どうして、明治時代にキリスト教はGodを神と訳したのか、私にはわからない。戦国時代の終わりには、日本にきたカトリックの司祭はラテン語の デウス(Deus)をそのまま使ったようだ。したがって、日本語では「デウス様」だった。
ところが、明治時代に「デウス様」が「神」となる。
白川静の『字通』によれば、象形文字の「神」は、いなずま(電光)の走るさまをあらわした「申」の字からくる。象形文字「鬼」の上部の「甶」は,もともとは、「申」と書いており、同じものである。「神」、「鬼」、「魔」は同じカテゴリーである。
古代のインド、中国において、「神」と「魔物」は同じもので、人々にとって、自然界の恐れるべき、あるいは、忌み嫌うべきものであった。
古代のエジプト、メソポタミア、地中海沿岸諸国にとって、「神」は、族長、王、共同体の「守り神」であった。都市国家が連合すると、「守り神」同士がお友達になる。キリスト教から見ると多神教に見えるが、多くの場合は、所属する一族、都市の中では、守り神は一人である。
日本の田舎に行くと村々に固有の「守り神」がいて、石だったり、岩だったり、巨木だったり、キツネだったりする。
2500年前のインドの知性を伝える原始仏教、『スッタニパータ「釈尊の言葉」全現代語訳』(講談社学術文庫)によれば、「おれは悟ったのだぞ、神や魔物なんて怖くない、おれの心を狂わせたり、心臓を引き裂いたり、両足をつかんでガンジス河の彼岸へ放り投げることができるなら、やってみろ」と釈尊は言ったとある。
どこかに、霊や神秘的な力の存在を教える僧侶がいれば、それは仏教哲学を捻じ曲げる詐欺師である。また、祖先を敬わないから不運に見舞われるなんて概念は、仏教にはない。
『論語』によれば、「孔子は怪力乱神について語らず」(述而篇)、そして、「弟子の季路に答えて、おれは人間に仕えることもできていないのに、鬼神にどう仕えるかなんて知ったことか、としかった」(先進篇)という。「神」は「怪」「力」「乱」と同じく、当時、知性のある者が恥ずかしくて口にできないあやしげな言葉だったのである。
中国も戦国時代が終わり、漢代にはいると、儒学は変質し、『礼記』では「鬼神」を「死んだ人の霊」とし、祭りごとの対象とした。孔子も老子も祠にまつられ、いつしか、「神様」になった。
一方、古代のエジプト、メソポタミア、地中海沿岸諸国にとって、「神」は「守り神」であったから、人間が神を「愛」し、神が人間を「愛」するのはあたりまえのことである。
旧約聖書の『創世記』の神は、絶対的力を持った乱暴者の「鬼神」という側面と慈悲深い「守り神」という側面がある。
『創世記』31章に、族長の「守り神」という例で、面白い話がある。
イスラエル部族連合の伝説の始祖、ヤコブは、妻のラケルとレアと家畜を連れて、妻の父である族長ラバンのもとから逃げる。このとき、ラケルは父の「守り神」を盗んで持ち去る。族長ラバンはそれに気づき一族郎党とともに追っかけてきて、「お前は私の守り神を盗んだやろう」とヤコブに言う。ヤコブは盗んだなんて身におぼえがないから、「やい探してみろ、盗んだやつがいるなら俺が殺してやる」と言い返す。駱駝の上のラケルは守り神をすぐ尻の下に隠し、「おとう様、今、生理中ですから立てないのを許してくださいね」とラバンに言う。ラバンはラケル、レアの天幕を調べるが、自分の守り神が見つからず、あきらめる。
ユダヤ人の社会で守り神ヤハウェが、ただ1つの絶対的な神となったのは、ユダ国がバビロニアに占領され、ユダヤ人が自分たちの王と国を失ったとき、「守り神」を自分たちが団結するための象徴とするしかなかったからだと思う。この意味でユダヤ人の一神教は特殊な事情で生まれたものだと思う。それ以外、一神教が多神教より優れているとかいう理由が特にあるように思えない。
モーセの五書、あるいは六書は、民族の危機の中で生まれた「偽書」(歴史の捏造)である。
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