猫じじいのブログ

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新型コロナ、もの言うだけでなく、国民に直接話しかける専門家たちに拍手

2021-07-25 22:32:29 | 新型コロナウイルス

7月9日の朝日新聞『(耕論)もの言う専門家  新型コロナ』は物足りない。新聞社側の人選が失敗しているように思える。

専門家一般論でいうと、行政機構の中の保健所などの現場の専門家、アドバイザリーボードや分科会や審議会などの専門家、大学や民間医療機関・研究所など政府の外の専門家が当事者としてある。専門家といっても、いろいろな立場があるのだ。

今回の朝日新聞の人選はすべて政府とかかわりをもっている。しかも、現場でなく、上からの立場である。小児科医で自民党参議院議員の白身英子、元厚労省医務技官(次官級)の鈴木康裕、旧科学技術庁出身大学教授の佐藤靖が論者である。

そのため、最終意思決定者が、首相でも、政治家でも、専門家でもなく、国民であることが言及されていない。民主主義社会では、専門家は国民に奉仕することが求められる。国民に情報が公開されていること、国民の意見が対策に反映されていることが求められる。

もし、国会議員が国民を代表しているという建前にもとづくなら、新型コロナの感染が拡大しているのだから、少なくとも、臨時国会が開かれていないといけない。安倍晋三内閣のときも、現在の菅義偉内閣においても、臨時国会が開かれていない。

欧米で一般に言われていることは、専門家たちが行う一番の危険は、専門家集団が実権をにぎり、国益という議論を振りかざし、国民の一人ひとりのことを思わず、統計を通してしか国民を見ないことである。民主主義を無視することである。

例えば、新型コロナで、多くの人が助かれば、国民が多少死んでも構わないとか、ワクチン接種を促すために副反応の情報は覆い隠すとか、そう考える専門家も出てくる。

いっぽう、日本では、欧米と異なって、専門家より首相の意思が上位にあるという、独裁的傾向のほうが、強い。過去の例でいうと、首相の思い付きに合わせるために、体裁をつくろうデータを揃えたり、政府の政策に反対しないメンバーを集めて、専門家会議の名前の下に、政府の施策を権威づけることが、通例であった。

この日本の縦社会の中で、昨年の新型コロナ感染対策専門家会議の勇気は特筆すべきである。「もの言う専門家会議」であった。それだけ、感染症専門家の間で危機意識が強かったのだと思う。尾身茂は、北海道大学教授の数理疫学の西浦博を引っ張り出して、人と人との接触を抑えるため、政府の思惑を超えて、国民に直接訴えた。この点を、論者3人ともあまり評価していないのにびっくりした。

民主主義とは、選挙で当選した国会議員が選んだ首相だけが、国民に話しかけられるのではない。専門家たちが、動かない政府より、国民に直接話しかけることこそ、民主主義的である。

また、政府の権威がなくても、民間の専門家は本当のことをみんなに言うのが、民主主義の正しい作法である。今回は各局のテレビ関係者たちも色々な専門家たちに声をかけて、発言させた。これも民主主義の正しい作法である。私は、大学の研究者だけでなく民間病院の医師たちまで新型コロナ感染対策に発言していたことを評価する。

私は、今回のこの幅広い専門家たちの頑張りを高く評価したい。



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