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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

会話が続かないが、素晴らしい絵心があるギフテッド・チャイルド

2022-04-15 23:34:38 | 愛すべき子どもたち

「2E」という奇妙な言葉がある。Twice Exceptionalのことである。日本語英語ではない。Wikipediaの英語版にものっている。単純化していうと、能力の凸凹が激しく、ある一面でとても才能に恵まれているが、他面では社会生活が困難な子どものことを言う。「子供」と言ったのは、Twice Exceptionalは教育家の立場からの言葉で、伸ばすべき才能があるが、支えるべき問題があるということである。

私はNPOでいろいろなタイプのいわゆる「発達障害児」を担当してきたが、能力の凸凹があるのは普通で、驚くことではないと思っている。

問題は「2E」とか「ギフテッド+発達障害」ということが、「金儲け」の対象にされていないか、ということである。金儲けの対象とされるのは、現在、私たちの社会が不公平のはびこる資本主義社会で、「特別教育」がその社会を有利に生き抜く唯一の手段であるかのように、親には見えてしまうことに原因があると思う。もし、私たちが平等を是とした中世の社会に生きていたら、「2E」なんてなんの問題を生まない。

親たちが現代社会の不公平を認めてしまうから、信じられないほど高い授業料の「特別教育」私立学校がでてくる。正札付き賄賂の道が公開されているようなものだ。これらの学校はテレビで宣伝したり、本を出版したりして、親たちを「2E」教の信者に囲いこむ。

これから、このブログで、私がNPOで担当してきた5人の子どもたちを順に紹介したいと思う。能力の凸凹がある子どもたち、何か才能があっても社会生活ができない子どもたちについて考える材料になることを願ってである。

今回紹介する子どもは、もはや、子どもでない。35歳である。はじめて会ったときは20代半ばをすぎていた。

パソコンで絵を描くのを指導してほしいということであった。アドビのIllustratorを使ってと、ソフト名を指定しての話しだったので、NPOで誰も引き受け手がいなかった。私は、外資系ITの研究所にいたからという理由だけで、押しつけられた。当日、私の前に現れたのはマスクをつけた青年である。なにもしゃべらない青年である。その青年の描く絵に魅せられて、いまや10年近くつきあってきた。絵にテースト(味わい)がある。ギフテッドである。

引き受けたとき、彼は、アニメのような絵を書いていたが、すぐに対象が、庭やテレビでみる花や生き物(昆虫、鳥、動物、家畜)になった。本人が選んだのである。

親から感謝されたことは、絵が上手になったことではなく、その青年が家で暴れなくなったことである。その青年は私から認められたことで、自分の立ち位置を見つけたのだろう。自尊心を得たのであろう。私は絵の指導をしていない。

父親は3年ほど前に退職した。暇になったらしく、ぶらっと話しにくる。それで、家庭での青年の生活ぶりがわかってきた。

不思議なのは、自宅では絵を描いていないことである。ソフトをもってきたのは父親であり、家にはパソコンもソフトもある。家で描くことができるのに描かないのである。私に見てもらうために描いているようである。

彼は、家では毎朝キチンと起きて、母親のために朝食をつくるのである。ご飯とお味噌汁とおかず(卵焼き、焼き魚、もやし炒めなど)をつくるのだ。

彼は、数独が得意である。

彼の問題は、人とうまく会話できないことである。言葉のキャッチボールができないのである。

数独ができるということは、無駄なく試行錯誤ができるということである。一時記憶に問題がないということだ。

会話ができないというのは、長期記憶の呼び出しがゆっくりとしか働かないことである。これに気づいたのオックスフォード小学校教科書の英語を読む指導をしてである。綴りから読みを思い出すのにすごく時間がかかるのである。忍耐をもって待ってやれば、読みを思い出し、声を出して読めるのである。

会話でもそうである。ゆっくりと時間をかけると意味を理解できる。返す言葉を見いだせる。しかし、急がすと定型の返事「そんなことはありません」が返ってくる。

したがって会ったときに話すことを定型にしておけば、まず、彼から話し出せるのである。現在、彼が私に声をかける定型文は「朝、何を食べましたか」である。それから、ゆっくりと会話の範囲を広げていけばよい。

さて、「特別教育」が彼に必要だったのだろうか。彼は発達障害の子どもたちを対象にした有名私立学校に通っていた。ストレスで学校で裸になって寝ころんだという。いじめも あったのではないかと思う。

特別な教育はないよりある方がよいだろう。しかし、大事なのは、社会が、その子の特性を理解し、受け入れ、その子の自尊心を育てることではないか。

彼の絵は素晴らしいから、アクセサリとか、文具の絵とか、ハンカチの絵とか、に採用してくれる会社があれば、彼の自尊心はますます安定して、家庭も円満になると思う。美大の卒業生の製作したデザイン画のほうが、彼の作品よりいいとは限らない。学校が教えるのは技術であって絵心ではない。


私の愛すべき子がアインシュタインの天才に歓喜する

2022-02-06 22:26:37 | 愛すべき子どもたち

私の愛すべき子に、低気圧が近づくと急に体の調子が悪くなって、NPOの放デイ教室にやってこれない男の子がいた。彼の家は教室から歩いて、たった5分のところの市立集合住宅であるのに。そのことだけを除いて、母子家庭ということを感じさせなかった。いつも、自分は自分の道を歩むのだという、人に頼ろうとしない子であった。

自意識が強いのか、いまだにスタッフにうまく挨拶ができなく、スタッフによっては、変な子と思っているようだ。

母親に工業高校に行けば、好きなことだけを勉強すれば良いのだから、と言われて公立の工業高校電気科に進学した。受かるかどうか私は心配したが受かった。入学して、ロボット部と柔道部にはいった。私は体がもつかどうかを心配した。

その子は低気圧が近づいても休まないようになった。学校でトップをとりたいと思うようになった。しかし、何か疲れているようにも見えた。

工業高校は色々なことを教える。色々な資格を取らせる。たとえば関数電卓を買わせてその操作のテストまで受験させる。工学上の色々な公式の計算をその関数電卓でできるかを試験するのだ。彼は気まじめにそれらに取り込む。

私はますます彼の健康を心配した。

昨年の秋、彼の病気の原因が見つかった。コロナ禍でなかなか執刀医が見つからなかった。12月にはいって、腹腔手術の日取りが決まり、無事、手術が終わった。1週間ほどで退院でき、暮れには、彼とのリモート学習が始まった。

病み上がりの彼が、微積分を使って力学を理解したいというので、慌てて教材を作った。彼は微分を習い始めたばかりで、彼の使っている教科書も見ていないので、どこまで話していいのかが、わからない。時間をかけて教材を作り始めると、大学1年のレベルの力学を理解してもらうのに、ずいぶん微積分の知識がいるのに気づいた。そんなこともあって、私のリモート講義にわかったという顔をしてもらえず、気まずい思いをした。

先週は、微積分と力学の講義を続けるのをやめて、アインシュタインの話をした。アインシュタインは一般相対論で数式をいじり回したが、もともとの彼は、数学に頼らず直観的に自然を理解することで、論文も簡明だ、と話しをした。特許庁に務めて、そこで最新の論文を読み、一人で研究した。子どものときは語学や歴史が嫌いで成績が良くなく、彼のお手伝いさんは「知恵遅れ」と思っていたと話した。

私の愛すべき彼は、突然、「アインシュタインは天才だ」と叫び始めて、ぱっと顔が明るくなった。「アインシュタインは8歳まで言葉が話せなかった」と言い出した。

ひさしぶりに顔が輝いた彼をみて、私は うれしかったが、せっかく作った教材『高校生のための微積分と力学』が反古(ほご)になったのは、なんとなく惜しく思う。


権威に逆らうことはとっても楽しいだゲームだ

2022-01-12 22:11:45 | 愛すべき子どもたち

先日、九州にいる息子が、あかんべーをしている孫の動画を送ってきた。3歳を過ぎたばかりであるが、親に逆らって、わざと変な顔をする楽しさに、孫は気づいたのだろう。

逆らうことは楽しい。妻といっしょに笑いながらその動画を見ていた。

この9年間、NPOで、知的に発語が難しい子ども(22歳)の言語指導を私は行っている。自分の思いを言えないとストレスが溜まるだろうし、外で虐待されても話せなければ訴えることができない。会話の練習をしているのだが、その子は、ときどきストレスが溜まって、私に逆らいたくなるように見える。そんなときは、わざわざ、逆らうように私は仕掛ける。

「リンゴが好き?」と私は問う。その子は「好きじゃない!」と返す。本当はリンゴが好きなことを私は知っている。「バナナが好き?」と私は問う。その子は「好きじゃない!」と返す。これも、好きなのである。私はつぎつぎと果物の名前をあげていき、その子はすべて「好きじゃない!」と答える。つぎに「ケーキが好き?」とお菓子や飲み物に移る。それも終わると、料理に移る。「好きじゃない!」というゲームを終えたいときには、「お母さんが好き?」と言えばよい。すると、その子は「好き!」と答える。

それでゲームはおしまいになって、その子は上機嫌になる。

逆らうことは本当に楽しい。

私も、中学生や高校生のとき、先生をからかったり、逆らったりした。その楽しさが、わかる先生は、みんなの前で、そのゲームに参加してくれた。ところが、たまに、それがわからないで、みんなの前で、「そんなことをしていると、ろくな人間にならない」と真顔でお説教する先生がいた。権威に逆らうことの楽しさを理解できない先生がいた。


愛すべき子どもたち、新型コロナ後の世界がいま始まる

2021-11-21 21:51:41 | 愛すべき子どもたち

いま、不思議なほど、新型コロナが なりをひそめている。海外では新型コロナの感染がぶり返しているのに、日本では静かになっている。

理由がわからないが、子どもを相手にしている私たちにとって、これは、ありがたいことである。私のいる放課後デーサービスでも、子ども同士が接触しない対面指導に加えて、子ども同士が遊んだり、食べたりすることを、先週から解禁した。教室が、急に にぎやかになった。華やいだ。まだマスク着用が原則だが、うれしい限りである。

うれしいことはそればかりでない。

胆管を手術した子どもがようやく退院できた。炎症を起こして手術の予後が悪く、とても心配だったが、あすからリモート学習に復帰できる。母子家庭の子である。

彼は、物理や数学が好きな工業高校の電気科2年生だ。障害をもった人の義手・義足を開発したいという。人に負けたくないという性格があるので、点数をとることより、好奇心と考える能力を育てたいと思い、高校の範囲を超えた話をしてきた。一般相対論や量子論の話もしてきた。よく、私の話に食らいついてきた子だった。

また、今年の4月から担当した子どもが高校に受かった、と木曜日に連絡があった。この子は会ったときからずっとマスクをしていたので、素顔をしらない。

勉強がまったく嫌いだし、じっさいに、できない。勉強になると全くいじけてしまう。好きなことはゲームである。パソコンゲームやアーケドゲームをしまくっている。中学でパソコン部にはいっているので、プログラミングが好きかと思ってC言語を教えようとしたが、成功しなかった。私の教え方は難しすぎると言う。

彼もユニークな子である。キーボードからだとどんどん文章が書ける。勤め人ではなく自営業になりたいと言う。どんなことをしたいかと問うと、VRカフェを開きたいと言う。安い値段で仮想現実の世界をみんなに楽しんでもらいたいと言う。

彼の受ける高校の入試に面接と作文があった。面接は大丈夫だと本人は言う。親は作文が心配だと言う。キーボードからだと どんどんと書けるから大丈夫だと思ったが、紙と鉛筆をもたすと全然書きだせない。本人は手が自然に震えると言う。書けた文章も、小学校低学年の漢字も書けていず、平仮名ばかりで、読みにくい。せっかくの個性あふれる文章が紙だと展開できない。

こんなユニークな子を見捨てよいものか。

作文の課題を予測して、練習することにした。キーボードから入力した自分の文章を鉛筆を使って紙に写す。筆圧が弱いので、芯のやわらい鉛筆を使う。小学校低学年レベルの漢字は できたら 覚える。句点と読点の使い方をまちがわない。平仮名が多くなって読みずらいときは、1字コマをあけるか、句点をいれる。漢字使用の反対論者の私が、とにかく、読める文章を作成するよう、指導した。

いまは、子どもの自尊心を傷つけにすんだので、ほっとしている。本当は、マス目の原稿用紙に文章を起こすのは、作文という観点からは間違っているのだが。


気持ちが落ち込んだとき何か気楽にできることがあるとよい

2021-06-01 22:54:51 | 愛すべき子どもたち


今年も大変な子どもをNPOで何人か引き受けた。心が傷ついている子が特に大変である。閉じた家族の空間でぐるぐる回って親子が傷つけあっている。私のところに通ってくれるだけでうれしい。通ってくれれば何とかできるかもしれない。心の重荷がいまより少しでも軽くなってもらえるかもしれない。

このまえの梅雨で落ち込んでいた若者は、また、元気をとり戻しつつある。先週、会ったときは、昔は自分だけでなく母親も弟も、家族みんながおかしくなっていた、と自己診断している。大学受験のためもあるが、生まれてはじめて英語の勉強するのが楽しくなったと言っていた。強くなっているし、もっと強くなれる。

その彼から、突然、金曜日の夜遅くに、「孤独すぎて頭がおかしくなりそうです。なにも楽しいことがありません。」とメールが来た。

もしかしたら、メンタルヘルスケアで出会った女の子への失恋が尾を引いているのかもしれない。先週の彼との会話を思い出すと、中国の話したこともないYou Tubeの女の子と話すために中国語を勉強したい、と言っていた。

その若者は、強迫症と絡まって、うつがもっとひどいときだが、アイドルに熱を上げる理由を教えてくれた。アイドルとは偶像(アイコン)なのだと言う。実在しているが、自分とはつながることない切り離された対象なのだ。だから、安全なのだ。

その若者が実在の生きている女の子に恋をしたというのは、うつが治りつつある証拠だ。あの世からこの世に関心が移ったのだ。あの世からこの世に生を移せば、気落ちすることはいっぱいある。気落ちしてもまた元気になればよい。また元気になれるなら、どんなに落ち込んでも、うつとはいわない。

それに、その女の子に本当に嫌われているのか、彼の話を聞いても判然としない。まだ、女の子にアタックする勇気がないだけかもしれない。まだまだ、成長する余地がある。まだまだ強くなれる。

とりあえず、私は、先々週受けと取った彼のエッセイ『病気』をほめて、以前の未完の音楽論、『作曲家ラモーリス・ラヴェル』を書き上げるよう、メールを送った。

それでも、不安なので、私のお気にいりのマリナ・デビャトワ(Марина Девятова)が歌う"А он мне нравится"をYou Tubeで聞いてみるように、メールをもう1度送った。さらに、この曲の歌詞を、わざわざ、ロシア語のままつけ、「翻訳ソフトで訳しみてごらん」とメールした。

気持ちが落ち込んだときには何か気楽にできることがあるとよい。そう思ったのである。

1日して、彼からメールが来た。「さっきまでラヴェルの文章を半年ぶりに書き加えてました。気分が良いものです。」

さらに1日遅れて、「歌詞、翻訳して書き出しました。歌詞の意味を知って、深く共感しました。正に今の僕の境遇を表したような曲だと思いました」とメールが来た。

送った歌曲は、ウラジミール・シャインスキー (Владимир Шаинский)が若いとき、トップ人気歌手アンナ・ゲルマンに捧げたコミカルな曲で、大ヒットしたものだ。というのは、ウラジミールはとても小さいユダヤ人で、アンナは大きなドイツ系の女性だからだ。

曲のタイトル"А он мне нравится"は、「それでも彼は私が好き」という意味である。ネット上では「彼が好き」というタイトルで広まっているが、それは間違い。

その歌詞は、彼は小さくて不似合いだとみんながいうが、彼は私のことを大好きだ、という女の「好かれるのがうれしい」という微妙な気持ちをコミカルに歌い上げたものである。アンナが歌うとコミカルの中にシニカルさを感じてしまうが、民謡歌手のマリナが歌うと、明るいコミカルな曲になる。そして、送ったマリナのYou Tubeでは、老人になった小さいウラジミールがマリナの歌声に伴奏している貴重なものである。

興味を持たれた方のために、歌詞の一番のみをかかげるから、翻訳ソフトをためしてみてください。

 А он мне нравится

Мне говорят: «он маленького роста»
Мне говорят: «одет он слишком просто»
Мне говорят: «поверь что этот парень
Тебе не пара совсем не пара. »
А он мне нравится, нравится, нравится!
И для меня на свете друга лучше нет
А он мне нравится, нравится, нравится
И это всё, что я могу сказать в ответ