つぎは、4年前に、「戦後70年を向かえて」の安倍晋三の談話を読んで、私が書いたものである。
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戦争の現実は悲惨である。しかし、日本の戦争の反省にも色々な立場があるらしい。
(1) 日本が戦争に勝てなかったということ、
(2) 日本が勝てない無謀な戦争をしたこと、
(3) 日本が自国の利益のために戦争をしたこと、
(4) 条件抜きに、日本が戦争したこと、
などなどである。
8月15日の朝日新聞夕刊に、A級戦犯の東条英機のひ孫のコメントがのっていた。曽祖父に「敗戦の責任」はあるが、戦争自体については「欧米と日本のやったこととは何が違うのか」と言う。反省 (1) の立場である。勝てなくて残念と言っているだけだ。
8月14日の談話の中で、岸信介の孫の安倍晋三は、「日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました」という。反省 (2) の立場に近い。しかし、戦争に追い込まれたとしか言っていず、国民にむかって謝ってはいない。追い込むやつが悪いと暗に言っている。祖父の岸信介を擁護している。
安倍晋三は、反省がなく、唐突に、「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」とだけ言う。
この部分は、自衛隊の軍備を強化することや、「集団自衛権」を押し出す新安保法制と、矛盾するのではないか。
安倍晋三の談話は、彼が、東京オリンピックを招へいするために、福島原発の汚染水は完全にコントロールされている、と言ったのと相通じる、ウソの大見えにすぎない。後で言葉の解釈を変えれば、どうでも、言い逃れができる、と思っているのだ。
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日本国憲法第9条では、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあるので、自衛隊と憲法9条の両方を支持する人は、反省 (3) の立場と思われる。
しかし、どこまでが正当な自衛と言えるのだろうか。また、国連の平和維持軍なら、自衛隊を派遣して、人を殺しても良いのだろうか。
条件抜きの「汝、人を殺すなかれ」は、反省 (4) の立場である。トルストイは、「汝、人を殺すなかれ」の立場から日露戦争に反対していた。内村鑑三も遅れて、この立場にたつ。そうなら、自衛隊はいらない。
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安倍晋三は、8月14日の談話の中で、
「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」
と言う。誤解を招く表現を安倍晋三はあえてしている。
日露戦争が「多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけ」たのは、弱いと思われた日本が強いと思われていたロシアに勝ったことだけで、日本が植民地主義に反対して他国のために戦ったことはない。じつは、1923年までは、日英同盟で日本の独立が守れてきたのである。日露戦争での日本側の資金調達で、フランスのロシア支援の抑止で、戦争終結の交渉で、英国に助けられている。英国のおかげである。
日露戦争は1904年から1905年にかけてである。それに先立ち、日本は、日清戦争に勝利し1895年に台湾を領土として獲得している。また、日清戦争と日露戦争の結果、清国やロシアの後ろ盾を失った韓国を1910年に日本は領土に併合する。したがって、日露戦争は、植民地主義に戦ったものではない。
日本は、ロシア革命の混乱に乗じて、1918年、シベリアに出兵している。これを伏線として、1932年に中国東北部を「満州国」と称して植民地化した。
1941年の対米開戦は、中国東北部の利権を放棄しないと「経済封鎖」するという米国の脅し、すなわち、経済的脅しに対して、日本が武力の行使、真珠湾奇襲攻撃で回答したものである。これが、安倍晋三の談話の「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決」の実態である。
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安倍晋三のような歴史の書き換えが起きるのは、日本人の心の中に、欧米諸国に対する「劣等感」が、他のアジア諸国に対する「優越感」がひそんでいるから、と私は思う。安倍晋三の談話は、国民の劣等感や優越感の情動に訴えようとするものであり、理性的な目でとらえるなら、論理矛盾と破綻に満ちたものである。