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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

愛すべき子供たち、白いマスクの彼

2021-05-29 21:26:23 | 愛すべき子どもたち


昨年から、新型コロナ対策で、NPOの対面指導は、ともにマスクをつけて行うことになっている。といっても、二十歳過ぎのひとりは、目を離すとマスクがあごにある。お願いするとマスクを また あげてくれる。彼の場合はひとりで外に出かけることはないので、感染しているリスクは低いと思っている。

私自身は、去年より、マスクが苦痛でなくなっている。それでも、マスクをはずすとホッとする。

私のところにずっと通ってくれる子に、ずっと、白いマスクをつけていた子がいた。8年前にはじめて会ったときから、彼はマスクをつけっぱなしだった。こんな窮屈なマスクをしないと、彼が外にでることができないとは、私は、新型コロナのまん延でまで気づいていなかった。外の人びとの目が彼をひどく苦しめていたのだ。

下記は、2年前に、彼がマスクをはずしてNPOに通うことができるようになって、私がうれしくなって書いたブログである。

   ☆    ☆     ☆

私が指導を頼まれたときは、彼はもう25歳をすぎていた。いまは31歳のはずである。

彼の父親がアドビ社のイラストレーター(グラフィックス作成ソフトの一種)を教えるよう、私のNPOに頼んできた。
が、誰も引き受けない、それで、私がIT会社にいたということだけで、私に話しが来た。もちろん、私も使ったことのないソフトだが、断り切れず、引き受けた。

その子は、白いマスクをして、両親とともに来た。父親はニコニコした気さくな人で、イラストレーターの導入DVDを持ってきた。
私は会話のないまま、パソコンの指導を始めた。

彼は、それまで、私のNPOで、ピクシブ(pixiv)を使ってアニメの絵をかいていた。その日も、以前と同じくピクシブで描き始めた。騎士の格好をした少女たちのイラストを、上手に描き始めるのでビックリした。少女たちの顔が、どこか、彼の母親の面影に似ていた。

心から絵が上手であると思ったことが良かったようだ。会話のないまま、私と彼の間に居心地の良い空間が生まれた。

DSM-IVの「自閉症」の診断では、会話が重視される。この定義では、彼は「自閉症」となる。DSM-5では、「対人的情緒的相関係の欠如」と「限定された関心とか奇妙な行動」が重視される。初めて出会った私と、会話のないが居心地の良い人間関係が生まれたということは、DSM-5の「自閉スぺクトラム症」にあてはまらないのでは、思った。

彼が白いマスクをはずさないということのほうが私には気になった。
社交不安症か強迫症があるのではないかと疑った。そのため、彼が嫌がる行為をしないように気をつけた。とにかく、物事を教えるというような、上から目線の態度を取らない、すなわち、指導しないことにした。
相手が困ったときにだけ、少し助けることにした。

ピクシブとは、画面を画素の集まりとして画素を塗りつぶしていくソフトである。これに対し、イラストレーターは、線や図形の集まりで絵を作る。線や図形は、削除はもちろん、位置、大きさ、形、色の修正や、重ねる順序の変更ができる。全く、異なるタイプのソフトである。

どうして、ピクシブからイラストレーターに切り替えできたのか、私は全く覚えていない。
あるときから、突然、切り替わった。
それまでは、彼は、毎回、ピクシブで母親そっくりの少女たちの群像を描き、残りの時間に、私は、イラストレーターの機能を少しずつ使ってみせた。

イラストレーターに切り替わると同時に、描く内容も、まるっきり変わった。花や草や虫や小鳥や動物や魚や蟹を描くようになった。私を感動させるために描いているようだった。

2 年ほどして、彼の母親から感謝された。家では暴れなくなったという。私としては指導なんて何もしていないのに。

父親から、今度は、英語の指導をも頼まれた。同僚が引き受けてくれた。英会話の練習教材、ステップアップ・イングリッシュを使った。DVDを聞いて英語を話すので、白マスクをはずさざるを得ない。しかも、それ以上に同僚の教材選択が良かった。
教材は、DVDで、短い会話を聞いた後に、質問への最適の答えを選ぶようになっているのだが、正解以外は、会話に出てきた単語を使っていても、質問とは脈絡がないようになっている。
会話とは脈絡があるやりとりである。教材は会話の練習になっている。

今は、英語の指導も私が引きつぎ、イラストレーターと英語とを交互に週一回やっている。
気づいたら、彼は白マスクをもうしていない。

この前、私が教室のカギを忘れ、入れない事態が生じた。妻にカギを届けてもらったのだが、そのとき、私と彼とで、駅の改札口で妻を待った。
パニくっているのは私だけである。

カギを届けてもらった後、彼は私にこう言った。
「先生、今度から鍵を忘れないようにしてください。」

白マスクがとれただけでなく、いつのまにか、二人の間に会話が成立していた。

私の愛すべき子供たち、女の子になりたい男の子

2021-05-25 09:35:10 | 愛すべき子どもたち

私がNPOで担当した子どもに、生まれ変わって女の子になりたい男の子がいた。男の子と言っても、母親に連れられて来たときには、もう、養護学校高等部を卒業し、18歳は過ぎていた。「この子の知能は小学校1年生レベルです」と、母親がわたしに言った。

小学校1年生レベルなら、自分の考えをもつに十分に賢い、と私は思う。
その男の子は、「いつ地球が爆発し、死んで生まれ変われるの」と、私に、いつも、たずねてきた。私は、「いつ爆発するか わからない、しかし、人間が生まれて死ぬまでより、ずっとずっと長く、地球が爆発せずにあるのだよ」といつも答えていた。

その男の子には妹がいた。その男の子は、妹や母親のように、女の子になれば、チャラチャラと着飾って、みんなからチヤホヤされると思い込んでいた。たぶん、その子は、男の子だから母親にバカにされるのだ、と思ったのだろう。

そう、本当は、その男の子は、死んで女の子に生まれ変わりたかったのだ。私に、その気持ちに同意して ほしかったのだ。

女が得か損かは簡単に言えない。
女の子のだれもが、その男の子の思うような人生を歩めるのではない。
自立せずに、だいじに保護されながら、バカにされず、自由に生きていくのは、男でも、女でもむずかしい。

しかし、男らしく生きることが、争って他の人から何かを奪い取ることなら、男らしく生きることもない、と思う。

私は、子どもときから、乱暴な子は嫌いだ。小学校にはいったとき、乱暴な男の子が、ハタキやホウキをもって教室で暴れているのに、びっくりした。それから、女の子が私の遊び友達になった。

争わず、穏やかに生きることが女らしいなら、生まれ変わらなくても、男も女も、女らしく生きれば良い。

私の愛すべき子供たち、泣いていいんだよ

2021-05-25 09:33:59 | 愛すべき子どもたち

きのう、NPOで、私の教え子に泣かれた。
抱きしめてあげたかった。
涙と鼻水にぐちゃぐちゃになった顔をふいてあげたかった。

ばすのせいそうが大変なのです。あすは、せいそうの班のリーダにならないといけないのです。先生、泣いてもいいですか」

ばすのせいそう」は「風呂の掃除」のことか、と初め思ったが、乗り物のバスの内と外をマニュアルにしたがって班で清掃するのだという。ここ毎日、特別支援学校高等部で、1 限目から4 限目まで、ずっとバスを清掃しているらしい。

歌手の八代亜紀も最初に勤めたバスガイドの仕事で、毎日、バスの清掃をしていたという。しかし、時間はそんなに長くなかった。
学校で、どうして、毎日班で1台のバスを清掃していて、そんなに時間がかかるのだろうか。
時間がかかるようにマニュアルができているのではないだろうか。

しかられるのだろうかと聞くとそうでないと言う。しかし、泣いていけないと言われているという。耐えないといけないと言われているという。

泣くほどつらいのなら、「いじめ」の定義に該当し、横浜市の特別支援学校で公然と虐待が行われていることになる。

その女の子は、今年、中学を卒業し特別支援学校に入学してから、私がほめても「ありがとうございます」しか言わない子になった。私は、これは変だ、と思っていた。
学校は、雇用主に絶対服従しないと生きていけない、と教えているのだろうか。

横浜市の別の特別支援学校高等部の男の子も、入学してから「はいそうです」しか言わなくなった。「はいそうです」では会話にならない。

親から聞くと、職業訓練と称して、環境園芸では畑仕事、流通サービスでは清掃、情報文化ではパソコン入力か社内便の配送、人間福祉では介護労働を教えているらしい。

私は園芸が楽しいことと思っていたら、親から聞くと、子供たちは、みんな、つらい、いやだと思っているとのことだ。

労働がつらいこと、耐えることと教えて、何の意味があるのか。労働は生きることの一環で、楽しいことではないか。

ホームページを見ると、特別支援学校は軽度の知的障がいの子が行くこととなっている。しかし、なぜ、知的障がいの子は雇用主の奴隷にならないといけないのか。

しかも、「ありがとうございます」しか言わない子も、「はいそうです」しか言わない子も、私から見れば、知的障がいではない。
手間のかかる子として、いじめられっ子として、普通級から締め出されただけで、私が教えれば、普通に勉強でき、豊かな言葉と感性を持った子たちである。
パソコン検定や漢字検定にも、うかるのである。
そんな子たちが、なぜ、知的障がい者として、自分のプライドをぼろぼろにして、「ありがとうございます」「はいそうです」とだけ言って、生きていかなければ ならないのだろうか。

泣いていいんだよ、と私は女の子に言った。
嫌なことは、やらなくていいんだよ、と私は言いたい。
人間には基本的人権が生まれながらにしてあるんだ。
だれにも人間の心を破壊する権利はない。

私の愛すべき子供たち、右利きと左利き

2021-05-25 09:32:54 | 愛すべき子どもたち

私の、死んだ父は、子供のときに、左利きを右利きに矯正された、と同じく死んだ母が言っていた。父は確かに左手が右手と同じように使えた。母が、父の子供時代のことをわざわざ私に話ししたのは、子供を無理やり矯正すると心がいじけると、母が思い込んでいたからだ。

最近、NPOに、左手で字を書くが、右手の指で漢字をなぞって、書き順とかを覚える子がいる、のを目撃した。私がその子にパソコンを教えているのだが、キーボードを見ずに両手でタイピングができる。本当に左利きなのだろうか。それとも、そもそも、左利きとか右利きとか言うこと自体がウソで、社会習慣に従うか否かの問題なのだろうか。

そう思うのは、私自身が、右と左の区別がつきにくい子だったからである。今、思い返すと、対面した時、相手の左側は自分の右側であることが、理解できなかったからである。数学的にいえば、対面した時は、相手と自分は軸対象の関係にあり、鏡の自分を見たときは、映っている姿と自分は面対象の関係である。

これが理屈抜きで理解できないと、相手が右手をあげて、「右手をあげなさい」と言うと、左手をあげてしまう。「お箸を持つ手が右手だ」と言って、お箸を右手で持って見せても、左手でお箸をもってしまう。

学習障がい、発達障がいと言っても、本当のつまずきの原因が同定できないと問題が解決できない。また、問題自体は、どうでも良いことかもしれない。

左利き、右利きは、利き手にあった道具を使えば問題がない。

漢字の楷書体は右利きに書きやすい形になっていて、「漢検」では、漢字の筆跡が、正しく跳ねているか、止めているかが採点の対象になる。これは字を左手で書く者にとって不利である。しかし、ワープロを使えば、両手を自由自在に使える者のほうが有利である。

私の愛すべき子どもたち、梅雨かやってきて 「うつ」になる

2021-05-19 22:46:31 | 愛すべき子どもたち


今年は梅雨が早いらしい。先週の終わりから、雨が振ったりやんだりしている。NPOで子どもの指導をしていると、梅雨になると、体や心の不調を訴える子どもが多くなる。早く来た分、梅雨が早く終われば良い。

先週は元気で、勉強するのが面白くなったという21歳の男の子が、今週、気持ちがなえると言う。何をやってもだめな気がすると言う。悪いことが続く気がすると言う。

これは、「うつ」が始まったのだと思う。4月の中頃は万能感に満ち、動き回っていた。ゴールデンウィーク前には、メンタルヘルスケアで好きな女の子ができたとも言っていた。4月の終わりに、彼は、自分で、そううつ(双極性障害)なのかもしれない、自制しなければいけない、と言った。

彼は、薬による「うつ」の治療を、この6年間続けている。病院を変えて、昨年からの担当医が、彼の相談によくのってくれ、私は安心している。6年間続いた引きこもり状態から、大学に行きたいという気持ちが強くなり、4月から受験を目指した塾にも通い出した。

先週、彼に会ったときは、女の子がメンタルヘルスケアのほかの男の子たちと親しげに話をしているの見て、心が冷めたと言っていた。しかし、まだ、うつ状態ではなかった。私と一緒に英語の勉強ができた。

女の子の件が変化の兆しだったのかもしれない。

彼は、この日曜日にネットで人格障害の記事を読んだと言う。自分が人格障害という気がしてきたと言う。自分は病気だと思い出したら、気持ちが沈みだしたという。そして、悪いことばかりが起きるという。塾の先生も冷たくて自分のことを思ってくれないという。自分は自己愛が強すぎるのだと言う。

だれが、そんな記事をネットに載せたのだろう。うつ病の人はただでさえ心が沈み込みやすい。精神疾患(メンタル・ディスオーダー)というのは、症候群で診断基準はあいまいである。たぶん、自己愛性パーソナリティ障害の記事を読んだのだろうが、パーソナリティ障害群はとくにあいまいで、素人判断して悩むべきでない。薬物治療が効かず、精神動力学など精神分析医が活躍する領域だが、面白おかしく書いた通俗本が多い困った領域でもある。

私は記事そのものを見てないが、自己愛は生きていくに必要なもので、悪いものではないと、彼に話しした。好きな人ができたら、自己愛と他者への愛とがバランスをとれて、生きていくことが楽しくなると話した。それでも気になるなら、担当医に相談しなさいと言った。

そして、二人で、つぎの結論に至った。早くやってきた梅雨が悪い。梅雨が悪い。