goo blog サービス終了のお知らせ 

猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

何を恐れて大塚耕平は日銀のETF購入と株価高を議論できないのか

2021-02-05 23:18:53 | 経済と政治


今年の年初に、新型コロナ感染拡大下でなぜ株価上昇が続くかで、証券会社のアナリストは、金融緩和によるカネ余りに加え、新型コロナが日本経済に打撃を与えていない、と投資家は見ているからだ、と話していた。どうもそうではないようだ。安倍政権は、ずっと株価操作を行ってきた。それが、現在、ニッチもサッチも動きようがない、状況になったらしい。

日銀は、昨年12月末現在で、東証1部の約7%、時価にして46兆8000億円を保有している。これまで最大株主だった、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の保有株を抜いて、世界最大の株主となったとのことである。

日銀が最大の株主になったのだから、日本が社会主義国、あるいは、共産主義国になる日が近い、喜ばしいことかと思ったら、そうではないようだ。

日銀は株価高を維持するために、ETFを買ってきたが、ETFとは、証券会社が販売する投資信託で、いくつかの上場株式の値動きに連動するように運用される金融商品にすぎない。日銀がETF購入に累計約2000億円の支払い手数料を支払ったが、企業の経営に口を出せるわけではないようだ。

そして、ETF購入を止めることもできないもようだ。きのうのBS TBS番組の『報道1930』で、国民民主党代表代行・大塚耕平は、「出口についてアイデアはいくつかありますが、それをここで言及することすら憚られる状況だと思います、私ごときの発言では影響しないものの、そういう議論をするということ自体がリスクになっているほどの異常な状態」とコメントした。

大塚耕平が何を恐れているのか私はわからないが、「異常」ではなく「危機」の状況に日本があるのではないか。日銀がETF購入をやめたら、株価が急落するというのか。外国のヘッジファンドが先物買いをしており、株価急落で、大量の資金が日本から海外に流出するのか。そうしたら、日本のGNP(国民総生産)の3倍弱になっている政府債務残高が重石になって、日本が破綻国家になり、かつての韓国のように、IMFに管理される国家になるというのか。私には想像できないような危機が、新型コロナ騒動のかげで、進行している。

中小企業対策での生産性向上は意味ある政府の提言か?

2020-12-17 18:39:17 | 経済と政治


きょうの朝日新聞の《耕論》は『生産性ですべて計れる?』である。このタイトルはちょっと視点がずれている。論者の3人、中里良一、伊藤真美、関満博は「生産性向上」が中小企業にとって意味ないと言っているのだ。しかも、3人のうち、中里と伊藤が中小企業の社長である。

関によれば、1960年代から菅政権にいたるまで、政府は中小企業の生産性を向上させるという政策を繰り返してきたという。そして、「生産性向上」は中小企業対策に限られない。魔法の言葉のように政府によってあらゆる方面の政策に使われてきた。すなわち、「生産性向上」は意味のない言葉になっている。

安倍晋三は今年の1月20日の所信表明で、「農地の大規模化、牛の増産や、水産業の生産性向上など、三千億円を超える予算で、生産基盤の強化を進めます」と話している。
安倍政治を継承すると言う菅義偉は10月26日の所信表明で「人生百年時代を迎え、予防や健康づくりを通じて健康寿命を延ばす取組を進めるとともに、介護人材の確保や介護現場の生産性向上を進めます」と話す。

教養のないふたりのことは忘れて、問題を論理的に考えてみよう。公益財団法人日本生産性本部は、生産性を
  生産性=産出÷投入
で定義する。産出と投入の単位は目的によっていろいろである。例えば、
  生産性=生産量÷労働者数   ①
  生産性=生産量÷(労働者数×労働時間)   ②
などである。

「生産性向上」とは、同じ単位を使い、その時間的推移をみて、増加していればよいとするものである。したがって、企業が儲かるとか労働者の賃金が上がるとかとは、「生産性向上」は無縁なのである。

市場が増加しなければ、生産量を増やすことができないから、定義①の生産性向上は、労働者の失業を招く。そして、企業にとって、生産性向上のために行なった設備投資は回収できない。ますます経営は困難になる。定義②でも同じである。労働者は労働時間の減少にともなって収入が減る。あるいは、企業は労働者を解雇するかもしれない。

中里は、次のように語る。

〈 短時間に大量生産するために最新の機械を買います。古くなったら、また最新の機械を買い、また古くなり、また買って……。町工場が生産性を追いかけると、借金地獄に陥るのが関の山です。〉

すると、生産性向上は物が足らなかった戦後の復興期の政策でしかない。にもかかわらず、1960年代以降も続いたのは、アメリカの市場に進出できたからである。しかし、その結果招いたのは、日米経済摩擦である。日本が生産性を上げ、余剰の生産量をアメリカに売り込めば、アメリカの労働者が失業や賃下げで悲鳴を上げるのはあたりまえである。

中小企業の経営で一番大変なのは資金繰りである。無理な事業拡大をしなくても、自由経済には景気の波があるから、資金繰りの困難が生じる。景気の波を小さくするとか、資金繰りの問題を政府融資で和らげるとかが必要である。また、リーマンショックや消費増税のような、明らかに経済政策の誤りから生じる市場の縮小を避けるべきである。

新型コロナの場合も、観光事業に軸足を置きすぎた政府の経済政策が、意味不明な菅の感染対策とともに、日本経済への打撃を大きくしている。

日本は、「生産性向上」を目指す社会では もはやない。

すでに物があまっていて、しかもエネルギー消費を抑えた方が望ましい脱炭素社会である。この新しい社会の経済政策について、もっともっと、オープンに議論すべきだろう。

保育や教育や看護や介護のような、人間が人間にたいするサービスで、働き口を増やすのが、あたらしい経済対策になるかもしれない。あるいは、せかせかと働くのではなく、のんびりとして、どうしたら、みんなと仲良く楽しく暮らせるかと考える時間を増やすことかもしれない。また、福祉への財政支出の増加も望ましい経済政策になるかもしれない。人混みを作らない個人的文化の消費を掘り起こすのも良いかもしれない。

とにかく、もっともっと考え、議論し、やってみることだろう。

安易なベーシックインカム導入は福祉の切り捨てになる

2020-12-16 22:36:10 | 経済と政治

きょうの朝日新聞の《耕論》は『ベーシックインカム考』である。インタビューを受けたのは、山森亮と宮本太郎のふたりである。ベーシックインカムとは、すべての人に一律に給付金をくばり、あとは個人の才覚でお金を儲け、あわせて、個人の所得とすることで、各個人の最低所得を保障するというものである。

「個人単位」「無条件」のベーシックインカムの導入は収入がなくて困窮している人を漏れなく救うことができると、山森は言い、導入に賛成する。彼はつぎのように言う。

〈 毎月の収入が生活保護基準以下で暮らす人のうち、2割前後しか実際には受給していない状況です。自動車の保有状況などさまざまな受給要件のほか、親族との関係などプライバシーまで調査が及ぶため、申請しづらい傾向があります。〉

これに対し、宮本は、現在の福祉制度を充実させることが、先決であり、安易なベーシックインカムの導入はかえって生活困窮者の切り捨てになると言う。私は、宮本に同意する。

現在のベーシックインカム導入論は、山森の「漏れのない福祉」を実施したいからではなく、じつは(1)福祉にかかる財政支出を下げたい、(2)福祉にかかる行政の手間を削りたい、の2つの動機からくる。

国民健康保険は、突然やってくる病気の医療費の負担を軽くするものである。また、失業保険は現在の生活スタイルを一時的に支えるためのもので、住宅や車などのローンを一時的に支えるためにある。

このように現在の福祉諸制度はいろいろな理由があって存在する。ベーシックインカムの導入で不要となるのは生活保護ぐらいのものだろう。そうすると、ベーシックインカムの導入によって、漏れのない福祉が実現すれば、大幅に福祉の財政支出が増えるわけである。

また、山森が挙げた生活保護を申請しづらい現状は、生活保護への政府支出を下げたいという方針をうけて、役所の窓口が申請者のプライドを傷つける態度をとるからである。
窓口業務の手間がかかるのは、政府が細かい要件を生活保護の受給につけるからである。すなわち、福祉行政の複雑さは福祉の対象者を絞り、福祉への財政支出を減らそうとするからである。

「個人単位」「無条件」のベーシックインカムは漏れのない福祉として魅力的だが、福祉の財政支出を削減するという話しが出てくるかぎり慎重にならざるを得ない。

また、ベーシックインカムは所得の正確な把握を必要とする。現在のような源泉徴収方式でなく、欧米のように、株や債券所得を含む所得を個人単位で自己申告する制度に移行する必要がある。源泉徴収方式では、アルバイトや金融商品による収入を課税から落としがちになる。

現状では、漏れのない福祉の実現を重視したいなら、生活保護の細かい要件をとりはらったほうが良い、と私は思う。

Go To キャンペーンで新型コロナ感染が急増しても景気は回復しない

2020-12-04 22:50:36 | 経済と政治

日本政府は、新型コロナ感染者の急増にもかかわらず、「Go Toキャンペーン」をやめようとしなかった。メディアも、経済との両立のため、「Go Toキャンペーン」そのものを非難してはいけないかのようにふるまった。おかしくないか。

キャンペーンをしてわざわざ人混みを作る必要はない。しかも、観光業と飲食業だけが経済ではない。農業、製造業、流通業が経済の骨幹ではないか。日本政府はおかしくないか。メディアもおかしくないか。

この日本政府の新型コロナ対策のおかしさは、この間の自民党政権の経済政策の無策さを表わしている。安倍政権には、観光振興しか、日本の成長戦略がなかったのだ。株価の高騰は金余りに加え政府資金や日銀資金で買い支えているからだ。そして、菅義偉は、安倍晋三の影響力をそぐため、「桜」疑惑の追及を行いながら、いっぽうで安倍政権の無策さぶりを引き継いでいる。

考えてみれば、新型コロナの流行の前に、世界的に不況が広がっていた。この不況は富みの集中が原因である。富の集中は、今日の経済体制では、市場の需要を縮小し、不況を生む。

その理由は簡単である。20世紀以降の経済は、大量生産・大量消費に支えられているからだ。富が金持ちに集中しても、買うのはヨットかスーパーカーか個人ジェットである。大量生産・大量消費の経済体制に、金持ちは貢献できないのである。

産業資本が生産設備に投資するのは、大量消費の市場があるからである。テレビや携帯が売れなければ困るのである。産業資本が投資しなければ、金融資本も金融先がなくなる。そうなると、金融資本は、金融商品をつくって小金持ちに売り出し、金融ギャンブル業になり下がるか、政府の借金、国債を買って、細かく分けて小金持ちに売るしかない。

2000年前後、外資系コンピューター会社にいた私は、アメリカ経済の勝ち組は金融ギャンブル業であるのを目撃した。しかし、リーマン・ショックは、それが無理筋であることを明らかにした。大量生産・大量消費の維持に、金融ギャンブルは何も貢献しなかった。金融ギャンブルは経済の波及効果がなかったからだ。

アメリカの産業資本は、その間、企業をグローバル化し、新興国に大量生産の設備を作り、労働者を雇い、大量消費の市場を作り出そうとした。しかし、それは、国内の労働者を貧しくし、アメリカ国内の大量消費の市場を縮小させた。貧しい労働者は中央政府の不信を強め、国民の分断、トランピズムを引き起こした。

日本経済も世界経済も、その再生は、富の再分配を行い、大量生産される商品の消費市場を作ることである。「Go To キャンペーン」で経済が再生できるというのは幻想である。

菅政権は これまでの自民党の経済政策の誤りを継承していくのか

2020-09-24 22:13:25 | 経済と政治
 
新首相の菅義偉が安倍政治を継承すると言っているが、安倍政権下の経済政策は失敗だったとしか言いようがない。日本の産業は、この間、安倍政権下で急速に国際競争力を失った。これは、日本の経営者を甘やかしすぎたからである。無能な経営者が社長や会長になっているからである。現在の経営者の総入れ替えをしないといけないのだ。
 
日本政府は、戦後ずっと日本企業の保護政策をとっている。政府や地方自治体の物品購入先は日本企業である。外国企業の製品には関税をかけ、日本企業を保護してきたのである。そして、政府が音頭を取って企業の合併を進めてきたのである。
 
日本が貧しい国であれば、政府が企業を保護するというのは、しかたがない。しかし、日本が敗戦から復興した1970年以降は、企業を保護する、経営者を甘やかすのはやめなければいけなかった。政府は農業の保護に限定すべきであった。
 
ところが、政府は、いつも、農業を犠牲にして、企業を保護してきたのである。
 
小泉純一郎が発明した「規制緩和」という流行語がある。「規制」には、国民を守るための「規制」と、政治家の既得権を守るための「規制」とがある。
 
最近の日経ビジネスに、「岩盤規制の改革が進まない裏には族議員や省庁の抵抗があり、その背景には規制に結びついた業界や省益の維持がある」とあった。まさに、その通りである。しかし、「国民をまもるための規制」は必要なのだ。緩和してはいけない。
 
自民党の「規制緩和」の対象に、戦後できた「労働三法」がある。労働組合法,労働基準法および労働関係調整法の3つの法律をいう。これは、つぎの憲法の理念を法律として実体化したものだった。
 
憲法 27条「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
○2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
○3 児童は、これを酷使してはならない。」
憲法 28条「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」
 
自民党政権は、ずっと、この「労働三法」の空洞化をはかってきた。
 
しかし、経営者は、労働者の権利を守って、その上で、活力ある企業活動をおし進めてこそ、経営者の資格があるのである。それなのに、安い労働力にもとづいて、しかも、米国の需要だけに頼っていたから、1970年代から米国との貿易摩擦が生じたのだ。労働者も大事な消費者であることを経営者がわすれているから、国外に需要を頼ることになる。
 
貿易摩擦を米国民の目からそらすために、日本政府は同盟国であると強調せざるを得なくなった。実質上の軍事同盟の強化と、米国から軍備の購入をおし進めるしかなかった。
 
本来は、日本では、理想的な経営がなされ、労働者が幸せに暮らしているから、米国民も見習いましょう、であれば、貿易摩擦が起きなかったはずである。1980年代から、日本政府は不正を行っているとの声を、私は米国民からよく聞いた。
 
「派遣労働」の創設は、労働市場の流動化をはかった「規制緩和」の1つである。この「派遣労働」の創設によって、人材派遣企業が雨後の筍のように多数でき、その当時の規制緩和推進の大臣である竹中平蔵が、いま、派遣大手のパソナグループの会長になっている。
 
すなわち、自民党は経営者に甘かっただけでなく、同時に、新たな利権者になってきたのである。
 
「自助」を唱え、安倍政治の継承をうたう菅義偉は、とっても悪い人間である。
 
そして、菅義偉の「デジタル化政策」も うさん臭いものだ。
 
日本政府は1970年代から国産コンピューターに力をいれていた。大学のコンピューターはすべて国産で、政府が各大学に国産メーカの日立、富士通、NECを割り振っていた。積極的にコンピューター産業に力をいれていたのである。1990年代は、政府はスーパーコンピューターに力をいれた。2000年代はインタネットに力をいれた。また、官公庁のデジタル化、小中高教育のデジタル化をおし進め、国産のパソコンメーカの後押しとソフト開発会社の救済を行った。
 
日本政府は「デジタル化」をずっと試みてきたのである。しかし、何か成功したことがあるのか。官僚が旗をふっても、せいぜいで、米国やドイツの後追いするだけである。現在は、日本のIT産業は、中国や韓国よりも、実力が低くなった。
 
人間の資質には国による差はない。自由な社会であるか、どうかがだいじである。政府は経営者を甘やかしてはいけない。しかし、政府は企業の経営に口出してはいけない。経営者を罷免するのは社員、すなわち労働者である。政府の口出しは利権を生み、第2の竹中平蔵を生むだけである。
 
政府は、若者に、新しい技術や産業を提案する場を、現在の経営陣を罵倒する場を、与えれば良い。出てきたアイデアをすべての人の共有財産として公表すればよい。それによって、若者が活性し、人材が育つ。別に博士の数が増加する必要がない。みんなが大学に進学する必要がない。大学は学問の場である。学問を目指すものだけが行けばよい。
 
最大の経済政策は、富の再分配による経済格差の解消である。経営者を甘やかす政策を打ち出しても、事態は好転しない。
 
財界は、菅政権の「デジタル庁」を新しい利権の場としか見てない。財界はろくでもない無能な経営者の集まりで、社会のルールを自分に都合が良いように変えることしか考えていない。