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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

政府与党の物価対策はバラマキである、朝日新聞の社説に賛同

2022-04-28 22:48:07 | 経済と政治

きょうの朝日新聞社説『物価対策 負担分かち合う戦略を』の見出しは、社説の趣旨とずれている。

社説は、「ロシアのウクライナ侵攻で加速した物価高に対応する緊急対策」として、予備費の中からガソリン価格を抑える、補助金の拡充を柱とする政府の「緊急対策」を、「税金の使い方として重大な問題がある」とするものである。

現在、日本で進行の物価高は、急激な円安によるものである。きょうの午後7時のNHKニュースでは、130円後半に突入したという。日経電子版では、午後10時現在、130.73円から130.76円である。まだ、「ウクライナ侵攻」の影響ではない。西側諸国のロシア経済封鎖はまだ一部しか実行されておらず、その影響は半年から1年後であろう。

現在の物価高は、安倍政権の推進してきた株価操作、異次元の金融緩和に問題がある。円安を招く政府与党の経済政策を改めず、お金のバラマキでこの物価高を乗り切ろうというのは、安易すぎるし、新たな禍根を生む。

社説は、また、「ガソリン価格の形成に政府が介入し続ける」ことを批判する。

なぜ、ガソリン価格を柱にするのか。輸送を担うトラックはディーゼルエンジンではないか。軽油の価格が問題ではないか。自家用車を使う人には、この「円安」の痛みを実感してもらい、ガソリンを使うことを遠慮してもらったほうが良いのではないか。

社説は「値上がりで自然に需要が抑えられる働きを妨げ、脱炭素社会にも逆行するからだ。燃費の悪い大型車を持つ富裕層にも大きな恩恵が及び、所得分配をゆがめかねない」と言う。ここ数年、小金持ちがやたらと大きい高級車を買っている。燃費ということが社会の共通理念から落ちている。

物価高対策は、円安を招く政府の経済政策を改め、生活保護費とか年金の額に、物価の上昇分を反映することではないか、と思う。

野党の立憲民主党は、慢心の政府与党のバラマキ政策を激しく批判して撤回させるべきである。泉執行部は何をしているのか。

朝日新聞も12面に社説をひっそりと掲載するのではなく、1面にもってきて、政府与党を罵倒してよいと思う。


経済安全保障は自由な経済活動に反し、日本の技術や経済の発展にマイナス

2022-04-25 22:20:32 | 経済と政治

4月21日の朝日新聞「〈耕論〉経済安保のモヤモヤ」にもとづいて、「経済安全保障」をもう一度考えてみたい。〈耕論〉では、大河原正明、斎藤孝祐、松原実穂子の3人の論者がこの問題に異なる視点で聞き手に答えている。

斎藤は、経済安全保障を「脅威が経済的手段だった場合に、自国のもっている価値を守ろうとする」ことと定義している。「手段」と「自国」という言葉からわかるように、敵意をもった相手国がいることを前提としている。この「敵国」はどこか、彼は名指ししていないが、文脈からすると、「中国」や「韓国」などと読める。

「岸田政権が今国会で成立をめざす法案はサプライチェーン(供給網)強化、基幹インフラの事前審査、一部特許の非公開、先端技術の官民協力の4本柱」だそうだ。

斎藤は「『守り』の色彩が強いもの」というが、これを、現実の文脈で解釈すると、そうは思えない。敵国を「経済的手段」で屈服させるという攻撃性の強いものである。たとえば、数年前に。日本政府は韓国政府を屈服させるために半導体事業で必要な薬剤の輸出を止めた。

本法案は敵国を想定した攻撃と防御をおこなうために、企業の経済活動に行政府が介入するというものである。本法案が感染症の世界的流行や世界的気候異常を想定したものであれば、敵国を想定する必要がない。

経済活動に行政府が介入すると、大河原正明の心配するように、企業は行政府の恣意的運用のリスクが発生する。社長の大河原は元役員、元常務とともに、「軍事転用が可能な噴霧乾燥機を無許可で輸出した」として、2020年3月に逮捕され、11カ月拘留されたのである。翌年7月に東京地検は説明もなく不起訴とする。拘留中に元顧問は病死する。このことは、特異なことではなく、私も会社務めをしているとき、見聞きしている。日本政府の運用は恣意的なのだ。大企業は、政治家を通じて行政末端に働きかけることができるが、普通の企業にとって、運用の恣意性があるのは非常に困る。

経済安全保障で守る「自国の価値」はなんなのか。「食の安全」なら納得できる。殺虫剤まみれのアメリカの小麦粉の輸入を止めるのは理解できる。戦争でウクライナやロシアから小麦粉を輸入ができないときの代替策を用意するも理解できる。

しかし、日本の製造業の優位性を守るために、技術情報の公開に規制をかけるのは、安易すぎると思う。2000年代に日本から製造技術の流失が大規模に起きたが、バブル時の財テクの失敗の穴を埋めるために、経営者が特許を海外企業に戦略なく売ったり、熟練技術者を解雇したり、工場を海外に移転したからだ。業界で名の知られた技術者たちが韓国や中国の企業に高給で雇われているのを、私は当時目撃した。「経済安全保障」法より、日本の大企業の経営者は技術者にもっと敬意を払うべきである。

法で技術の流失を規制するのは、「経済活動の自由」に反する。大河原の指摘するように、企業は互いに競争しているから、技術のわかる経営者は、わざわざ大事な技術を外にださない。今日では、得意の技術を強化し、不得意な技術を他社からの供給で埋め合わせ、ウインウインの対等な関係のサプライチェインが形成される。昔のような子会社や上下関係の系列ではない。役人は現代の企業経営を知らないのだと思う。

「経済安全保障」法案は、人類の経済的発展にマイナスの影響しかない。政治家や官僚は本当にクズである。大企業の経営者もクズである。


あなたは「企業福祉」という言葉を知っているか、それは政府が大企業を支援すること

2022-04-24 22:27:07 | 経済と政治

ひさしぶりにJ. K. ガルブレイスの『ゆたかな社会』(岩波現代文庫)を読んでびっくりした。40周年記念版への序文に「企業の福祉」という言葉を見つけたからだ。さっそく、原典を図書館で借りだすと“corporate welfare”の訳で、本当にそういう言葉がアメリカにあるのだ。辞書を引くと、“money or aid given by the government to help a large company”とある。大企業を政府が財政援助したり、その研究開発を支援したりすることをいうのだ。

この序文は出版40年目の1998年の改訂に際して書かれたものである。私の記憶では、そのころ、日米経済摩擦が日本政府の全面降伏で決着し、アメリカ経済界が中国とのビジネス・チャンスに目を輝かしていた頃である。政治的決着は、日本政府がアメリカの農産物輸入の関税障壁をなくし、アメリカの兵器を日本政府が購入し、日本メーカーが自動車をアメリカで生産するようにしたことである。また、政府の動きと別に、アメリカ企業はトヨタの生産システムを徹底的に研究し、自信を取り戻したときである。

この時期に、政府が大企業を直接助ける「企業福祉」という考え方も、アメリカ社会に根を下ろしたとは知らなかった。ただ、当時、私の目には、まだ、ITではアメリカの優位性が崩れておらず、知的所有権を日本や中国に守らせば、世界の富がアメリカに集中するとみんなが思っていたような気がする。

当時、日本では、中国を低賃金の労働市場と見ていたが、アメリカ人と話すと、中国を巨大な商品市場になると見ていた。アメリカ企業は、商品市場開発に、中国系アメリカ人をつぎつぎと中国に派遣した。

ところが、2010年代になると、アメリカと中国との間の経済摩擦が起き始めた。そして、トランプ政権は、中国をアメリカの経済的脅威と位置づけ、HUAWEIの製品を西側陣営の政府が購入しないように、働きかけた。そればかりか、カナダ政府にHUAWEIの副社長を逮捕させた。

バイデン政権は、このトランプ政権を引継ぎ、中国を最大の敵国と位置づけ、「経済安全保障」という言葉をつくり、自分たちを正当化している。決して、中国が非民主的国だから、敵視しているのではない。アメリカは多くの非民主的国を友好国としている。エジプト、タイなどである。また、香港で起きている事態をこの間見殺しにしてきた。

アメリカ政府は「企業の福祉」の名のもとに大企業のための政治を行う。

岸田政権は、このアメリカ政府の「経済安全保障」を日本でも実施しようとする。なぜ、立憲民主党はこれに反対しないのか、不思議である。いまの党執行部はバカの集まりなのか、それとも「企業福祉」の応援団なのか。

大企業を支援する政府が民主的とは思えない。「経済安全保障」は民主主義国家がとるべき政策ではない。


突っ込み不足の小野善康のインタビュー記事『成熟社会の資本主義』

2022-04-20 23:51:08 | 経済と政治

(J K ガルブレイス)

きのうの朝日新聞に、小野善康のインタビュー記事『成熟社会の資本主義』がのっていた。この人は、「棚からボタ餅」のように突然首相になった民主党の菅直人(かん・なおと)の知恵袋かのようにメディアに出てきたひとである。菅直人が消費税引き上げを突然言い出して、民主党内に混乱を招き、首相を辞任すると、知らんぷりをした、という印象を私はもっている。単なる菅直人の一方的な思いだったか、どうかは、私にはわからない。

小野善康はマクロ経済学者に属する。国の経済政策を論ずるのがマクロで、自由市場での企業の経済活動を論ずるのがミクロである。

インタビューで彼は、バブルが破裂した後に生じた日本の長期不況は、これまでの景気のサイクルと違い、日本社会の経済的成熟によって生じたものであると主張している。彼の『成熟社会の経済学 ―― 長期不況をどう克服するか ―― 』(岩波新書、2012年1月20日)と基本的に同じ主張である。成熟社会にあった経済政策をとらない日本の政治が悪いということになる。

不景気は、商品の生産力(供給力)が需要をうわまわったときに生じる。資本主義社会はみんなが争って金儲けをする社会である。商品を生産することで金儲けをしているから、生産力は需要をうわまわりがちである。不景気になると競争力がない非効率的企業はつぶれる。そして、生産力と需要とのバランスが戻り、また、一生懸命生産すれば金儲けができるようになる。これが景気サイクルのモデルである。

そうなら、需要を増やしてやれば、不況を避けることができるはずとなる。少なくともパニックを起こすような大不況(恐慌)を避けれるはずだ、となる。それがマクロ経済理論が構築された背景である。

小野はインタビューで、需要をお金の使い道と考え、個人がお金をいま商品を買うために使うか、将来のためにとっておくかを、「資産選好」と呼ぶ。ケインズが「流動性志向」と呼んでいたものである。「資産選好」が多くなれば、「需要」が伸びない。

ここで、私が疑問なのはインタビューでなぜ「資産選好」になるかの議論がないのかである。今日の朝日新聞夕刊の一面につぎの記事があった。

節約しないと 2019年、金融庁審議会が「老後の生活費として2千万円の蓄えが必要」と資産形成を呼びかける報告書を出し、波紋を呼んだことが、節約のきっかけの1つ。その額がたまるまでは、続けるつもりだ。〉

政府が個人の将来への不安を煽っておいて、資産選好に導こうという矛盾が議論されていない。

また、日本の特殊事情が議論されていない。日本で1980年代後半にバブルが生じたのも、日本のカネあまりの金融政策による。すなわち、日本政府は、戦後ずっと、需要を米国への輸出によって掘り起こしてきた。1980年代の日米経済摩擦でアメリカ政府に逆らえない日本政府は、金融緩和によって需要を引き起こそうとした。が、お金が消費財の商品を買うのではなく、金融商品と土地に向かってバブルが生じ、1990年に破裂した。

したがって、少なくとも、需要を消費財、生産財と分けて議論しなければならない。また、公共財の議論や、金融緩和策の失敗の理由、分配の格差がどうして広がったのかの議論も必要である。

インタビューで特に避けられているのは、「私的所有(私有財産)」の問題への踏み込みである。「公的所有(公共財)」による需要はまだまだ増えるはずである。J K ガルブレイスは『ゆたかな社会 決定版』(岩波現代文庫)で、個人の需要はゆたかな社会ではそんなにふえるものではないが、アメリカ社会では図書館などの公共財が不足していると指摘している。日本でも同じで、公共施設を作って土建屋を儲けさせることまでを自民党は考えるが、公共施設を管理し役立てることまでは誰も考えていない。

また、小野善康がインタビューでつぎのように言っていることには、私は同意できない。

〈社会主義は歴史を見れば一人か少数の権力者が絶対的に君臨し、恣意的に介入しがちです。〉

社会主義と国家主義との混同がある。「社会主義」とは「私的所有」より「公的所有」を重視することである。この「公」は「国」ではなく、「人びと」であって、例えば、企業の生産設備がオーナーのものか、そこで働く人びとや、利用する人びとのものかという問題である。分配の問題もそこに絡んでくる。「公的所有」のあり方に踏み込んで議論する必要がある。


経済安全保障推進法案は愛国の名目に無能な経営者を助けるだけ

2022-04-05 22:10:57 | 経済と政治

(OPPOのスマホで)

国会で、現在、「経済安全保障推進法案」を審議中である。そもそも、このような法案がなぜ必要なのかわからない。「経済安全保障」という考えは、アメリカで数年前から言われだしたものである。アメリカ政府の主張を聞いても、自分の国の企業が他国に対して優位性が崩れてきたので、他国を敵視し、自国の企業に支援し、他国の企業の進出を妨害するものにすぎない。

おかげで、この3月、auがガラケイをサポートしなくなったのとき、私は、性能に優れたファーウエイ(HUAWEI)のスマホを手に入れられず、かわりに、意地で、OPPOのスマホを手にした。

企業はお金儲けのために活動している。決して、国を守るために活動していない。国が、自国の企業を守り、他国の企業を潰すために、動いていいものか。それでは、私はフェアでないと思う。

1980年代、日米摩擦が起きたとき、アメリカは、日本政府が自国の企業を守るため、企業がすべき研究活動を政府機関が肩代わりしている、と批判した。じっさい、当時の日本はアメリカに対する劣等感があり、あらゆる面で日本政府が自国の企業を支援していた。

当時、私はアメリカ系のIT会社に務めたので、アメリカの企業研究者から、日本人は金儲けだけのために働いている、常軌をいっしている、アメリカが育て来た企業の自由な研究風土を壊している、と批判された。日本企業の急激な進出で、人間とマシンの新しいインタフェースを研究していたアメリカのゼロックス研究所が閉じた。ノーベル賞受賞者を抱えるベル研も閉じた。

結局、この日米の紛争は、為替レートの自由化、日本がアメリカから兵器を買い取ることで決着した。

そのアメリカ政府が、中国の科学技術の急激な発展に恐れおののき、数年前から、自国の企業防衛に走ったのである。中国の政治が民主的でない理由で、中国企業を排除する立場にたったのである。これがなければ、ロシア軍のウクライナ侵攻で、中国とアメリカとが協力してロシアの侵攻を止めることができただろう。

私は、政府が企業に介入できるのは、労働者を経営者の横暴から守るときだけで、経営者を他国の企業から守るために介入するのは、アンフェアだと思う。

大局的にみれば、人間に優劣がなければ、どこの国も、一人当たりの国民総生産が同じ程度になるはずだから、中国の国民総生産がアメリカの国民総生産を追い越すのは、自然なことである。また、たくさんの人がいれば、それだけ、優秀な人もいるだろう。人口の多い国の製品が優れるのも仕方がない。

日本の企業が世界で活躍したければ、国籍を問わずに、優秀な人を集めれば良い。しかし、優秀でない人間も生きる権利がある。それが民主主義である。

政府は企業のためにあるのではない。政府は、企業から国民を守るために、国民の幸せのためにある。企業はとどのつまり金儲けのために活動しているので、人の幸せのためでない。

「経済安全保障」の名目で、日本政府が自国の企業防衛に走ったり、日本の研究者に軍事研究を押しつけたり、研究の機密保持を押しつけたりするのは、おかしい。日本の企業経営者も自分の経営の過ちを従業員に責任を取らす体質をやめないといけない。

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