NPOで私の担当していた21歳の男の子が恋をした。良い傾向にある。
彼は中学校2年でうつと診断され、ずっと服薬している。正確にいうと、高校3年に自分で薬をやめようとして離脱症状を起こし、前より薬に頼るようになった。
恋ができるということは、心が成長したことだ。彼は、高校のときはアイドルを追っていた。確か握手会にも行ったことがあったと思う。アイドルが握手会で襲われたことにひどくショックを受けていた。自分も、このままでは、同じ行動にでるかもしれないという不安に陥ったようだ。
この2、3年はネット上のコスプレイヤーたちを追っていた。自分のツイッターに、彼女たちの写真をリーツイートしていた。もしかしたら、それは修整された写真かもしれないのに。
生身の女の子に恋することは心の成長である。
彼は彼女に声をかけようとしたと言う。緊張のあまり吃音が出そうになって、逃げるようにしてその場から去ったと言う。私は自分の若いときを思い出した。
彼もチャレンジするときである。恋をしたとき、言葉はしらじらしい。気の利いた言葉なんてありはしない。たどたどしい言葉は真剣な思いを表わす。彼女だって、誰か男の子に真剣に愛されたいと思っている。
彼は、たとい失敗しても、そのことで、現実の人間と向き合う力が育つ。これまで、人間が怖いと言ってきた彼が、自分から人を求めて動き出すチャンスだ。
私は、数年前から、彼の気分の上下の揺れが大きいことに気になっていた。いまは薬でおさえられている。安定してきた。炭酸リチウムを服薬しているから、うつから双極性障害に診断が変わったのであろう。
医師なら、彼が行動を起こすことを止めるだろう。
それでも、私は行動を起こすことを勧める。彼に私のメールアドレスを教えている。何かあったら連絡してくるだろう。彼は、最近の神田沙也加の飛び降り自殺にもショックを受けたが、乗り越えている。彼は、事故死だということで、自分を説得したと言う。
彼の子どものとき、両親がよく喧嘩をしていた、と彼は私に語った。私は記憶が正しいとは思わない。人間の脳は物事をそのまま正確に覚えるようにできていない。脳に記憶されたのは断片である。断片化された記憶は、現在の状況に合わせて、修正され、編集され、思い出される。
彼の両親は高校3年の春に離婚している。「よく喧嘩」というが、聞いていると毎日かどうかはあやふやだ。両親が離婚したことで、どこにでもある夫婦喧嘩が、特別の出来事に思い出されているのかもしれない。いずれにしろ乗り越えなければならない記憶だ。
男女のいさかいは、対処の仕方で、解決できるのだよ、と伝えた。両親のようになるか ならないかは自分自身の行動でどのようにもなるのだ。
彼に彼女はどんな女の子かと聞いた。1年半前にメンタルケアであった女の子で、彼女に、おととい、再び同じメンタルケアで会ったのだと言う。物静かな子であると言う。寂しげな子であると言う。しぐさが いとおしい と言う。容貌はと彼に聞くと、マスクで顔が隠れていて、わからないと言う。昨年から新型コロナでみんなマスクをしていたのだ。
私だけが知っている。いっぽう、彼の顔はというと、繊細な美しさをもっていることを。