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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

アフガニスタンについて、きのうのバイデン大統領のスピーチ

2021-08-18 13:39:01 | 戦争を考える

カブール陥落の混乱をうけて、きのうの(US時間8月16日)ジョー・バイデン大統領のスピーチは納得のいくものだった。勇気あるものだった。

《我々は明確な目標をもって20年前にアフガニスタンに向かった。2001年9月11日に我々を攻撃したやつらに仕返しをし、アルカイダが我々への攻撃の基地にアフガニスタンを使えないことを確実にすることだった。》

《We did that.(やったじゃないか。)オサム・ビ・ランディを追い、やっつけたじゃないか。10年前にである。》

《アフガニスタンでの我々のミッションは国を建設することと決してされていなかった。単一の求心力ある民主政を創り出すことと決してされていなかった。》

アメリカの復讐の戦いが、いつまのにか、正義の戦に変えられている、アフガニスタン政府の兵士が戦う意思がないのに、アフガニスタンの人びとのためにアメリカの兵士が戦っているのはオカシイとバイデン大統領は言う。

よくぞ言った。

《 I am President of the United States of America, and the buck stops with me. 私はUSAの大統領である。責務は取り続ける。》

このbuckは雄鹿の角のことで、トランプゲームのポーカーの親(デーラー)のこと。責任をとると言う意味とともに、責任者の地位を渡さないという意味でもある。

バイデン大統領は、兵士を送らないが、外交努力と経済力で、人権や女性の社会進出について、アフガニスタンの人びとのために、言い続けると断言する。

カブールの混乱は、国内選挙を意識した歴代のアメリカ政府の誤りに起因する。誰かがアフガニスタンでの戦闘を終結しなければならない。バイデン大統領の決断を評価すべきである。そして、責務をとり続けるというのだから、見守ろうではないか。


アフガニスタンのカブール陥落に思うこと、戦争の無意味さ

2021-08-16 21:55:23 | 戦争を考える

きょう、アフガンニスタンの首都、カブールが、タリバーンの軍に陥落した。

カブールの陥落は、私の年代のものに、アメリカ政府が支援した南ベトナムのサイゴンの陥落を思い起こさせる。1961年、アメリカの新大統領になったジョン・F・ケネディ―は、北ベトナムと南ベトナムとの内戦に介入すると、就任演説で宣言した。ベトナム戦争は、1975年のアメリカ軍撤退で終結するが、4月30日の南ベトナムの首都サイゴンは、陥落で逃げ惑うベトナム人で大混乱になった。南ベトナムでアメリカ軍の作戦に参加していた韓国軍兵士、フィリピン軍兵士は、アメリカ軍に見捨てられて、自力で逃亡するしかなかった。アメリカに協力した民間の日本人も、アメリカ軍に見捨てられ、自力脱出しかなかった。

陥落ということは、アメリカが負けたということで、アメリカに協力した人々も すべてを失うことである。

ベトナム戦争では、アメリカでもヨーロッパでも日本でも戦争反対の運動が起きていた。私もベトナム戦争に反対するのが当然だと思っていた。だから、徴兵制で駆り出されたアメリカ軍の兵士以外は、覚悟の上のベトナム侵攻であったともいえる。ただ、みんなが負けると予期していたのかは疑問が残る。

とにかく戦争というものは、駆り出された兵士にとって、いつも無意味な死を覚悟しなければならない。

アフガニスタンの戦争は、2001年9月11日にニューヨーク市のワールドトレードセンターへとバージニア州のペンタゴン本部への航空機突入で始まる。アルカイダがハイジャックした民間旅客機で一般客もろとも体当たり攻撃をかけたのである。ワールドトレードセンターが火を噴いて崩落したのをテレビで見たが、ペンタゴンも被害を受け、ペンタゴンの125人と旅客59人が死んだのに当時気づいていなかった。アメリカ軍本部のペンタゴン攻撃は、テレビでは放映されなかった。

当時、ジョージ・W・ブッシュが1期目の大統領で、支持率が低く、2期目の当選はないと言われていた。アメリカの同僚もブッシュをあざける動画を会社内で私に見せてくれ、再選はありえないという雰囲気であった。

ところが、9月11日以降、若者が町に繰り出し、星条旗を振ってUSA、USAと連呼した。銃をもったアメリカ軍兵士が空港を警備するようになった。アルカイダは、アメリカ人のなかにあった「強いアメリカ」というプライドを傷つけたのである。ブッシュは、10月7日からアフガニスタンの空爆を始めた。対テロとして戦争を始めたので、明確な宣戦布告なんてなかった。タリバーン政権はアルカイダを保護していたのは事実だが、ブッシュは、タリバーン政権をテロリストと位置付けることで、他国に公然と侵攻したのである。ブッシュがこの「復讐の戦い」をしたことで、支持率を回復し、2004年の大統領選に勝利したのだ。

このアフガニスタン戦争は、ベトナム戦争の長さを越えて、20年近く続くのである。復讐を唱えて他国に侵攻し、勝ったのだから、そこで、「鬼を征伐した、めでたし、めでたし」で、やめれば良いものを、復讐の戦いから、正義の戦いに転換しようとしたものだから、多く人を巻き込んで、長い長い戦争になったのである。

人間はバカな生き物である。怒りから相手を殴り殺してから、自分の方が強いと気づいて、言い訳を考える。アメリカ政府が正義の人を装うために、民主主義国家をつくるとか、女性の社会的地位を向上させるとか、言い出したために、長い長い戦争になったのである。

殺すのは簡単だが、統治はずっと難しい。アフガニスタン侵攻だけでなく、イラクまで侵攻するものだから中東全体を混乱に陥れた。また、イスラム社会に対する偏見をアメリカやヨーロッパに広めた。

アメリカ政府の大義名分を言葉どおりに信じた、アフガニスタン人や全世界の善良な人々がいたはずである。アフガニスタンにいる これらの善良な人々はいま恐怖の中にあるだろう。また、アメリカ政府は、国際治安支援部隊(ISAF)を組織化したため、多くの国の若者がアフガニスタンの戦争に巻き込まれ、死んだり、手足を失った。カブール陥落という形で戦争が終結し、大義名分が幻想だったとなった いま、とてもむなしい思いにあるだろう。

戦争は無意味である、ただ、残酷で憎しみに満ちたものである。日本の若者が政治家に騙されて、このアフガニスタンの戦争に参加しないで済んだのは、日本国憲法9条のおかげである。

《第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。》

安倍晋三の積極的平和主義とは虚構である。いまBBC放送を聞いているが、国連もウソがまかり通るところである。他国に行って戦うような愚かなことをすべきでない。

[補遺]

きのうは、アニメ『この世界の片隅に』をテレビで見て、私は涙を流していた。

[補遺]

殺された中村哲医師が先頭にたってアフガニスタンに作った水路は、カブール陥落後も、ちゃんと維持されるのだろうか。日本とのつながりが維持されるよう祈る。


広島平和記念式典の「御霊をなぐさめる」だけになる懸念

2021-08-07 21:07:10 | 戦争を考える

今日の朝日新聞の読書欄の書評に、ジョン・ハーシーの言葉「1945年以来、世界を原子爆弾から安全に守ってきたのは広島で起きたことの記憶だった」が引用されていた。

被爆の記憶を風化させないために、きのうの平和記念式典は意味がある。

その式典のあいさつで、首相の菅義偉はつぎの文を読み飛ばした。

《我が国は、核兵器の「非人道性」をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。》

菅は大きな声で原稿を読み上げることばかりに気をとられて、あいさつの中身のことなど、頭になかったのだろう。

広島市長の平和宣言文にはつぎのように原爆を落としたことの非難が冒頭にある。

《76年前の今日、我が故郷は、一発の原子爆弾によって一瞬で焦土と化し、罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけではなく、……》

ところが、菅のあいさつには、「非人道性」の具体的記述がない。

《本日、・・・・・・原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式が執り行われるにあたり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。……。世界は今も新型コロナウイルス感染症という試練に……》

今年の1月22日に発効した国連の核兵器禁止条約(TPNW)に日本政府は批准していない。日本政府は、アメリカのご機嫌をうかがっていて、核兵器を実戦配備していることを非難しないのである。

7月16日にIOC会長のトーマス・バッハが広島を訪れたとき、それに反対するデモがあったが、菅義偉の平和記念式典参加に反対するデモがあっても良かったのではないか。

被爆体験の風化を防ぐといっても、平和記念式典が形式化して、単に「御霊をなぐさめる」だけになっていくのではないか、という懸念を今回感じた。

コロナ禍で平和の歌を10人ほどの高校生が歌っていたが、昨年のようにピアノ伴奏で二人が歌うので良いのではないか。

私の妻が被爆の記憶を強く受けついたのは、平和記念式典でなく、マンガの『はだしのゲン』である。このマンガのすごさは、「一瞬で焦土と化し、罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらした」だけでなく、多くの日本人が被爆者を差別し、助けの手を伸べなかったことを描いていることである。私の兄は広島の女の子と結婚したが、そのとき、彼女の両親は、自分たちが被爆地にいなかったとわざわざ私の両親に告げにきた。戦後25年しても、被爆者の差別があったのだ。

この日本人の偏狭さは、福島原発事故の後にも再現される。避難した人々が 放射能が避難先で放射能がうつると差別された。

平和記念式典は「御霊をなぐさめる」ためでなく、原爆を使用した軍人を非難するためで、また、いまなお、原爆を積んだミサイルが実戦配備をされていることを非難し、撤去させるためである。そして、戦争反対と結び付かないといけない。

[関連ブログ]


加藤陽子を菅義偉はなぜ憎むのか、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

2021-01-10 22:26:23 | 戦争を考える


加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)は、『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)より、ずっと読みやすい。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、日清戦争から書きはじめているのに対して、『戦争まで』は満州事変から書きはじめ、1941年の日米戦争に話を絞っているからだ。すなわち、『戦争まで』は『それでも……』を読んでいることを無意識に前提にしているからだ。

加藤陽子の『戦争まで』で、私が理解に苦しんだ言葉は つぎである。

〈戦争とは、相手方の権力の正当性原理である憲法を攻撃目標とする。戦争は、主権や社会契約に対する攻撃であり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとるものだ〉

この意味が本当に私はわからなかった。彼女は、ここでの「憲法」とは「具体的な憲法の条文ではなく、社会を成り立たせている基本的秩序、憲法原理」と説明を付け加えているが、それでも、わからなかった。

(もっとも、これは、加藤のことばなのか、憲法学者の長谷部恭男のことばなのか、ジャン=ジャック・ルソーのことばなのか、今もわかっていないが。)

『それでも……』を読むと、「戦争とは……」の文は、日本が無条件降伏をするまでアメリカが戦争をつづけたことに対する理屈になっている。そして、明示的には言っていないが、戦後、アメリカが東京裁判で「戦犯」を裁く理屈にもなっている。

これは、イギリスとアメリカが徹底的にドイツを破壊し、ヒットラーを自殺に追い込み、ナチスを裁いたことと通じる。

すなわち、「大空襲」「広島・長崎」「東京裁判」「日本国憲法」はセットになっていると、加藤陽子が考えているようだ。

右翼もそう考えている。だから、彼らは、靖国神社を参拝し、日本国憲法の改正を唱える。

加藤陽子がこの「戦争の本質」をわかっていて、改憲に賛成しないから、右翼から「裏切り者」と見なされたのだ。だから、菅義偉が、彼女を日本学術会議会員に任命しなかったのだ。

さて、戦後、アメリカが変えた「日本の憲法原理」は「国体」であると、加藤陽子が言っている。大日本帝国憲法の第1条「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」と第4条「天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規によりこれを行う」が「国体」であると彼女はいう。

自民党に巣食う改憲論は、戦争ができる国にすること、国のトップが絶対的権力を行使できるようにすることであるから、戦前の「国体」に戻ることではなく、ナチスのような体制を日本に築くことのようである。したがって、戦前の革新右翼が自民党の中で生き続けたのだと私は考える。また、こう考えると、安倍晋三や菅義偉が「統制経済」を好む理由がわかる。

だから、アメリカやイギリス風の個人主義にもとづく国のあり方を良しとする加藤陽子がゆるせない存在なのだろう。

そう考えると、「叩き上げ」の菅義偉の「学術会議任命拒否問題」があやふやにされることは、日本の民主主義にとって決して良いことではない。

戦争は国民が起こしたのか、政府や軍人に責任はないのか

2020-12-20 23:26:13 | 戦争を考える


4年前に、ヤフーのブログに「軍人がいるから戦争が起きる」と書いたことがある。ここで「軍人」とは「兵隊さん」ではなく将校などの職業軍人のことだ。この言葉は、イノベーション論で有名な、資本主義大好きの経済学者、ヨーゼフ・シュンペーターの言葉だ。

そのとき、「戦争は国民が起こす」というコメントが早速ブログに帰ってきた。

また、きょう古新聞を整理していたら、11月28日の朝日新聞の《オピニオン&フォーラム》に、真山仁が「開戦を支えた民意 礼賛報道が刺激した」「振興メディア 熱狂」という見出しで、日本が戦争に至った要因を論じていた。かれの主張は「日本国民自身が開戦に加担していた」ということである。

日本国民とはなんなのか。人間は、それぞれ違う過去の体験の記憶で動く泥人形なのである。それゆえ、人間はそれぞれ考えがちがう。1つの意志をもつ日本国民なんて存在しないのである。

しかも、戦前の大日本帝国憲法には「国民」という言葉はでてこないのである。大日本帝国憲法は、天皇が「朕カ親愛スル所ノ臣民」に対する約束の明文化なのだ。

真山仁はつぎのように書く。

〈首相が、日本という国家の全ての決定権を握る責任者であった。したがって、軍人だけで勝手に戦争ができたわけでもない。中でも、国民の意向を無視して開戦などありえなかった。〉

大日本帝国の主権は天皇にあり、首相の権限がそんなに強いわけではなかった。陸軍、海軍を統帥するのは、天皇であって、首相でも内閣でもない。しかも、首相が内閣のメンバを更迭できない。

加藤陽子の『戦争まで』(朝日出版社)につぎの話がのっている。

1941年の日米交渉で、近衛文麿は、ホノルルで、5月までにローズヴェルトとの頂上会談をやろうとするが、外相の松岡洋右が抵抗するので、実行できない。それで、近衛内閣は総辞職し、再度、内閣を組閣し、外相を豊田貞次郎に代える。

もっと、ひどい話ものっている。

関東軍がかってに満州国を建設したとき、国際連盟に中華民国が提訴した。国際連盟のリットン調査団が日本にやってきて、その時の首相、犬養毅に会っている。その犬飼は、「満州国が建国されたとき、日本政府としては承認するつもりはない」と言ったが、軍部の怒りを買い、5.15事件で暗殺されてしまう。

一国の首相が、法の保護も受けずに、簡単に殺されてしまう。

これを知ったリットンは、平和的なアプローチを望んでいる日本人がいることを認めながら、いっぽうで、「大衆は多く事実の真相を知らず」、また、「日本における自由主義的な意見は、テロリズムのために抑圧されている。リベラルな考えの人も、生命の危険なしには、その意見を発表することは、まったく不可能な状態にある」と話していたという。

総体としての日本国民というものは、いまも昔も存在しないのである。暴力に訴えるものが、まるで、国民の代表に見えてしまうのだ。そして、伊藤隆によれば、「革新右翼」と言われる若手官僚、若手軍人がヒロイズムと野心に燃え、政治の前面に出てくる。

新聞やラジオが戦争を礼賛したからと言ってすまされる問題ではない。というのは、「革新右翼」のつくる熱狂に新聞やラジオが動かされたともいえるからだ。日本にもファシズム運動があったと見るべきである。伊藤の主張は、「革新右翼」が完全に権力を収めたのではないということである。「革新右翼」の熱狂が統制を受けた結果、日本に無責任体制ができあがったということだと私は思う。

1945年に日本が敗戦を迎えたとき、政府も軍部も開戦の責任を否定した。昭和天皇さえ、「下剋上」のせいだと言った。

私の母方の実家は、日蓮宗、しかも田中智学の国柱会に傾倒して、戦争に反対した。それで、祭りになると、いつも、神主が若者を煽り、神輿をぶつけ、家を壊していったという。神主の息子が戦死してから、その暴力が止まったと聞いている。

戦前と言うと、特高が拷問をしたという話も親から聞いているが、母の実家は特高に巻き込まれなかった。私は、国柱会が天皇制を否定せず、特高から共産党とは無関係だと思われていたから、と思う。

結論として、暴力的な「革新右翼」が戦前に勢いをもったのは、大日本帝国政府が共産主義者や社会主義者を徹底的に弾圧したので、「革新右翼」にしか、不満をもつ国民の直接行動の行き場がなかったからだ、と思う。

そして、加藤が『戦争まで』で指摘するように、政府と軍部の革新派も統制派も、何度も立ち止まるチャンスがあったのに、虚栄心の自縛から戦争に追い込まれていく。

加藤陽子は、戦前の誤りを繰り返さないために、大衆の教育がだいじだと言う。しかし、私は、単なる「教育」は「洗脳」で危険だと思う。多様な考えを知り、、自分の力で真実を求めることが、だいじだと思う。そして、自分の考えを発信することである。