『 ヘボのアルバム 』

“ヘボ”ちゃんをこよなく愛する蜂狂さんとのコミュウニケーションの場です・・・

     『 訃報・・・ 』

2011-05-01 23:38:43 | Weblog
                


6時起きして市民タイムスを見る。
矢張り、昨日、草友から聞いた訃報は、正しかった! 惜しまれてならない!
yより先輩であるが、友人:Furumachi さんは、町内では超著名人! 信州大学の要職:学生部長をされ、引退後、町会長や宮総代会長、泉龍寺護持会長等歴任され、昨年瑞宝双光章を受章された方である。
偶々、町会長をされている7~8年前、yは、宮総代の会計をしていた。 狭い町内の事、祭事の度に顔を合わせる! 何処から聞いたか?、或る時、yの近くに寄って来て、「一度“スガレ追ひ”に連れて行ってくれないか?」と、話して来た。 これまで、顔は見た事はあったが、話した事もない人だった。
お宮の直礼(なおらい)の席、酒も、若干、入っていたので、冗談位に聞いていた。 が、その次の会合の席でも話し込んで来る!!!
それから真剣に考えるようになり、或る時、三才山に連れて行った。 
この日は、餌に沢山のヘボちゃんが付き、追いかけると急坂を掛け上がり山の天辺まで駆け上がるヘボちゃんばかりだった。 下からでは埒があかず、餌付けを替え山の天辺で追う算段に切り替えた。 そして、運良く、立て続けに2巣見付けた。 確か、9/下だった記憶がある。
燻すと、1つは、直径40cm×8枚もある超デカ巣だった。 この巣は、まだ秋子の棚が始まっておらず、驚くべき巨大巣の様相を呈していた。 通い穴、10数cmもあった。 もう一巣は、直径25cm×12枚のこれまた巨大巣だった。 惜しむらくは、燻すのを1カ月ズラシタイ所・・・
Furumachi さんにとって、初めての「スガレ追ひ」だったので、戦利品を、総て、差し上げた。 「いだけェ~~~!イイダケぇ~~~!!!」と遠慮しがちに話していたのが印象的だった。
後から判った事だが、“蜂の子”は、大好きで、必ず、「蜂の子ご飯」にすると話していた!!!
こんな初体験を通して、頻繁に出掛けるようになる。 「蜂取り煙幕」を何処からか買い込んで来る熱の入れよう! それから防護服を買い込んだのは言うまでもない!
3回目の蜂追いに巨大巣を燻させてみた。 これがなんと、非常に上手!!!!!    師匠であるyより遥かに落ち付いて、周りから上手に掘り上げる。 見よう見真似で僅か数回で覚えてしまったのだ! それからと言うもの、掘り上げは弟子と言う事になる!!! 天下一品の掘り上げだった。 そして、燻すのも満更でもない様子だった。 この年は巨大巣の当たり年で、その後、3~4kg級を4巣も燻した!!! 弟子が余りにも上手なので、総て、任せた記憶がある・・・

そして、翌年から飼育をしよう!と、言う話になった。
冬の間から飼育箱の製作に掛った事は言うまでもない! モデルに三宅式と加藤式を買った。 何処で仕入れて来たのか厚板や桧皮まで買い込む熱の入れよう!!!
それからと言うもの、病気が始まる!!! 蜂狂病だ!
飼育も5~6巣! 餌のウグイまで買わされる運命を辿る・・・ 
燻しが上手な位だから「生掘り」は、お手のモノ! 100パーセント遣らせた。
この年、町会長を辞めたので、時間的余裕が十分取れるようになり、数え切れない位の山行きとなる。 「スガレ追ひ」は、免許皆伝と言う訳にはいかなかったが、それでも立派な助手を務められた。
当然、串原のヘボコンテストや足助のヘボ追い大会に出掛けたのは言うまでもない! だから、三宅名人やドクちゃん、小沢観光協会社長、今井会長等とも面識がある!!! 東御市の「ヘボサミット」にも参画した。

或る年、ヘボちゃんの飼育箱に「ニホンミツバチ」が移住!!! 「変だ!変だ!!!」と、大騒ぎした年もあった。 諏訪の U さんの所へ移住させた記憶がある・・・
飼育も熱を入れ、簡単なヘボハウスを造る懲りよう・・・ yのヘボハウスを造った宮大工:棟梁が驚いていた。

勿論、信大の要職にあられた方なので、活字には強く、yの駄洒落本をプレゼントすると、大気に入りで、大事にされ、熟読! 何時も褒めて頂いた!
非常に義理難い人で、毎年、忘年会を開いてくれ、近くの寿司屋で御馳走になった!!!
奥さんの作った太いアスパラガス、棘のある胡瓜、鯊(はぜ)掛けの新米等頂いたが、篤農家の作る作物は一味も二味も違っていた。
近年、ゴルフで痛めたメヌエル氏病に掛り、「スガレ追ひ」は出来なくなったが、晩秋、「蜂の子」をプレゼントすると大喜び!!! 大分、恐縮がっていた。 こんな事が3年も続くようになる。
「スガレ追ひ」の仲間でも O さん同様、忘れられない間柄に至った御人だった。
近くに住んでおられたので、時々、顔を合わせる機会があったが、色々と面倒を見て頂いた! 言うなれば、親分肌の先輩だった。

今朝、顔を合わせて来たが、無性に涙が出て居た溜まれなかった。 人一倍知り合った知人とのお別れは、辛い!!!   
せめて、後、10年はお付き合いさせて頂きたかった。

著名人故、告別式は賑やかなお別れ会になるだろう・・・