猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

「統一教会」だけでなくすべての宗教はヤバいと思うようになった

2022-09-28 23:56:53 | 宗教

7月8日の安倍晋三殺害事件で統一教会(世界平和統一家庭連合)のヤバさが明るみに出た。この事件が契機で、私は宗教全体がヤバいものではないかと思うようになった。

私は、新宗教だけでなく、程度の差があれ、キリスト教も仏教(仏法)もヤバいと思う。それは、宗教というものは、人間の弱さを利用している。信仰とは信じて疑わず、永遠に忠誠を誓うことだからだ。そして、その対象となる教義は、人間の作ったものにすぎない。

現代人は、脳が壊れているのでない限り、自分の心の弱さに甘えてはいけないと思う。何が良くて何をしてはならないのか、自分の頭で真剣に考えるべきだと思う。他人の判断に任してはいけない。

私は、あす、トーマス・レーマーの『ヤバい神 不都合な記事による旧約聖書入門』(新教出版社)を図書館に返さなければならない。最初ぱらぱら全体を読んだが、護教論の印象が強く、それ以上読む気が起きなかった。そして、借りて2週間がたとうとしたとき、ようやく、二度目の精読の意欲が出てきた。レーマーと対決するためだ。

レーマーは、旧約聖書(ヘブライ語聖書)が書かれた時代背景を語り、現代の価値観から旧約聖書を批判していけないと言う。この主張に私は同意できない。宗教は私たちの行動に影響を及ぼしてくる。したがって、つねに、宗教を自分の価値観に基づき批判的にとらえなければ、宗教団体に洗脳され、利用される危険に陥る。

レーマーの発見の要点はモーセーの六書(ヨシュア記を含む)は、当時のアッシリア帝国の文書作法にもとづいて書かれていることだ。神に忠誠を誓う様式はアッシリアの帝王に忠誠を誓う様式にならっていると言う。しかし、そのことが、旧約聖書の神が好戦的だということを、正当化するわけではない。

モーセの五書にもアラム語の用法が見いだされる。ということは、後の時代の書き換えが頻繁にあったということだ。ヘブライ語辞書を作っているとそれをひしひしと私は感じる。

聖書研究者が、現代の信者を傷つけるからといって、ヤバい神を弁護してヤバくなかったというのは、好ましくないことだと思う。

レーマーがこのような態度をとるのは、ナチスのユダヤ人迫害の事件があったからだと私は思う。確かに、レーマーが序論に書いているように、ドイツには旧約聖書を新約聖書から切り離そうというキリスト教の1つの伝統があった。フリードリヒ・シュライアマハー(1768~1834)、アドルフ・ハルナック(1851~1930)、ルドルフ・プルトマン(1884から1976)がそうである。日本人では田川建三がそうである。しかし、彼らは別にユダヤ人の迫害や抹殺を考えていたわけでない。ナチスのユダヤ人虐殺と キリスト教から旧約聖書の排除とを別個の問題と考えるべきである。

エッカールト・オットーは『モーセ 歴史と伝説』のなかで、律法学者と預言者たちとの対立があった、律法学者のなかに、ユダの地に固守する立場とディアスポラを肯定する立場があったとして、ヘブライ語聖書の多様性を主張する。私はそれに加えて神の存在に疑義をとなえる立場もあったと考える。それなのに、多様性のあるヘブライ語聖書が宗教を規定すると考える人たちがいるから、他の人たちに迷惑をかけるようになる。

宗教をもって、人の弱い心をかたくな心に変えたからといって、何も良いことはない。



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