猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

菅義偉の「まずは自助」では国はいらない、竹中平蔵のベーシックインカムもいらない

2020-10-06 21:53:00 | 叩き上げの菅義偉


「まずは自助」という新首相の菅義偉が、世論調査で7割支持という この日本の民(たみ)の頭はどうなっているのだろうか。困っている人を助けたくないと思っているのだろうか。困っている人を国が助けるから、自分たちが損をしていると思っているのだろうか。

「叩きあげ」の菅は、自民党総裁選で、「私自身、国の基本というのは自助、共助、公助であると思っております。自分でできることはまず自分でやってみる。そして地域や自治体が助け合う。その上で政府が責任を持って対応する」と言っている。同じような発言を総理大臣になっても繰り返している。

個人の立場から、自分は「自助」で頑張ってみます、と菅は言っているのではない。「国の基本」として「まず自助」であると言っているのである。

じつは自民党の1つの考えに、社会保障制度はいらないという考えが昔からある。貧乏人や病人や障害者は本人が悪いのだから、助けてやるもんか、かってに死ね、という言い分である。それを知って、菅を支持する人たちが7割もいるとすると、恐ろしい社会になったものだと思う。

菅は、知識人を信用するなという教えを小此木彦三郎元通商産業相から叩き込まれたという。そして、唯一の信頼をよせている知識人は、元総務相で人材派遣業のパソナグループ会長の竹中平蔵であるという。「叩き上げ」の菅にとって、弱者に心を寄せる知識人は弱者で、弱者を食い物にする知識人こそが信頼できるのである。困った人だ。

首相になった菅は竹中に相談に行っている。きのう(10月5日)の『報道1930』ではじめて知ったのだが、その竹中が、9月23日に「毎月7万円のベーシックインカム」をBS-TBS番組『報道1930』で唱えていた。

きのうの番組では、長妻昭(立憲民主党 副代表)、小林慶一郎(東京財団政策研究所 研究主幹)、森永卓郎(獨協大学 教授)がゲストである。社会保障費が毎年増加していくなかで、社会保障費を削減するか、それとも、増税をするか、ということが、経済界ではずっと議論されてきた。この中で、竹中のいう「ベーシックインカム」は、社会保障制度をすべて廃止しての「ベーシックインカム」である。とんでもない話である。

人は、好むと好まざると、運不運に左右される。

台風や津波が来て田畑が泥水につかるかもしれない。家が流されるかもしれない。
予期しない発病で入院費や生活費に困るかもしれない。親の認知症がひどくなって介護が必要になるかもしれない。
障害1つをとっても、突然変異はみんなが思っている以上に頻繁に起きており、あなたが問題なくても、生まれてくる子は障害児かもしれない。また、交通事故や仕事上の事故で、あなたは障害者になるかもしれない。
景気の波で就職困難に陥るかも知れない。努めている会社が倒産で職を失うかもしれない。倒産しなくても、会社の赤字を解消するために、整理解雇になるかもしれない。

助け合いは必要なのだ。助け合いを国が制度として物質化することが必要なのだ。

竹中のいう「ベーシックインカム」は、複雑化する社会保障制度を全部廃止して、固定のベーシックインカムを支給し、それで、自助の収入を合わせて所得が多くなったら、税金を取ればよい、制度の単純化で小さな政府で済むというものだ。

驚いたのは、ゲストの小林慶一郎も、竹中の意見に一定の理解を示すことだ。シンクタンクでは現実的なものとして検討されているのだ。

困り具合は人によって異なる。それに応じて助けるのでなく、一律にベーシックインカムでは、救われない人がでてくる。また、竹中平蔵方式の「自助を求めるベーシックインカム」は、単に、貧困層の水準をさらに下げ、貧富の格差を拡大するだけだ。

人は、好むと好まざると、運不運に左右されることを、みんな忘れているのではないか。

そういう中で人間社会は助け合いを選択してきて、どの国にも社会保障制度がある。社会の貧富の格差が拡大しているのだから、富裕層からもっと税金をとることを考えてよいのではないか。

富裕層ばかりがシンクタンクを使って社会保障の制度設計を行うのではなく、国は、貧困層や病人や障害者を社会保障の制度設計参加させるようにしないといけない。そうでなければ、国なんて不要である。現状の菅義偉を7割の国民が支持するのはきちがい沙汰である。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿