「起こるべくして起こってしまった」。横浜市旭区で暮らす和光大学名誉教授の最首(さいしゅ)悟さん(79)は、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件を知った時、そう感じたという。ダウン症で知的障害がある三女の星子さん(39)と同居している。
「障害者は不幸を作ることしかできません」「日本国が大きな第一歩を踏み出す」。植松聖(さとし)容疑者(26)は、衆院議長に宛てた手紙にそう書いて、重度障害者を次々と刃物で殺傷したとみられている。
最首さんは植松容疑者が精神異常者でも快楽殺人者でもなく、「正気」だったと考えている。「今の社会にとって、『正しいことをした』と思っているはずです」。植松容疑者は介護を続けてきた遺族に向けて謝罪する一方で、被害者に対する言葉はない。
そして最首さんは、「共感する人も必ずいるでしょう」と言った。確かに事件後、インターネット上には、「正論」「障害者は生きていても誰の得にもならなかった」といった投稿が相次いだ。
「いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある。この事件はその底流がボコッと表面に現れたもの」。植松容疑者は、人々の深層にある思いに訴えて「英雄」になった、と考える。
だが、不幸を生み出す障害者を代わりに殺してあげたというような代行犯罪に対しては、はらわたが煮えくりかえるような怒りを感じている。「命とは何かを問うとき、その人の器量が問われる。障害者はいなくなってしまえばいい、というのは浅い考えだ」
娘の星子さんは、言葉を発することが出来ない。自分で食事ができず、排泄(はいせつ)の世話も必要だ。
「命は尊いとか、命は地球より重いといった『きれいごと』は言えない。『あの子がいなければ』と『あの子がいてくれたから』という相いれない気持ちが表裏一体となり、日々を過ごしている」
最首さんはその日々を「一定(いちじょう)の地獄」と表現する。地獄であることが普通になってしまったような生活だという。「その生活のなかで、ふっと希望が湧く瞬間がある。理由は分からない。命とは、分からず、はかれない価値を持つ」
最首さんが憂慮するのは、超高齢社会に突入した日本社会が迎える窮状だ。
2025年には団塊の世代が後期高齢者になり、認知症患者が700万人に達するとみられている。社会保障の財源も、働いて社会を支える人も足りない。「生産する能力がない人に、一方的に社会資源を注ぎ続ける余力がなくなっていく」と最首さんはみる。
尊厳死や安楽死といった「死」への考察、「IQ20以下は人ではない」とする米国の生命倫理学者の考え。障害者を社会の中でどう受け入れていくのか、親として考え続けてきたことが、一層問われていくと思っている。
〈さいしゅ・さとる〉 東京大学大学院博士課程中退後、同大教養学部生物学科助手などを経て和光大学教授。専門は、いのち論。水俣病の現地調査団の団長を務めた。現在も横浜市内で精神障害者通所施設や作業所の運営に携わる。
2016年8月8日 朝日新聞