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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

分科会会長の尾身茂は緊急事態宣言の記者会見で何を語ったか

2021-07-30 23:53:54 | 新型コロナウイルス

今晩、神奈川県・埼玉県・千葉県・大阪府の緊急事態宣言の発出と東京都・沖縄県の緊急事態宣言の延長に伴い、菅義偉と尾身茂の記者会見があった。

菅義偉は、会見中、つねにあたりをうかがっており、終わったら嬉しそうにいそいそと帰っていった。菅の発言は、責任逃れに終始し、ワクチン接種を進めている、重症化は抑えられており、新しい治療法も承認され、新型コロナの感染爆発は何も怖くないというものであった。新型コロナの感染爆発が怖くないなら、緊急事態宣言の発出や延長をする必要がない。この感染爆発を危機で早急に抑え込まなければ、ならないという認識がなく、いかに総理大臣の座を守るかに終始していた。

どうしようもなく人間がぼろい菅をおいておき、ここでは、分科会長の尾身茂の発言を追おう。

尾身は、これまでにない危機のなかに私たちがあるという。火事が燃え盛っているので消さないといけないという。どうすれば、感染拡大を下火にもっていけるか、わかっているのだと言う。人と接触しないことだという。普段会わない人と会わないことだという。

緊急事態を宣言しても効果がないのは、社会で危機が共有されていないことだという。みんな感染対策が重要だと思いながら、元の生活に戻りたいと思っている。複雑な気持ちでいるのだ。このようなとき、政府の発する言葉は重要だが、政府の行動が言葉と一致してないといけない。ワクチン接種、感染検査、医療体制に一生懸命に働いていないといけない。ちょっとでも心配なら、PCR検査・抗原検査が気楽にどこでも受けられるのでなければならない。ワクチン接種だけでは、現在の感染爆発は抑えられない。

欧米ではロックダウンをおこなっている。接触する人数を減らすために、一般市民に強力してもらために、強い法的規制が検討されないといけない。最低でも10人以上の人が集まってはいけない。上限を5人にするか2人にするかは、都道府県で決めてもらわないといけない。

その通りだと思う。いっぽうで、私は、きょうの尾身の発言だけでは、危機意識を社会に共有してもらうのは難しいと思う。菅は、尾身の発言と反対の方向を向いているからだ。

また、ワクチンがすぐに解決策にならないことを具体的に警告する必要がある。

きょうのTBSの『報道1930』で、新型コロナのデルタ株の基本再生産数が8~9であると言っていた。基本再生産数は、免疫も行動規制もない状態で、一人の感染者が周りの人のうち、何人に感染させるかという数字だ。8~9とはとてつもなく大きな数だ。

実際には感染が拡大すると、人は外出しなくなるので、この数が小さくなる。それを実効再生産数という。

ワクチンを接種推し進めるのは、保菌者が8~9人にうつしても、ほとんどの人が免疫をもてば、発症者が1人未満になるかもしれない。そうすれば、感染が下火になる。そのためには約90%の人が免疫をもたないといけない。菅が国民の4割がワクチン接種すればというのは全く根拠がない。

しかも、ワクチン接種をうければ、すべての人が免疫をもつわけではない。ファイザ社やモデルナ社のワクチンは緊急承認時に95%が免疫をもつとされた。しかし、デルタ株には約70%程度とも言われている。したがって、2回の接種では、デルタ株の新型コロナ感染の拡大を抑えられず、イスラエル政府は3回目に接種に踏み切った。

デルタ株に対しては、ワクチン接種とともに、国民の行動変容が依然として要求されている。したがって、総理大臣ともあろうものが、安全安心と国民に向かって言ってはいけない。そして、政府は、ワクチンの確保、供給体制の整備、感染検査の普及、医療体制の確保に、危機意識に支えられて、全力でとりくまないといけない。

医療体制の確保といっても、人材の育成は2,3年でできるものではないので、結局、感染しないための「行動変容」が、医療崩壊を防ぐのに、一番重要である。

人混みの中に出かければ感染のリスクを冒すことを徹底させる必要がある。混んだ公共交通機関の利用も感染のリスクを冒す。飲食だけが問題ではない。市中感染が起きていることを強調すべきである。


18世紀のワクチン接種論争

2021-07-29 22:37:53 | 新型コロナウイルス

今日の朝日新聞の文化蘭に面白い寄稿があった。隠岐さや香の『18世紀の予防接種論争』である。

予防接種とはワクチンのことである。隠岐さや香はつぎのように書く。

《18世紀のフランスでも予防接種論争があった。当時は天然痘の予防接種が試されつつあったが、致死率の高い危険なものだった(低く見積もっても200人に1人は死亡)。学者が賛成派と反対派に分かれて争った。》

昔のワクチンがこんなに危険なものとは知らなかった。

《賛成派には、統計モデルを用いて長期的にみて死者がどのくらい減るかを論じるものが現れた。》

「長期的」の意味は、短期的にみれば、健康な人がワクチンを受けるメリットがないということである。いま健康な人が、なぜワクチンを受けて200分の1の確率で死なないといけないのか、という問題があるのに、「統計」「長期的」にみれば、メリットがあると言ったのである。

これに対して反対派のダランベールがつぎのようにいった。

《「接種は国家にとって国民の人口の分だけ試せる賭けだが、個人にとっては1回しか試せない賭けである。何が起きるかが心配なのは非合理的な反応とは言えず、無理強いはできない」》

今も昔も、統治者の立場からすると、個々の人の命はどうでも良いのである。ダランベールは、統治される側に立って、反論したのだ。

なお、ダランベールは当時の数理物理のフランスの第1人者だが、古典解析力学のなかに名を残すだけで、科学史家以外、今では忘れられた人である。

それでも、ダランベールは、とってもまともなことを言ったのだ。

この寄稿はつぎで終わる。

《なお、フランスでは若き国王ルイ16世が学者の説得に従い接種を受け、高熱に苦しんだ。》

菅義偉は、「GOTOキャンペーン」「安全安心オリンピック」といって、「人流」を煽って、いま、史上最多の新型コロナ感染拡大を迎えている。その責任追及をのがれるために、新型コロナがたいした病気ではない、ワクチンがある、治療薬がある、と言いまくっている。ワクチンの安全性はこれから検証されるものである。治療薬も、入院を要しないインフルエンザの治療薬と異なり、入院して点滴で投薬されるものである。

政府は「安全安心」を言うのではなく、いまなお、感染の危険をいうべきである。きのうのTBS『報道19:30』で、コメンテーターの堤伸輔は「たしかに65歳以上の感染率は減っているが、その絶対数は増加している」と指摘した。65歳上の何パーセントがワクチン接種がすすんだか、自治体の自己申告であり、本当のことはわからない。たぶん、ワクチン不足とワクチン不信のこともあり、諸外国と同じく70%以上は進まないだろう。

[補遺]

天然痘ワクチンの確立者、エドワード・ジェンナーについて、ウィキペディア参照して書き記そう。

彼が8歳の子どもに、牛の天然痘(牛痘)を接種して、天然痘の予防効果があると示したのは、1796年である。上の18世紀の接種論争の半世紀前である。ジェンナーの開発したワクチンは安全であったのである。安全なワクチンを開発すれば良いのである。

私の子ども時代のジェンナーの伝記では自分の子どもに接種したとなっているが、ウソで、使用人の子どもを実験台に使ったのである。偉人伝は作家の作り話であることが多い。

さらに、ジェンナーの牛痘によるワクチンは、20世紀になって牛の天然痘ではないことがわかった。21世紀になって、遺伝子解析から馬のかかる天然痘のウイルスであることがわかった。ワクチンの難しさである。

 

[関連ブログ]


感染恐怖こそ究極の新型コロナ感染対策、そしてオリンピック中止

2021-07-28 22:22:10 | 新型コロナウイルス

いま、新型コロナ感染が急拡大している。東京都の新規感染者数は過去最多の3177人、神奈川県も過去最多の1051人、埼玉県も過去最多の870人、千葉県も過去最多の577人、全国の新規感染者数も1日9576人で過去最大である。

打つ手なしで、東京都が過去最多の2848人となった昨日、「いたずらに不安をあおらないでほしい」と、東京都福祉保健局長の吉村憲彦が報道各社に伝えた。

逆でしょう。人びとの感染恐怖で、「人流」がとまり、「三密」が避けられ、「マスク着用」を守り、公共交通の利用もへり、テレワークが進む。

これまで、緊急事態宣言の発出で感染が抑えられたのは、自治体による居酒屋の閉鎖よりも、国民の感染恐怖による自主的行動変容によるところが大きい。だから新型コロナの感染が拡大しても恐れるに値しないと言っていいはずはない。

東京都はエクモや人工心肺をつけている人だけを重症者といっているが、酸素呼吸器をつけている人、点滴による治療を受けている人びとがいま急拡大している。治療技術の進歩によって重症化が防げているが、感染拡大が急増すれば、このような医療を受けられない。治療を受けられなければ、重症化、死亡ということになる。また、多数の感染者が病院に押し寄せれば、心臓病や腎臓病や肝臓病などの患者に確立した通常の医療が行えなくなる。

感染の恐怖心からの行動変容が依然として重要なのだ。

打つ手がないと政府は言うが、打つ手はある。オリンピックの中止である。みんなの行動変容しかないという、政府の強い意思表示である。全国民に危機感を共有してもらうためには、恥を忍んでの政府によるオリンピック中止の決定しかない。新型コロナに感染しても安全安心と言っているようでは、感染がこのまま拡大して、医療崩壊が起きるしかない。


新型コロナ、もの言うだけでなく、国民に直接話しかける専門家たちに拍手

2021-07-25 22:32:29 | 新型コロナウイルス

7月9日の朝日新聞『(耕論)もの言う専門家  新型コロナ』は物足りない。新聞社側の人選が失敗しているように思える。

専門家一般論でいうと、行政機構の中の保健所などの現場の専門家、アドバイザリーボードや分科会や審議会などの専門家、大学や民間医療機関・研究所など政府の外の専門家が当事者としてある。専門家といっても、いろいろな立場があるのだ。

今回の朝日新聞の人選はすべて政府とかかわりをもっている。しかも、現場でなく、上からの立場である。小児科医で自民党参議院議員の白身英子、元厚労省医務技官(次官級)の鈴木康裕、旧科学技術庁出身大学教授の佐藤靖が論者である。

そのため、最終意思決定者が、首相でも、政治家でも、専門家でもなく、国民であることが言及されていない。民主主義社会では、専門家は国民に奉仕することが求められる。国民に情報が公開されていること、国民の意見が対策に反映されていることが求められる。

もし、国会議員が国民を代表しているという建前にもとづくなら、新型コロナの感染が拡大しているのだから、少なくとも、臨時国会が開かれていないといけない。安倍晋三内閣のときも、現在の菅義偉内閣においても、臨時国会が開かれていない。

欧米で一般に言われていることは、専門家たちが行う一番の危険は、専門家集団が実権をにぎり、国益という議論を振りかざし、国民の一人ひとりのことを思わず、統計を通してしか国民を見ないことである。民主主義を無視することである。

例えば、新型コロナで、多くの人が助かれば、国民が多少死んでも構わないとか、ワクチン接種を促すために副反応の情報は覆い隠すとか、そう考える専門家も出てくる。

いっぽう、日本では、欧米と異なって、専門家より首相の意思が上位にあるという、独裁的傾向のほうが、強い。過去の例でいうと、首相の思い付きに合わせるために、体裁をつくろうデータを揃えたり、政府の政策に反対しないメンバーを集めて、専門家会議の名前の下に、政府の施策を権威づけることが、通例であった。

この日本の縦社会の中で、昨年の新型コロナ感染対策専門家会議の勇気は特筆すべきである。「もの言う専門家会議」であった。それだけ、感染症専門家の間で危機意識が強かったのだと思う。尾身茂は、北海道大学教授の数理疫学の西浦博を引っ張り出して、人と人との接触を抑えるため、政府の思惑を超えて、国民に直接訴えた。この点を、論者3人ともあまり評価していないのにびっくりした。

民主主義とは、選挙で当選した国会議員が選んだ首相だけが、国民に話しかけられるのではない。専門家たちが、動かない政府より、国民に直接話しかけることこそ、民主主義的である。

また、政府の権威がなくても、民間の専門家は本当のことをみんなに言うのが、民主主義の正しい作法である。今回は各局のテレビ関係者たちも色々な専門家たちに声をかけて、発言させた。これも民主主義の正しい作法である。私は、大学の研究者だけでなく民間病院の医師たちまで新型コロナ感染対策に発言していたことを評価する。

私は、今回のこの幅広い専門家たちの頑張りを高く評価したい。


東京都の緊急事態宣言に賛成だが、ポーズでは困る、真面目にやれ

2021-07-07 22:53:05 | 新型コロナウイルス

きょう、東京都に緊急事態宣言をすることで、政府内で意見がまとまったという。

三密を避ける、人流を抑えるという自粛要請は、新型コロナの感染を抑えるに役立っている。緊急事態宣言は、これまで、この自粛戦術を支えてきた。会社がテレワークを進めるのに、大学がリモート講義を進めるのに、緊急事態宣言が錦の御旗になる。

だから、私は、東京都に緊急事態宣言をすることに賛成である。神奈川県や埼玉県や千葉県でも緊急事態宣言をする必要があるのではないか。

問題は、三密を避ける、人流を抑えるという自粛要請と矛盾するオリンピック開催を政府が強行することだ。少なくとも全国のオリンピック会場で無観客とすべきである。それでも、日本人の観客がいないだけで、IOC関係者とその家族、報道陣、スポンサーが特別枠として会場にはいる。これが、日本の会場係や警備員や医療関係者に大きな負担をかける。この問題の責任を誰がとるのか。選手に責任がないとすると、菅義偉に責任をとってもらうしかない。

緊急事態宣言が役立たないというコメンテーターがいる。しかし、これまで、確実に感染拡大を抑えてきた。感染症は人と人とが接触しなければ感染が広がらない。

感染経路がわからないというが、感染経路を調べなくなったからではないか。感染経路が家庭や職場だというが、家庭や職場にウイルスを持ち込むものがいるからで、どこから持ち込まれたかの経路をちゃんと調べるべきではないか。人が集まる場所、電車内、駅構内、デパート、繁華街が感染現場になっているのではないか。

酒を飲む店でウイルスをもらってくるなら、その根拠を明確に示し、開いている店を厳罰に処すべきではないか。新聞をみると、自粛要請を無視する店に大量の人々があつまっているという。こういうのを放置すると、緊急事態宣言しても、人々は三密を避けたり、外出を控えたりしなくなる。

お酒を飲まなくても、人は本音で話し合うことができる。逆に、酔って話したことが、本音と限らない。単に酔うことで脳の働きが低下するだけである。必要な規制を実施すればよい。ビール会社や造り酒屋に遠慮することはない。

メディアや政府は、欲に絡んだ人々やわがままな人々の味方をする必要はない。

スーパーコンピュータ富岳でオリンピック開会式場で感染の可能性をシミュレーションしたという。理化学研究所はスーパーコンピュータの無駄遣いをしているのではないか。やっていることは、流体方程式を数値的に解き、空気と水滴の流れを追っているだけではないか。こんなことをやっても感染防止に役立たない。それより、新型コロナのRNAの変異がウイルスのどんな特性の変化をもたらすのか、など、もっと本質的な研究に使うべきでないか。理化学研究所は本来そういう研究をするところではないのか。見識を疑う。

緊急事態宣言は、ワクチン接種が行き届くための時間稼ぎである。

ワクチンの供給を私は追っているが、別段、ファイザー社の供給量が予定より減ったわけではない。5月の時点で予定したより、6月、7月の供給量はわずかだが増えている。ワクチン不足の問題は、それよりも、政府の配給体制の計画性のなさである。オリンピックの強引な開催のために、集団接種、個別接種、大規模接種、職場接種と増やし、どこにどれだけの高齢者、基礎疾患者、エッセンシャルワーカーがいるのかも調べず、申請があれば配給することで、ワクチン接種を強引に進めた。そのつけで、どこかにワクチンがあまって、必要なところにワクチンがいかないということになった。選挙対策のポーズしか考えない自民党公明党の責任である。

[補遺]

7月11日の朝日新聞によると、モデルナ社と結んだ5千万回分のワクチン供給契約は、昨年の発表では今年の6月末までに4千万回分、9月末に残り1千回分の供給を受けることになっていたが、実際には、今年の6月末の時点で1370万回分しか供給されなかった。大規模接種や職場接種予定のモデルナ社の不足分を、ファイザー社のワクチンを回したため、今度は、集団接種、個別接種のワクチンが足りなくなったという。

この手違いは、なぜ起きたのか、河野太郎は事実を明らかにすべきだ。事実を明らかにしない謝罪は、同じ誤りを繰り返すことになる。