ホッブズは、だれが主権者なのかによって、政体は「君主政(モナキィ)」、「貴族政」、「民主政」の3種に分かれ、それしかない、と言う。他はそれらの悪口であるという。「君主政」を嫌うものは「専制政治」とののしり、「貴族政」を嫌うものは「寡頭政治」とののしり、「民主政」を嫌うものは「無政府的(アナキィ)」とののしる。
私の時代には「全体主義」という言葉があった。
エンツォ・トラヴェルソは『全体主義』(平凡社新書)の序で次のように書く。
《 「全体主義」という言葉ほど、いい加減に、つまり意味を曖昧にしたまま広く使われる言葉は、そう多くない。》
全体主義とは、具体的には、イタリアのファシズム(1922-45年)、ドイツの国民社会主義(ナチズム)(1933-45年)、ロシアのスターリニズム(1920年代-1950年代)を指す。一人に権力が集中し、個人崇拝を強要したから、明らかに「君主政(モナキィ)」である。
モナキィ(monarchy)を「君主政」と訳するから違和感があるのであって、モナキィは、語義通り、「独裁政」と訳すべきである。
トラヴェルソの論点は、時代とともに「全体主義」の意味合いが変わってきたことにある。
イタリアのファシズムは、田舎の教育家ムッソリーニが、古代ローマ帝国を模範に、町のよたものたちを再教育のため軍事組織化したことに端を発する。手を斜め前にまっすぐ持ち上げた挨拶スタイルは、ファシストが古代ローマのあいさつをまねたものである。ナチスが最初に始めたのではない。
ファシズムが「国家への忠誠心」を大義にしたのにたいし、ナチズムは「共同体の樹立」が大義である。ナチズムの語源の“Nationalsozialistische”は「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」である。Nationalは、「国民の」という意味とともに、ドイツ「共同体」という意味をもつ。「千年王国」というドイツ人の夢をこめているのだ。ムッソリーニと違い、ヒトラーは、オーストリアから流れてきた人生の敗者だが、第1次世界大戦後のドイツで自分がスピーチの才能があることに気づいた。
スターリニズムは、レーニンを引き継ぎ、ソビエト連邦の実権をにぎった「共産党官僚」のスターリンから来る。ロシアに「共産主義」革命が起きたとき、反革命派が欧米の軍事支援を受けて、内乱が起きた。日本もこの内乱に乗じ、シベリアに出兵し、領土を確保しようとしたが、失敗した。結局、革命派(ボリシェヴィキ)が内乱に勝った。
トロツキーが革命派の軍事作戦を指揮し、スターリンは共産党官僚としてその後方支援を行っていた。党首のレーニンが死んだとき、トロツキーが追放され、スターリンが実権をにぎったのは、生徒会長が死んだとき、副会長が追放され、会長、副会長不在のまま、生徒会書記が実権を死ぬまで握ったことに、たとえられる。
欧米の知識人にとって驚きだったのは、自由と民主主義という欧米の近代の伝統を踏みにじり、20世紀に、ファシズム、ナチズム、スターリニズムという暴力的独裁政が生じたことである。スターリニズムは、文化の遅れたスラブ人国家だから起きたという偏見もあるが、一般には西洋文明の枠にスラブを含める。
同じ時期、日本では、天皇のカリスマ化が行われ、例えば、各家庭の家長の部屋に天皇の写真をかかげるなどが行われたが、トラヴェルソは、日本が西洋の一部でないので、本書『全体主義』の中で取り上げない。
ファシズムもナチズムも民衆から起き上がった政治運動体であり、モダニストとして、反啓蒙主義、反民主主義を主張する。個人と国家が、個人と共同体が一体化することを理想とする。
それに対し、スターリニズムは、自分を西洋思想の嫡子とし、進歩的で科学的だと主張する。イデオロギー的には、ファシズムやナチズムと正反対であるが、実態として独裁政をしき、反個人主義的で、暴力でそれを維持する。
トラヴェルソは、全体主義がともに近代の「全面戦争」の中で生まれてきた軍事国家への思想であるとする。「全面戦争」は国民すべてが巻き込まれる戦争のことである。知識でなく、道徳でなく、暴力こそが勝者を決めるという思想である。
その意味では、吉田松陰がまいた「攘夷」の種は日本にも「全体主義」の実をつけたとも考えられる。
「全体主義」の概念は、最初、イタリア、ドイツ、ロシアからの亡命者によって、非難のための言葉として、パリで、ついで、アメリカで発展していく。亡命したトロツキーは、スターリニズムを「全体主義」として批判し、共産主義とはアナキィを目指すものとした。
ところが、ナチズムとファシズムが終焉した第2次世界大戦後、「全体主義」はアメリカで「共産主義」を意味するようになり、反共産主義を唱えるなら、どのような非人道的な独裁政でも、アメリカ政府は支援するようになる。
じっさい、朝鮮戦争の後、アメリカ政府は韓国の軍事独裁を支援つづけた。現在はサウジアラビアの独裁政権を支援つづけている。
アメリカの犯罪的なところは、トラヴェルソの指摘するように、ドイツでナチスの残虐行為をおこなってきた者を、反共産主義活動の担い手として解放するのである。したがって、連合国に代わって、ドイツ国やイスラエル国がこれらの戦争犯罪者を裁くことになる。
日本でも、中国大陸で諜報活動を行っていた者、中国人の生体実験を行っていた者が情報をアメリカ政府に渡し、アメリカ情報部の協力者になることで、戦後も生き残る。しかし、日本はこれらの者を裁くことがなかった。戦争犯罪者としていったん捕らえられた岸信介が日本首相になり、日米安保条約を結び、日本の米軍基地の永続化を許した。日米安保条約の交渉で渡米した岸信介は、アメリカの国会で、自由と民主主義の名のもとに、反共産主義を訴えるスピーチをし、拍手を受けたのである。
「全体主義」という言葉と同じく、「自由と民主主義」という言葉も、現在なお乱用されている。
ところで、トラヴェルソは第1章でつぎのように書く。
《〈現実に存在する〉自由主義は、ブルジョアと貴族の共生であり、制限選挙と労働者階級排除のもと、たしかに民主主義とはかけ離れたものだった。とはいえ、古典的自由主義の根本的な特徴は――分権、複数政党、公的機関、憲法による個人的権利の保障(表現の自由、信教の自由、居住地の自由など)――全体主義とは両立しえない。》
日本はまだ儒学的な封建主義が生きている国である。日の丸と君が代に涙し「大義に殉ずる」安倍信者のいる国である。したがって、強権的な独裁政をふせぐために、古典的自由主義は十分に機能する。また、戦争反対が全体主義との大切な差異になる。
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