猫じじいのブログ

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怒れる神の手のうちにある罪人、宗教はやばい

2022-09-29 22:16:35 | 宗教

「統一教会」だけでなく、宗教にはヤバくなる要素がある。「信教の自由」を盾に、宗教団体が暴走始めれば、詐欺組織や暴力組織と変わらなくなる。

森本あんりの『反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)で、18世紀のアメリカでのエドワーズの説教を読んだとき、これではカルトではないかと思った。

<あなたがたは、怒れる神の手のうちにある罪人です。神は、燃えさかる地獄の業火の上に、今にも焼き切れそうな細い糸であなたをつり下げています。>

<昨晩あなたが目を閉じて眠った後、地獄に落ちることなく再びこの世に目を覚ますことができたのは、まったく何の理由もないことです。今朝あなたが起きて後、地獄に落ちなかったことには、何の根拠もありません。ただ神の手があなたを支えていたにすぎないのです。>

この説教は、教会に集まる信徒に不安を煽っているのではないか。じっさい、アメリカでは、「信仰復興」(リバイバル)といわれている、集団ヒステリーが何度も起きている。

人間はなまじ予測する能力があるから、不安に陥りやすい。そして、言葉で自分の不安を他人に伝えることができる。ここに、「信教の自由」の問題がある。

布教という名で不安を煽る。悪意がなく、集団ヒステリーが起きるだけで、一夜明ければ、収まるかもしれない。

しかし、詐欺集団が不安を煽ってお金儲けをたくらむということは充分ありえる。どうやって、それを防ぐか議論を進めなければいけないだろう。議論を進めれば、いたずらに不安を煽られずに、すなわち、不安に対する抵抗力を、人々が持てるだろう。

このキリスト教リバイバル運動の問題点は、根拠もなく、人を「罪人」だと非難することにある。そういう宗教はカルトである。新約聖書を読むと、パウロの手紙にも、その気配が感じられる。

日曜礼拝において、十戒を全員で唱え、全員で神に許しを求めるのも、カルトに堕ちいる入り口である。

叱る文化も良くない。子どものときから、人間を肯定的に捉える環境においてこそ、本当のやさしさが育つと思う。

もちろん、人間の心に不安があるのは、警戒を怠らないのために必要なことである。地震があれば、津波の襲来を予測するのは正常な反応だろう。問題は不安を煽られてパニックになり、合理的な対応をしないことである。

北朝鮮や中国からミサイルが飛んでくるという自民党や一部の新宗教の言い分には、不安を煽って軍備を増強しようという企みを感じる。話に合理性が感じられない。統一教会と同じくカルト集団ではないか。



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