指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

国立劇場は、建て替える必要があるか

2023年11月10日 | 演劇

国立劇場の建て替えが、応札者がいなくて、宙に浮いているとのことだ。

だが、よく考えてほしいのは、本当に建て替える必要があるか、だ。

国立劇場建設の趣旨は、古典芸能、歌舞伎の保存等で、そこには古い演目の復活上演、通し狂言上演があったが、これは上演したが不評続きで、今では「通し狂言」上演はほとんど行われていない。

この通し狂言上演には、最初から批判があり、武智鉄二が、大反対だった。

その理由は、歌舞伎の昔の劇には、つまらないところも多々あり、そうしたところは上演しないので、面白く、また江戸幕府の圧力に抗しないように、わざと意味のない「勧善懲悪」の筋や結末で終わらせたのもあり、全体として通し狂言は反動的とさえ言ったと記憶している。

また、国立劇場設立の意義には、芸能者の養成があり、これは相当の成果を上げてきたと思う。

国立劇場ができたとき、暗に反対を示していたのは、当時歌舞伎を独占していた松竹で、国立劇場には、大名題の役者は出さず、坂東玉三郎や片岡孝夫のような、一部で人気は出ていたが、歌舞伎界を背負うとまではいっていない役者を出していた。

だが、そのことで、玉三郎や孝夫は、現在では歌舞伎を支える役者になっており、松竹のドル箱になっている。

その意味では、皮肉なことに、松竹の読みに反して国立劇場は、歌舞伎に大いに貢献したので、この芸能者の養成は大きな成果を上げたと言える。

さて、歌舞伎公演は、国立劇場がないと不可能なのだろうか。

そんなことは全くない。

どこでも可能な、融通無碍な芸能が歌舞伎なのだ。その証拠に、松竹は、今や日本全国で、歌舞伎の地方公演を行っている。

もちろん、花道がないなどの問題点はあり、本物じゃないとの批判はあるだろう。

私は、言いたい、

「本物を見たければ、木挽町の歌舞伎座に来ればよい」のである。

もし、国立劇場の再建にすぐに落札者が出て来なければ、当分の間、更地にしておくのも手だと思う。

              

かつて、あそこは、国立劇場建設予定地と言われて、国会へのデモ行進の出発地で、1960年6月15日の、全学連の国会突入も、予定地に集合し、そこから国会に向けて行進して国会に突入したのだ。

近年、国会周辺でのデモ行進が異常な規制を受けているが、あそこが更地になれば、もっと自由な運動ができるのではと私は思うものだ。

文化庁も京都に移転したのだから、国立劇場も京都にしては。

歌舞伎の創始者、いずものお国が、演じたのも京都の河原だったではないか、なにも東京にこだわることはないと思う。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。