猫じじいのブログ

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Eテレ『こころの時代~宗教・人生~』シリーズ「問われる宗教と“カルト”」

2022-10-23 22:32:22 | 宗教

NHKのEテレ『こころの時代~宗教・人生~』で、統一教会問題を受けて、宗教問題の研究者・宗教者6人が一堂に会し、宗教の在り方を議論した。

宗教が危険なものを内在しており、取扱いに注意がいるとの認識を6人とも共有していた。が、論者が宗教関係者に限定されており、私には物足りないものだった。牧師や僧侶に伝統的宗教を守ろうという態度が見え、研究者には信徒のこころを傷つけたくないという態度が見えた。

現代社会では人々は宗教をもはや必要としないと言い切る者が、議論の場にいなかったことが、私には残念である。

カルトにひっかからないのために、公教育で「宗教リテラシー」の授業が必要だと、嬉しそうに、牧師の小原克博(同志社大学部長・研究科長・教授)が話すのに誰も反論しないのが、私は不満である。

小原が自分の主張の裏付けとしたのは、ドイツでは、宗教の教育が公教育で必須になっており、プロテスタント系かカトリック系のキリスト教か倫理を生徒が選ぶようになっている、最近はイスラム教も加ったということである。

現実の「宗教」には、「教団」と「信徒」という実体があり、「信徒」に「信仰」を求める。「信仰」とは、疑念をもたずに、「教団」に従うことである。キリスト教では「信徒」をまとめるのに、教会で一体感を醸し出す「儀式」を行う。

現実の宗教は自分というものを放棄することを求める。自分の頭で考えることを否定する。

なぜ、「宗教リテラシー」の名目で、公教育で宗教を教え、国が権威を与える必要があるのか。

議論に参加した6人は、「宗教」を「科学」の抜け落ちているものを補うものと考えているようだが、「科学」は人間の客観的な世界認識に関わるものであり、それを補うものとして、「倫理」や「哲学」がある。「科学」には価値判断がなく、「倫理」や「哲学」が価値判断に関する情報を与える。

政府が「宗教」にお墨付けを与えて「迷信」を肯定する必要にどこにもない。政府が「教団」を「宗教法人」と呼んで、税制で優遇する必要はない。

現在のキリスト教の「地獄」「天国」も、イエスやパウロの時代にはなかった。キリスト教団が現実の社会での支配者になれなかったことから、社会の権力者と教団との二重権力体制を築くために作った、後の時代の虚構である。

現在の仏教団も、親鸞が否定したにもかかわらず、呪術や呪咀が生き残っている。反論すると急に「嘘も方便」と居直る。生まれ変わり(輪廻)なんて迷信である。

公教育では、宗教を思想史の枠の中で扱うのが、適当であると私は思う。バートランド・ラッセルは『西洋哲学史』(みすず書房)の中で、カトリック、プロテスタントの教義を批判的に取り扱っている。カルトにひっかからないのためには、自分の頭で合理的に考える訓練を施したほうが良い。



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