猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

2年前のETV特集、引き揚げということ

2019-08-19 19:32:25 | 思い出

これは2年前のことである。
NHKのETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち~」を見て、こころ騒ぎ苦しみ、しばらくは言葉にしたくなかった。その2日後になって書いたものである。

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一昨日のETV特集は性と暴力と集団と戦争と、そして戦後の差別を扱っている。

不条理。加害者はのうのうと生き、被害者は差別に苦しむ。慰安婦問題も、広島長崎の被爆者問題も、原発事故の被害者問題も同じである。国策の誤りに誰も責任をとらない。そして、それを認めたくないから、被害者をいじめる。

私の子ども時代には引揚者はどこにでもいた。

私の父の妹も、向かいの文学青年と駆け落ちし、満州にわたり、戦後引き揚げてきた。私の母は、私の祖父、義理の父が嫌いで、祖父の愛すものの存在をすべて否定するので、私は父方の親せきとあまり付き合いがなく、引き揚げの真相を知らない。もしかしたら、満鉄に努めていて、すんなりと引き揚げができたのかも知れない。それでも、父の妹は戦後は幸せでなかったようで、認知症になって早く死んだ。

小学校の家庭科の女の先生は引揚者で、自分が劣悪な環境でどのように栄養が足りるように工夫していたか、だけは雄弁に話したが、どこから引き揚げて、どのようにして生還できたかは、話さなかった。

私の家は表通りにあったが、裏通りには引揚者の粗末な家並みがあった。当時の社会党の提案で市が神社の堀を埋め立てて造った引揚者用住宅である。私は表通りの男の子たちにいじめられるので、引揚者の子どもたちと遊んだ。引揚者の町内会長は子どもたちの教育も面倒も見ていて、そこで私は数学的パズルを解いて楽しんでいた。

町内会長の長男は、引き揚げの時の熱病のせいで、片目が見えず、頭にも障害が残っていた。私と同学年の 戦後生まれの弟が、その兄をいじめから守っていた。奇妙なほど整っていた その兄の顔を忘れることができない。

私の高校は山のふもとにあり、その通学バスは、別の引揚者の住む町を通り抜けていた。町にプロテスタント改革派の教会があったから、私の裏の引揚者より少し教育レベルが高いのかもしれない。

私の高校の成績一番はそこから来た女の子で、同じ大学に進学し、同じ大学院の同じ学科に進学した。父親は大学教授で、その子に厳しかったと本人から聞いている。その子は自分の子どもを産んでから自殺している。改革派の信条が悪いのか、引揚者の父親のトラウマから抜け出れなかったのか、わからない。

私が上京して知り合った子の母親は満州開拓団の団員で引揚者である。頭の毛を丸坊主に刈り、胸のふくらみをさらしもめんで巻いて隠し、逃避行をしたという。当時まだ引揚者がかたまって郊外の町に暮らしていた。ETV特集では引揚者同士で結婚していたが、彼女は普通の新聞記者と結婚した。夫は教養があるはずなのに、死ぬまで妻は処女でないと疑っていた。夫は妻が絶頂に達しないと不安で、ことが終わっても手で触って絶頂に導こうとした。

ETV特集の今回扱った事件は、もっと悲惨だ。終戦直後、満州開拓団の1つが現地の住民に囲まれ、近くの駅に駐留していたソビエト兵に助けを求めた。その見返りとして、性の奉仕を求められ、開拓団として同意した。15人の若い娘が捧げものとして差し出され、1年間それが続いた。膣の中がすりちぎれないよう、糊を中にぬられて、性の奉仕に毎夜向かった。

満州開拓がそもそも必要だったのか。国策の誤りである。

満州に駐留していた陸軍はどうして開拓民を見捨てて先に撤退したのか。人道に反する。

陸軍には、ソビエトの捕虜になってシベリヤに抑留されたものと、逃げおおせたものとが、いるのはなぜか。

昭和天皇はどうして責任を問われなかったのか。岸信介はどうして巣鴨収容所から解放されたのか。

東京裁判は、勝者が敗者を裁くことは許されないから、無効だ、という者がいる。しかし、誰かが誰かを裁くことが問題ではなく、罪は罪である。1億総ざんげというのもおかしい。悪い奴は悪いのである。

勝者が敗者を裁くことはいけないというなら、裁判による絞首刑でなく、イタリヤのように国民が彼らをリンチにすれば、よかったのであろうか。昭和天皇や岸信介が責任を問われていれば、戦後の日本がもっと良いものになっただろうに。

引揚者の悲劇は、古今東西どこにでもある。引揚者は、国が犯した誤りを背おおって、国が犯した罪の復讐をうける。ポーランド、チェコの田舎に住んでいたドイツ人農民たちは、ヒトラーの東欧侵攻の100年以上前に入植していたのに、彼の妄想のため、第2次大戦後、徒歩での悲惨な逃亡をしいられた。

責任をきちんと問わないから、同じ悲劇は繰り返される。ドイツは少なくてもドイツ国民による裁判をおこなったが、日本では国策の誤りの責任を問われていない。