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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

脱炭素とは脱石炭のことか、G7エネルギーでの欧米の陰謀

2022-06-02 22:43:48 | 国際政治


きょう、新聞に、島根県知事が原発の再稼働を認めるとの記事があった。思いおこせば、年初にEUが脱炭素のために原発を推進するということがのっていた。今回のG7では電源として石炭の使用を段階的に停止することが話し合われた。

脱炭素とは、温暖化ガスの1つであるCO2を大気から削減することでなかったのか。石油も天然ガスも燃やせはCO2が発生する。

また、原発は核分裂連鎖反応を利用しているから放射性物質の生成を防げない。

欧米、とくにフランス、ドイツ、イギリスの言っている温暖化対策は、自分たちの都合ばかりを言って、しかも、温暖化ガスの削減を金儲けの手段に使おうとしていると、私は疑っている。もともと、フランス、ドイツ、イギリスは石炭の依存度をすでに下げている。だから、脱炭素と称して、1935年までに石炭の使用を段階的廃止を言っているだけである。フランスは原発建設・運営が国営企業だから脱炭素の代替策として原発を押しているだけである。

メディアはもっと欧米の勝手な論理を批判すべきではないか。ウクラナイへの軍事侵攻を機に、欧米の主張に流されすぎてはいないか。ウクラナイの不幸は欧米の勝手な論理の帰結ではないか。

島根県知事が原発の再稼働を認めるとのトンデモナイ発言に、いままで溜まっていた私の憤りが爆発しかかっている。欧米の正義は、あくまで、欧米の支配階級の勝手な論理である。

[補遺]
いわゆる温暖化ガス対策の議論には細部の怪しげさと総合的視野の危うさがあり、政治にもてあそばれている。総合的視野とは、地球環境全体としての問題である。温暖化ガスだけでなく、人類が生きていくには、水資源や食料の問題がある。そこでは、大地の植生の問題がある。
植物は大気中の炭酸ガスを吸収し、固化してきた。だから、いま、石炭がある。酸素が不足する環境では植物が細菌などに分解されると石炭になる。ところが、現在、海の炭酸ガスの吸収が大きいとわかると、温暖化ガス対策から植生の問題が見捨てられる。
工業化社会の立場からしか温暖化対策を立てないで、炭酸ガスの排出権の売り買いを論ずる経済専門家は人類を裏切っているとしか、言いようがない。

[補足]
島根原発2号機は福島第1原発と同じBWR型で、1989年2月に運転開始された。島根県の松江市から約10km、鳥取県の境港市から約20km、米子市から約30kmに位置する。島根県知事の判断だけで再稼働してよいのかという問題も残っている。

アメリカ政治学者 中山俊宏の突然の死を惜しむ

2022-05-10 22:32:16 | 国際政治

アメリカ政治学の中山俊宏が5月1日に くも膜出血で死んだ。55歳での死である。もっと話を聞きたかったので残念だ。

アメリカ社会に住む人びとは多様である。しかし、政治の表舞台に出てくる層はその一部である。人間が悪いから政治の表舞台に出て来れるのだ。したがって、批判的視点をもってアメリカの政治を見ないといけない。

中山俊宏をテレビで はじめて見たのは、11年前、「ウォール街を占拠せよ」運動についての座談会である。このとき、彼は、アメリカで「機会平等」というアメリカン・ドリームが死につつあるとコメントした。このとき以来、彼を私は信用している。

アメリカン・ドリームという幻想は、ほんのわずかな人の成功をもって、不平等を肯定するペテンである。確率で考えると、アメリカ社会では、金持ちが もっと金持ちになる確率が、貧乏人が金持ちになる確率より、はるかに大きい。競争社会で確実に勝つにはイカサマをするのが早い。もちろん、多くの人が公平な競争が行われていると信じているとしてである。金持ちは自分が勝つ可能性の高い法律や制度や信念を社会に押しつける。

今回のロシア軍のウクライナ侵攻で、日本や欧米のメディアが西側の価値をほめたたえている。しかし、西側の価値とは怪しげなものである。単にアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスで権力の座にあるものに都合のよい理念を述べているだけである。

西側の価値の1つである「自由」は「私的所有」を拡大する自由である。誰にも命令されない、あれこれ指示されないという「自由」のことは おおやけには 忘れられている。どこかに「務める」ということに対する嫌悪感を誰もおおやけに口にしない。私は、就職するということがとても嫌だった。なぜ、上司に私が命令されなければならないのか。

「私的所有」を拡大する自由は貧富の差を拡大する。しかし、「公的所有」も必要ではないか。「道路」が私的所有の対象で、道路を使用するたびに通行料を払わなければならない社会が望ましいのか。人の命がみな平等なら、救える命を救う医療が公的なものでなければ、おかしいのではないか。

「私的所有」の自由よりも、上司や部下という関係を否定する「自由」のほうがだいじではないか。雇用、被雇用という関係を拒否する「自由」のほうが楽しくないか。

西側の価値のもう1つの「民主主義」は「議会制民主主義」と「三権分立」である。しかし、宇野重規が指摘するように、デモクラシーはギリシア語のデーモス(大衆)とクラトス(力)の合成語である。したがって、本当に大衆が力をもてているのか、に着目して議論しないといけない。多くの国では行政府が権力を握ってしまう。とくに日本では、戦前の天皇制の「勅令」を継承し、内閣府が「政令」をだし、各省庁が「省令」をだし、現場の役人が「通達」をだす。これらのため、議会が作った法律が、行政府の解釈を通し、恣意的に運用される。

さらに、日本は、ロシアと同じく、行政府が教科書の中身に口をだす。日本は、小学校から大学まで、行政府がその運用を監視し、補助金の金額を定める。

西側の「民主主義」は大衆の力を抑え込んでいる。イカサマが潜んでいる。だから、アメリカでは、ワシントンの既得権力層に対する大衆の不満が、6年前、トランプを大統領に押し上げた。2年前の大統領選で、バイデンがトランプに僅差で勝ったが、トランプの得票数は6年前の得票数より多かった。大統領選後の座談会で、中山俊宏はトランプが得票数を伸ばしたという事実をもっと注視し、なぜかを考えないといけないと警告した。

今回のロシアに対する国連の非難決議で棄権した国々が多い。ロシアに対する経済封鎖となるとアジア諸国のほとんどが加わらない。ロシアが悪いがアメリカも悪い。アメリカに対する不信が世界に渦巻いている。なぜなのか。

ロシア軍のウクライナ侵攻を前にし、中山俊宏による辛口のアメリカ政治批判がもう聞けないのはとても残念である。


台湾問題の「平和的解決」の「解決」とはなにか、自己決定権の尊重

2021-05-24 22:29:52 | 国際政治
 
きょうの朝日新聞記者解説は、とても、むずかしい問題『台湾問題の「平和的解決」』を扱っていた。むずかしいというのは、情動ともいうべき色々な思いが私の心に渦巻くからだ。私の世代は、中国の文化大革命、造反有理、自己批判、天安門事件を見ているからだ。
 
原則から言うと、中国と統一するか否かは台湾に住む人々が決めることである。それは、沖縄が日本から独立することや、スコットランドがイギリスから独立することと同じく、そこの住民が決めるべきことである。
 
19世紀末には、国民国家という妄想があって、民族単位で国を形成するのが良いと考えがあった。しかし、民族というのは幻想でそんなものはない。しかも、台湾は色々な歴史、文化を背負った人々が混在している社会である。
 
昔と違って、大国になったからといって、人々が幸せになるわけではない。大国になれば、個人の意見が国政に届かなくなる。だからこそ、現在、世界中で、小国に分かれようという声が起きているのである。
 
ひまわり学生運動を思い出そう。小国だからこそ、台湾の若者たちが2014年3月18日に国会を占拠して議員たちに直接訴えることができた。小国のすばらしい点は、直接民主主義が実現でき、形式的な代議員民主政の罠に陥らないですむ。
 
問題は、習近平の中国が、台湾の自己決定権を頭から認めないことだ。そして、経済力、軍事力を常に誇示して、力で併合しようという態度をとり続けていることだ。中国の経済的軍事的な力が高まるにつれて、力による台湾併合が現実味を帯びてくる。
 
心に決めるべきは、日本は、力による台湾併合にどういうスタンスをとれば良いのか、という問題である。そして、日本も、台湾と同じく、中国の経済的、軍事的な威圧にさらされている。
 
思い起こせば、日本は明らかに中国のおかげで1990年代のバブル後の不況を切り抜けた。新日鉄や小松製作所は中国市場のおかげで、潰れそうな状態からV字回復した。日本に弱みがあるのだ。中国頼みの経済という側面が日本にあるのだ。そして、中国と戦争する軍事力を日本はもっていない。
 
だからこそ、「平和的解決」とともに、「自己決定権」という原則を、お題目のように言い続けるしかないし、言い続けるべきである。日本は、軍事大国になるべきでない。そして、習近平ひきいる中国の自壊を待つべきである。
 
台湾の人びとが中国からの独立を希望するのも、香港の人びとが一国二制度を求めるのも、今の中国に民主主義がない、個人の尊重がないと、彼らが思うからである。
 
軍事というものは、際限なく経済を圧迫するものだ。中国が、民主主義を無視し、個人をだいじにせずに軍事大国に突っ走れば、必ず経済的に破綻する。経済的に破綻すれば軍事力を維持できなくなる。
 
それまで、日本は、台湾、韓国との友好関係と共有経済圏を強化し、あらゆる恫喝に動じず、静かに正論を吐き続けるしかない。
 
蛇足かもしれないが、このようなとき、中国が冬季オリンピックを来年強行するから、日本も、今年、無理をして東京夏季オリンピックを強行するというのは、ばかげている。無駄な体力を使って、日本の経済力を弱めることはない。

とても奇異な大統領就任式だがジョー・バイデンのスピーチは良かった

2021-01-21 08:36:09 | 国際政治
 
1月20日、これから、3時間後にジョー・バイデンのアメリカ大統領就任式が行われる。しかし、就任式の行われる首都ワシントンは2万人の州兵によって厳重な警戒が行われ、バイデンを祝福する人たちが まだそこにいない。会場の観客席には、星条旗がはためいているだけだった。
 
   ☆      ☆       ☆
 
1月6日、トランプ支持者たちが選挙結果を認めないという集会を首都ワシントンで開いていた。アメリカ議会での選挙結果承認を妨害する意図をもって、トランプが議事堂に向かって行進するよう呼びかけ、そのことで、議事堂内への乱入を招いた。そして、警備員に乱入したトランプ支持者4人が撃ち殺された。
 
これ自体はアメリカの分断の大きさをうかがわせる事件である。集会に参加した人数は何人で、乱入した人数は何人で、この事件の世論調査の結果はどうだったか、私は調べていない。
 
しかし、アメリカ議会は、共和党を含めてこの事件を許されないことと判断し、また、軍隊上層部やFBIなどはアメリカの憲法と民主制に忠誠を示し、議事堂乱入事件は暴徒による不法行為として扱われた。したがって、アメリカの民主主義は守られたはずである。160年前のリンカーン大統領のときのような内乱にならないはずである。
 
   ☆      ☆       ☆
 
しかし、これから行われるアメリカ大統領就任式に、ジョー・バイデンを祝う民衆はどこにいるのか。レディー・ガガが米大統領就任式で国歌を独唱しても、パレードもなく、ジョー・バイデンを祝福する群衆の集まりが少ないと、アメリカの民主主義の健在を私は実感できない。
 
ちょうどいま、テレビ朝日『報道ステーション』は米軍基地で行われるトランプの退任式をライブで放送している。退任式を終えたら、フロリダに大統領専用機エアフォースワンでいくのだという。
 
私は、約2万人の州兵が警戒に動員されているというだけの大統領就任式をみたくない。バイデンは身の危険があっても、多数のアメリカ国民に支持されているという演出をすべきではないか、と思う。
 
   ☆      ☆       ☆
 
いま、日本時間で深夜の1時45分ごろに、ジョー・バイデンの就任宣誓とスピーチが始まった。招待された人たちだけの奇異な就任式だった。祝福する群衆の代わりに、観客席では多数の小さな星条旗だけが風に吹かれ、はためいていた。まるで、激戦の後の荒廃した町のようだ。
 
しかし、バイデンのスピーチはよかった。Democracy、Unity、Constitution、Healing、Togetherを繰り返す、単純なものだが、物静かな、そして、説得するような声の調子が良い。Hear me clearlyなどのフレーズもはいり、教会での祈りを聞いているような感覚だ。
 
国民の深刻な分断のなかで、新型コロナで荒廃したアメリカが、バイデンのような静かに心から語る老人を、必要としているのだという気がしてきた。
 
彼の言葉が、コロナと分断のアメリカの国民を助けることを、祈る。言葉が、すさんだ心を癒やすよう、祈る。

ジョー・バイデンはトランプ大統領のことを「恥ずかしい」と言ったのか

2020-11-11 22:19:26 | 国際政治
 
きょう昼に、仕事にでかけるとき、テレビで、アナウンサーが「トランプが負けを認めないのは恥ずかしいことだと批判した」と言っていた。私が気になったのは、そのときの引用された音声つき映像では、“It’s embarrassment”とジョー・バイデンが言っていたことだ。
 
“embarrassment”と「恥ずかしい」とは、意味が違うのではないか。 “embarrassment”は「困ったことだ」という意味で、確かに「批判」とも言えるが、「懸念」といった方が良い。トランプ大統領に投票した人たちに配慮した表現である。
 
夜、帰ってきてから調べると、BBCのサイトでは、つぎのようになっている。
 
The president-elect was asked by a reporter on Tuesday what he thought of President Trump's refusal to acknowledge defeat.
"I just think it's an embarrassment, quite frankly.”
"The only thing that, how can I say this tactfully, I think it will not help the president's legacy."
"At the end of the day, you know, it's all going to come to fruition on January 20." 
 
ジョー・バイデンが上のように呟いている動画(映像と音声)が、BBCのサイトに貼り付けられていた。出かけるとき私が聞いたのは、最初のセンテンス(文)である。
 
朝日新聞夕刊でも、「困ったこと」ではなく、「恥ずかしいこと」となっている。
 
“embarrassment”が、いつから、「恥ずかしいこと」になったのだろう。ジョー・バイデンは、私より5歳上だから、私と同じ語感で使っていると思う。「理解できない言動で対処に困っている」ことが“embarrass”である。誰かが「恥ずかしい」という変な訳を日本メディアに配ったのではないか。
 
ところで、この語には、私は特別な思い出がある。
 
何年か前に、第2次世界大戦で日本軍が無謀なインパール作戦を計画実施し、3万人の兵士を無駄死にさせた、というドキュメンタリーをETVで放映した。インパール作戦を指揮した牟田口廉也中将は、戦後、イギリスの元軍人がこの作戦を”embarrassed” と書いているのを見つけて、イギリス軍を「困らせた」と自分で自分をほめていたという。
 
”embarrassed” は理解しがたい行為に出くわしたときに使う言葉である。ところが、たまたま、彼が読んだ辞書に「困らす」としか書いてなかったのであろう。単語はニュアンスを覚えないと大失敗をする。
 
「恥ずかしい」とは、行為の主体を直接的に責めている。“embarrass”は、その行為を受けた側の気持ちに重点がある。従って、「批判」より「懸念」である。
 
なお、最後の"At the end of ……”は、「結局、1月20日には、何とかうまくいくさ」という程度の砕けた表現である。