくろさん』で問題になった著作者人格権の侵害である。

ブラジル文化の大きさ

2007年04月17日 | ブラジル
映画『フランシスコの二人の息子』で描かれるのは、セルタネージャというブラジルの田舎の、極めて泥臭い音楽であり、だがポピュラー音楽としては大きな存在である。

ブラジルというと、すぐにお洒落なボサ・ノバと来るが、ボサ・ノバはリオなど大都市の一部のインテリの音楽であり、また1960年代の一時期のものである。
大ヒットした曲は多数あるが、現在はよく聞かれる音楽ではない。

ブラジル文化は、このように極めて多様な面を持っていて、それがブラジルの経済社会の力の源泉だろう。
21世紀はブラジルが経済成長が注目されているが、それはこうした文化的多様性からも来るものなのだと思う。

『フランシスコの二人の息子』

2007年04月16日 | ブラジル
実在するブラジルのデュオが、その極貧の生活からミュージシャンとして成功するまでの話。
父親がステージ・パパで、子供たちをミュージシャンにして極貧の生活から抜け出すために様々な工夫をする。ブラジルのこまどり姉妹の苦労話と言うところだろう。
くさい話だが、なかなか感動的。
音楽的には、セルタネージャというブラジル北東部等の田舎の音楽であり、日本で言えば演歌、アメリカのカントリーである。
ブラジルと言うと、すぐにボサ・ノバと来るが、全く異なる音楽であり、多くの人は戸惑うだろうが、ブラジルの実相である。

日比谷のシネ・シャンテでやっていると思ったら、映画館が変わっていて渋谷のQ-AXで、東急本店近くでユーロスペースやシネマ・ヴェーラも入っているビル。
ミニ・シアターだと思って行くと、大変大きな映画館で驚く。

『(秘)女郎責め地獄』

2007年04月15日 | 映画
月丘夢路特集の後、近くのバンダリでカレーを食べ、午後は同じラピュタで昨年亡くなられた田中登監督作品を見る。
『(秘)女郎責め地獄』は、ロマンポルノ初期の傑作の一つで、田中陽造のシナリオも昔読んだが、映画で見るのは初めて。

中川梨絵は、ロマンポルノ初期に活躍した女優の一人。
話は江戸時代で、切り店と呼ばれる最底辺の娼婦の生態。死神おせんと呼ばれる中川が、様々な男と関わる。
正直に言って映像は美しいが、余り面白くなかった。
田中監督は映像に凝らず話を進めたときの方が面白いように思う。

ここに私の高校時代の後輩の女の子が出ていて改めて驚く。
薊千絽、本名は鈴木仁美で私の2年下、一緒に演劇班にいた。
確か、シンガーソングライターのかぜ耕士と結婚したはずだ。
30年以上も前の映画であるのか。

『火の鳥』

2007年04月15日 | 映画
伊藤整の小説の映画化。監督は井上梅次。
英国人との混血児月丘夢路は、その類稀な美貌から新劇女優として活躍する。
三橋達也、伊達信、仲代達矢、大坂志郎らとの恋愛遍歴の後、最後映画女優として自立して行く。
三橋との戦中期の戦争協力の巡回演劇での恋から始まり、薔薇座の演出家伊達信(この人は誰か分からず、岩下志麻の父の野々村潔かと思ったが調べると伊達だったが、早く亡くなったので作品が少ない)、若手映画男優で月丘が惚れてしまう仲代、さらに劇団の裏方の大坂からは密かな愛を打ち明けられるが、いずれとも別れる。
仲代が大学生で月丘との恋と共に、仲間の中原早苗と出来ていて、左翼で砂川事件で逮捕されたり等の挿話も面白い。
時々でロシア民謡が歌われるのが時代である。
この作品は、仲代の本格的映画出演作品としても有名であるが、この映画をきっかけに月丘夢路が監督の井上梅次と知り合い結婚した。
その後、井上は裕次郎映画で大ヒットを連発するが、何故か日活を追われる。
日活社長の堀久作が月丘に惚れていて、井上が月丘を取ったので怒ってクビにしたという噂がある。


『噂の女』

2007年04月13日 | 映画
昭和29年、溝口健二の作品。
祇園を舞台としたもので、小品と言われているが、なかなか興味深い映画である。

ピアニストを目指し東京に行っていた祇園の御茶屋の一人娘久我美子が恋に破れ、自殺し母親の田中絹代のところに戻ってくる。
田中は、年下の医者大谷友右衛門を愛人にしていて、これが祇園の噂になっている、というのが題名の由来。

大谷が久我と出来てしまい、母子が対決し、田中は大谷捨てられる中で、倒れてしまう。
久我と田中は和解し、久我が店をついでいくことを示唆して終わる。

ここで、最も興味深いのは、久我、大谷の若者の描き方である。
小津安二郎の『東京暮色』での有馬稲子と田浦正巳の若者の描き方のおかしさに比べれば、遥かに溝口の方が現実に近いように見える。
音楽は黛敏郎で、電子音で不安な気分を出す。
この作品は、様々な点で溝口の遺作『赤線地帯』につながっている。

優秀な女性に感謝

2007年04月11日 | その他
就職して30年以上になるが、きわめて幸運なことに常に優秀な女性と仕事をすることが出来た。
実は、35年間で10箇所の職場を異動した。
そして、そのそれぞれの分野で、相当に有名で優秀な女性職員と仕事をすることが出来たのは、大変幸運だったと思う。
その意味では、随分と恵まれてきたと思っている。
女性には、男性と同時に感謝したい。

『女衒』

2007年04月10日 | 映画
唯一つ見ていなかった今村昌平の映画。
明治時代、島原から海外に出て、日本人女を「からゆきさん」として輸出して儲けた村岡伊平冶の一生。
劇作家秋元松代が1960年代に『村岡伊平冶伝』として劇化しているが、主人公の村岡(緒方拳)は大変面白い人物である。
貿易商を目指して香港に密航した村岡は、偶然の機会から陸軍のスパイになり、満州で日露戦争直前の情報戦に従事する。
そこで軍人の小西博之に教え込まれたのは、富国強兵と天皇への忠誠だった。

香港に戻った村岡は、外国人に売買・監禁されていた日本人女を救出したことから、自ら娼館を経営することになり、日本各地から女を輸入してくる。
憧れの「貿易商」になったわけである。
そして、ついには「国立娼館」の設立をも領事館に提言して呆れられる。
この非常識さが、戦前に大日本帝国の非人間性を浮き出させたブラック・ユーモアになっていて、実におかしい。
だが、相当に理屈が多く、一般的にはよく理解するのはかなり難しい。
その性か、東映で公開されたときには、余りヒットしなかったようだ。

緒方の妻倍賞美津子をめぐっての、三木のり平や中国人商人ワンとのやりとりも想像を超える意外さで、大変面白い。
今村の日本人論の最たるものだろう。
脚本は、今村と劇作家の岡部耕大。

300番台

2007年04月07日 | その他
たまには自慢話をする。
私が中学の頃は学力テストが大変盛んで、民間会社のテストが毎月行われ高校受験のため、我々も受けさせられた。公立学校が奨励し大挙して行かせていたのだから、今考えれば問題である。
そして、国語・英語・算数の「3科目試験」のときは、上位300人の名前が記録として返ってきた。
この上位者のことを、「300番台」と呼び、秀才の印として褒められたものである。
東京では、言うまでもなく麹町中学生が多く、その他私がいた大田区では田園調布中学等お金持ちの多い地域の連中ばかりだった。

私もたった一度だけ中学3年の2月期に、名前が載ったことがある。
教師からは、是非日比谷高校に行くように勧められた。
載ったといっても1回だけなので自信がなく、一つ下の都立小山台にして合格した。
その記録をとっておかなかったのは誠に残念だが、本当のことである。
あの300番台の連中は今どうしているのだろうか。

やらせなくしてニュースはできない

2007年04月07日 | 映画
関西テレビの「あるある大辞典」のやらせ番組制作問題が未だに大問題として報道されている。
あのような健康情報を本当だと思う方が問題だと思うが、テレビや映画のニュース映像は「やらせ」なくしては制作できない。

日本史上最大の「やらせ映像」は、昭和16年12月8日の「本8日未明、帝国陸海軍は太平洋上で米英と戦闘状態に入れり・・・」という軍人がマイクの前に立って報道している映像である。
これは、まさに突然の出来事だったので、ニュース映画会社である日本映画社も準備がなく撮影することが出来なかった。
そこで、カメラマンが現場に到着した後、再現してもらい撮影したのである。

テレビ番組で戦時中の映像をすべてチェックした大島渚によれば、日本の戦争中のニュース映像は、ほとんど訓練中の映像であるそうだ。
本当の実戦など、とても危険で撮影できないのだ。


分かっちゃいるけどやめられない

2007年04月06日 | 事件
報道によれば、三浦和義氏が万引をしたそうだ。
三浦氏の、「ロス疑惑・和美さん殺害事件」は、最高裁判決を待つまでもなく、作家島田荘司氏の大著『三浦和義事件』によっても無罪である。
勿論、彼にはいろいろと疑わしいところはあるが、少なくとも「ロス疑惑」は無罪である。

だが、彼は万引がやめられないらしい。
まさに、植木等の『スーダラ節』の「分かっちゃいるけどやめらない」である。

「分かっちゃいるけどやめれない」は人生の真実である。
植木等の父親が、激賞したというのも良く分かる。

ラティファ『MAALOMAT AKEEDEH』

2007年04月05日 | 音楽
題名も歌の意味も全く分からないが、渋谷のCD店「エル・スール」の原田尊志さんの勧めで買った、チュニジア出身の美人歌手ラティファの新作。

写真が出せないの残念だが、佐藤友美か氾文雀のような大型の美人。
プロデュースと作曲が、アラブ世界最大の歌手フェイルースの息子ジアード・ラバハーニで、全体がフェイルースそっくりの雰囲気で最高なのである。

身も心もとろけるような、深いビブラートのかかった歌い方が堪らない。
西洋音楽は全音と半音の12音だが、アラブやインドには、半音の半音の4分の1音があり、それを彼らは聞き分けるのだそうだ。
だから、彼らに言わせれば、西洋音楽は極めて単純な音楽に聞こえるらしい。
つまり、アラブ歌謡のビブラ-トの付いた歌唱法、メリスマはきちんとした音階に基づくものなのであり、すごいというしか言いようがない。
と言っても聞いたことのない人には想像もつかないだろうが。
ジャズが最高のポピュラー音楽だと誤解している日本中の馬鹿者たちに聞かせたい、本当の都会の大人の音楽である。

桜の映画と言えば

2007年04月05日 | 映画
桜が出てくる映画と言えば、鈴木清順監督の日活映画『けんかえれじい』が有名で、高橋英樹と浅野順子が夜に桜並木の下を歩くシーンが絢爛と美しい。

だが、川島雄三監督の名作『花影』にも桜の名場面がある。
銀座のクラブの女給池内淳子が、元愛人の池部良に誘われて、自殺の2日前に、二人で千鳥が淵の夜桜を見に行く。

岡崎宏三の映像が異常なほどに美しい。
桜は造花で、すべて付けたものだと思う。
美術は伊藤喜朔。

その翌日、心の恋人佐野周二に会いに行くシーンの冒頭も、桜から漏れる日の光で溶明する。
ここは、とても美しく悲しい。

『花影』は世に多い川島雄三ファンにも余り評価されない作品だが、私は所謂「風俗映画」では最高作品の一つだと信じている。

『ふたり』

2007年04月04日 | 映画
この大林宣彦監督の映画を見ることにしたのは、脚本家桂千穂の『多重脚本家・桂千穂』を読んだからだ。
大林映画は決して嫌いではなく、最初の商業映画『ハウス』も面白いと思ったし、富田靖子が素晴しかった『さびしんぼう』も好きだった。
だが、なんとも少女の世界を描いているので、少々気持ち悪いと言うか、おじさんとしては少々恥ずかしいのである。
亡くなった二人の女性劇作家岸田理生や如月小春と同様の生理的な世界であり、男の私としてはいい加減にしてほしい。

桂千穂は長谷部安春監督の「暴行シリーズ」の他、日活ロマン・ポルノで多数のシナリオを書いたシナリオ・ライターであり、暴行シリーズが変態映画であるように、これも「変態映画」である。
少女たちの自意識過剰な、自己憐憫の世界である。

二人とは、妹石田ひかりと事故で死んだ姉の中島朋子で、中島の幽霊が出てきて石田と対話するのがドラマ。
だが、良く考えると、これは石田ひかり自身の幻影のようにも見える。
所謂「自己像幻覚」である。
自分にもう一人の自己が見えるというもので、デ・ジャブの感覚に近い。
川端康成の『古都』の双子のもう一人もそうした話だった。

また、これは、羽仁進の傑作『午前中の時間割』や、アメリカ映画の名作『キャリー』にも良く似ている。
石田ひかりが高校生はともかく中学生というのは少々無理があるが、全体にとても楽しい作品で、見ている間私はとても幸福だった。
中江有里など美少女が沢山出てくる。ミュージカルの場面でヒロインを演じるのは、今やおばさんと化した島崎和歌子。
久石譲の音楽も良い。

だが、この映画の世界は実は苦い現実を含んでいる。
姉の死、両親(富司純子と岸部一徳)の不和、友人の父親(ベンガル)の死、母親の心の病など。

青春はかくも複雑、微妙な世界で、二度と戻ることのできない時間なのか。
これは、大林宣彦というおじさんからの若者へのメッッセージである。

全体として見れば、カメラ(写真家の長野重一)が少し動きすぎだが、途中からは気にならなくなった。
そのうち新尾道三部作も見ることにする。