ゴエモンのつぶやき

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障害者施設の防犯対策費、国が助成へ 相模原事件受け

2016年08月25日 03時45分04秒 | 障害者の自立

相模原市の障害者施設で発生した殺傷事件を受け、厚生労働省は施設の防犯対策にかかる費用を助成することを決めた。2016年度第2次補正予算案に118億円を盛り込む。23日に開かれた自民党の会合で、厚労省が明らかにした。

 非常通報装置や防犯カメラ、フェンスなどの設置・修繕費用について、国が2分の1を補助。残りは都道府県や政令指定市、中核市といった自治体と施設の設置者が半分ずつ負担する。118億円にはグループホームなどの施設を整備する費用への補助も含まれる。

 厚労省は措置入院後の支援強化といった制度面の再発防止策も検討しており、秋ごろに結論を出す予定。

 補正予算案には、生活保護受給者を雇い入れた事業所への助成金制度の創設(金額未定)や、定年を廃止したり65歳以上に引き上げたりした事業所への助成金(6・8億円)も盛り込んだ。介護ロボットの実証研究費などとして4億円を計上する。

2016年8月23日   朝日新聞


障害者自立先駆け、79年創刊の雑誌が来夏終刊

2016年08月25日 03時33分24秒 | 障害者の自立

「そよ風のように街に出よう」

 1979年に創刊され、障害者の自立と社会進出を訴えてきた雑誌「そよ風のように街に出よう」(年2回発行)が来夏で幕を下ろす。障害者雑誌の先駆けとして、長らくタブー視されていた結婚や就職などのテーマに向き合い、最盛期には1万部を発行したが、障害者を支える環境の整備が進み、終刊を決めた。読者からは「いつも勇気をもらえた」と感謝の声が寄せられている。

 出版元は大阪市東淀川区の任意団体「りぼん社」。身体・精神障害者やボランティアの人たちが手弁当で取材と編集を担ってきた。

 創刊当時は公共施設や交通機関でさえバリアフリー化が進まず、障害者の課題を取り上げる雑誌もなかった。それだけに、創刊号の特集は大きな反響を呼んだ。テーマは「結婚・出産・家」。79年に初産をした脳性まひの女性へのインタビューを25ページにわたり掲載した。

 女性は物心ついた頃から、将来を悲観する母親に「私より先に死ぬんやで」と言われて育った。健常者の夫と恋に落ちたが、夫は親から絶縁され、医師からは「産まないほうがいい」と告げられた。そんな境遇にありながら、女性は語った。「産みたいから産むんや。あきらめたらあかん」

 編集部は「あるべき世界を共に築き上げよう」と毎号特集を掲載し、「労働」「性」「教育」などのテーマに取り組んだ。東日本大震災では、編集スタッフが発生直後に現地へ赴き、被災した障害者の声を聴いた。4回にわたって特集を組み、阪神大震災の経験が生かされていないとして、福祉避難所の整備や被災障害者の支援のあり方を訴えた。

 投稿コーナー「今、こうして街に出ています」では、障害者の生活を写真付きで説明し、暮らしのコツなどを紹介した。90年頃には1万部を発行し、読者からは「1人で外出してみます」「私たちの声を代弁してくれてありがとう」などの手紙が絶えなかった。

 終刊の話が持ち上がったのは昨年夏だった。編集スタッフの高齢化に加え、テレビやインターネットなど多様な媒体を通して障害者への理解は深まってきた。今年4月には、障害者への差別を禁じる障害者差別解消法も施行された。

 副編集長の小林敏昭さん(65)は「障害者が外出しやすくなり、手助けしてもらう風景も当たり前になった。これからは障害者が自ら先頭に立って活動していくだろう。未来へのバトンを引き継げたと思う」と話す。

 長年の愛読者で全盲の東京都の女性(60)は、第1子を妊娠していた時、創刊号を知った。「介助者に読んでもらう一文一文が胸に刺さった」と振り返り、「目が不自由でそよ風のようには街に出られなかったけれど、希望すら持てない時代に強い気持ちを抱かせてくれた。今は2人の孫に恵まれ、命をつなげることができたのは『そよ風』のおかげです」と感謝している。

 発行するのは残り2号で、年内に第90号、来夏に最終号を出す。いずれも読者や関係者からのメッセージを中心に構成する予定で、投稿を募集している。問い合わせは、りぼん社(06・6323・5523)。

    

                   「そよ風のように街に出よう」の編集内容を話し合う小林さん(中央右端)ら(大阪市東淀川区で)

2016年08月23日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

「視覚障害者の甲子園」最後の夏 選手が不足、休止へ

2016年08月25日 03時27分17秒 | 障害者の自立

 「視覚障害者甲子園」と呼ばれる全国盲学校野球大会が24日、北海道で開幕する。グランドソフトボールの全国大会で1951年に始まり、一時中断していたが今年が31回目。だが、選手不足などから今回を最後に休止が決まっている。

 主催する全国盲学校体育連盟によると、盲学校へ通う生徒が減少し、1チーム10人の選手を集めるのが難しい盲学校が増えたという。このため、野球大会の存続が難しくなり休止が決まった。

 一方で、2020年の東京パラリンピックに向け、障害者スポーツが盛んに行われていることをアピールしようと、来年以降は、チームの編成人数が少ない野球以外の種目などで、全国の盲学校が集うスポーツ大会を開催する。

■幼なじみに誓う全国制覇

 香川県盲学校岡山県立岡山盲学校の連合チームのエースとして出場する香川県立盲の山下恵君(17)。幼なじみが逃した全国優勝の夢を、自分が果たそうと意気込んでいる。

 今月19日、高松市香川県盲学校のグラウンドに大会を目前に練習する山下君の姿があった。キャッチャー役の教諭が手をたたく音に向け、山下君が下手から勢いよく球を転がす。「インいっぱい、ナイスボール!」。次々とストライクコースに決まる。宮本格孝監督(49)は、「抜群の制球力と3種類の変化球が山下の武器」と話す。優勝のためには、山下君の好投が欠かせない。

 山下君は生まれつき目が見えない。地元の小学校に通っていた3年生の時、同じクラスになったのが、今春の選抜で準優勝した高松商でエースを務めた浦大輝君(17)だった。

 「話が合う」という2人は放課後キャッチボールをするようになった。浦君が「こっち」と呼ぶ方向に山下君がボールを投げ、浦君は山下君に転がして返す。小学校を卒業するまで、2人はこうして遊んだ。

 小学校卒業後、山下君は香川県盲学校に進んだ。グランドソフトボールに取り組み、エースになった。悩んだときには、読み上げ機能を使い、通信アプリLINE(ライン)で浦君に相談した。「守備を信頼して打たせればいい」。アドバイスを自分のプレーに反映させた。

 浦君は、今春、高松商のエースとして選抜大会に出場した。山下君は、「友達がプレーする雰囲気を生で味わってみたい」と、準々決勝の海星(長崎)戦を甲子園で観戦。ラジオ中継を聞きながら感じる大歓声の迫力に感動した。試合後メッセージを送り合った。「お疲れ すごかったぞ」「ありがとう 次も頑張るわ」。高松商は次の準決勝も勝ち、選抜大会で準優勝した。

 7月、山下君が出場する地方大会前、浦君は「がんばれ 全国行けよ」と励ました。山下君はリーグ戦4試合中2試合で完投。チームを全国大会出場に導いた。一方で高松商は香川大会決勝で敗れ、夏の甲子園出場は果たせなかった。

 全国大会に臨む山下君に、浦君は「同じ『野球』をしているのはうれしい。優勝してくれると思う」とエールを送る。山下君は「浦が甲子園に行けなかった分まで頑張る。目標は優勝」と話している。

 〈グランドソフトボール〉 全盲、弱視の選手による10人制で、4人以上が全盲選手、投手は全盲選手という決まりがある。ハンドボールに似た球を投手が転がし、打者はバットで打つ。基本的なルールは野球やソフトボールと同じ。飛球かゴロかに関わらず全盲守備者が捕球すれば打者はアウト。弱視守備者やベンチから打球の方向を指示することはできないため、全盲守備者は球が転がる音だけを頼りに捕球する。

写真・図版 

投球練習をする山下恵君

2016年8月23日   朝日新聞


<支えられるココロ> 障害者運動を共に歩む(上)

2016年08月25日 03時15分58秒 | 障害者の自立

 「元気だった十六歳までは、バスも電車も乗れた。今は乗れない。こんなばかな社会はない。障害者の人権が守られていない」

 一九七三年九月、仙台市で開かれた「車いす市民交流集会」。熱に浮かされたように訴える三十八歳の車いす生活者がいた。当時、東京で働いていた近藤秀夫さん(81)=高知県安芸市。「障害者の人権」を、恐らく国内で初めて世に問うた当事者だ。

 「集会宣言に『人権』の文字を入れろと求めたのですが、それを入れたら浮き上がってしまうと、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論に発展したんです」

 強烈なアピールは、研修で訪れていた東京都町田市の福祉事務所係長の目に留まり、翌年、近藤さんは事務所職員に迎えられる。これも日本初の車いす公務員の誕生。自身にとっては、障害者の自立支援にささげる人生の始まりだった。

 岡山県に生まれ、炭鉱技師だった父とともに九州各地を転々とした。終戦後の十二歳で父を病気で亡くした。同時に一家は離散。炭鉱街の運送手伝いをしていた十六歳の時、トロッコのレールを移動させる作業中、担いだレールの下敷きになる事故に遭い、二度と下半身を動かせない体となった。

 転機は六四年、東京五輪後に開かれたパラリンピック。当時暮らしていた大分県の施設に、障害者スポーツ振興に尽力した整形外科医で、「日本パラリンピックの父」と呼ばれる中村裕さん(故人)が診療に来ていた。身長一五三センチと小柄だが、腕力は人一倍だった近藤さん。中村さんに誘われるまま、バスケットボールや卓球など六種目に出場した。

 「見たこともない」競技の結果は惨めなものだった。それ以上に、欧米の選手はみんな、家族や仕事を持ち、高性能の車いすを操って普通に生活を楽しんでいる様子に肝をつぶした。

 「障害者の人生は、動きが止まった箱(施設)の中にあるんじゃない」

 三十歳の時、再び中村さんの紹介で、施設を出て東京の外資系会社に就職。社長は車いすの米国人で、障害者を積極雇用し、実業団並みにスポーツを仕込んだ。強化された同社の車いすバスケチームは健常者チームと対戦し、連戦連勝。各地の施設慰問も行い「ここまでできる」を広めた。

 近藤さんはその後、社を辞すが、別の仕事をしながら車いすバスケのクラブチームの渉外係として、自治体と体育館を借りる交渉を担当。障害者に配慮がない街の現状に心を痛めるようになっていた。交流集会で発言したのは、このころだ。

 町田市職員になり「何とかしたい」との思いが爆発する。そのころ同市は、革新系市長の号令下、先進的な福祉の街づくりを掲げていた。近藤さんは「ここに車いす用トイレを、スロープを、エレベーターを」と注文。地元建築士の間で「頑固な窓口職員」と有名になった。東京都内の車いす用トイレの八割以上が町田市に存在するという状態をつくり上げた。

 国際障害者年(八一年)を機に、情熱は障害者のネットワークづくりにも注がれる。同障害者年日本推進協議会や障害者インターナショナル結成のため奔走し、地元・町田には障害者自らが考え、決めた事業を展開する自立生活センターを開設した。これらのパワフルな活動は、同じ障害者の妻恵子さん(65)と共に歩むことになる。

自慢のバリアフリー住宅で、電動車いすに乗って過ごす近藤秀夫さんと妻の恵子さん

2016年8月24日   中日新聞


NHK「バリバラ」が日テレ「24時間テレビ」に挑戦状! 障害者に「美談」「感動」は必要か?

2016年08月25日 03時10分22秒 | 障害者の自立

 今年もテレビ界の夏の風物詩ともいえる日本テレビの「24時間テレビ 愛は地球を救う」(8月27〜28日)が放送される。39回目となる今回のテーマは「愛〜これが私の生きる道〜」とのこと。

 その「24時間テレビ」がクライマックスを迎える8月28日19時から、NHK教育テレビジョン(Eテレ)の「バリバラ〜障害者情報バラエティー〜」が<笑いは地球を救う>をキャッチコピーに「検証! 『障害者×感動』の方程式」というテーマで生番組を放送する。

 「なぜ世の中には感動・頑張る障害者像があふれるのか?」「チャリティー以外の番組に障害者が出演する方法は?」などをテーマに討論を行うという。

 これまで「24時間テレビ」に対しては、「チャリティー番組なのに出演者にギャランティが発生するのは偽善だ」「感動の押し売りのような内容に疑問を感じる」「マラソンの意味がわからない」といった批判の声も聞かれる。

 真偽のほどは確かではないが、明石家さんまやビートたけしも、そのような理由から出演オファーを断っているらしい。

 とはいっても、募金を集めるパワーはあなどれない。昨年(2015年)は8億5672万8209円、一昨年(2014年)は9億3695万5640円、そして2011年の第34回は東日本大震災緊急募金が含まれているものの、過去最高の19億8641万4252円もの募金が集まっている。

 使い道は主に「地球環境保護支援」「福祉車両贈呈」「災害援助」「障害者情報保障支援・身体障害者補助犬普及支援」「東日本大震災被災地復興支援」。今年は熊本地震の復興支援も加わるのではないだろうか。

 福祉車両贈呈は第1回放送より継続して行なわれ、これまで1万台を超えたという。

『障害者×感動』の方程式を検証する

 フェスティバルと称し「楽しくなければテレビじゃない」と27時間もぶっ通しでどうでもいい内容の番組を垂れ流す局とは、比較にならない社会貢献をしているといえるだろう。ネット上には「やらない善よりやる偽善」という声もある。

 しかし、障害者を「美談」として取り上げる番組の作り方に違和感を感じている当事者=障害者も多い。障害者は努力しなくてはいけないのか、普通に生きているだけじゃダメなのか、と。

 そんな「美談」としてしか取り上げられない障害者像に挑戦状を叩き付けたのが、NHK教育テレビジョン(Eテレ)の「バリバラ〜障害者情報バラエティー〜」だ。

感動を与えない障害者はダメですか?

 この番組を見たことがない人のため簡単に紹介しよう。「バリバラ」は「バリアフリー・バラエティー」の略。1999年に始まった福祉番組「きらっといきる」の中で、かつて月1回のバラエティーとして放送されていた。

 「障害者を笑ってはいけない」という暗黙の了解のあるなか、障害者の運動会や自らの障害をネタにしたお笑いなどは、当時大きな反響を呼んだ。

 そして2012年4月より「バリバラ」は独立した番組として「感動するな! 笑ってくれ!」というコンセプトでスタート。毎週金曜日21時から放映されていたが、2015年からは日曜日のゴールデンタイム19時放映になった。

24時間テレビと違うリアルな障害者の声

 これまでに、障害者のお笑いNo.1を決める「SHOW-1グランプリ」、笑える障害者カップルが競う「バリバカップル」、障害者の婚活をルポする「密着! 婚活パーティー」、タレントのはるな愛が企画した障害者のためのファッションショー「バリコレ」などなど幅広いテーマが放映されている。

 レギュラー出演者には、ラジオDJの山本シュウさんはじめ、脳性麻痺の玉木幸則さん(自立生活センター職員)、多発性硬化症の大橋グレースさん(ボランティア団体運営)、義足の大西瞳さん(陸上競技選手)、先天性四肢欠損症の岡本真希さん(会社員)。

 また、ナレーターには脳性麻痺の神戸浩さん(俳優)、知的障害の伊藤愛子さん、前出のはるな愛さん(性同一性障害)など、当事者である障害者が起用されている。

 同番組は、障害者はもちろん、セクシャルマイノリティーも含めすべての人がバリアを感じないで生きてゆける社会を目指している。合い言葉は「みんなちがってみんないい」。

 28日の生放送では、出演者が激論を戦わせるのはもちろん、Twitterで視聴者も参加できる仕組み。以前このページで紹介した「寝たきり芸人・あそどっぐ」も登場する(障害をネタに笑いを誘う“寝たきり芸人”「あそどっぐ」、究極の個性が爆発!)。

 本人のFaceBook(8/12付け)には「昨日はバリバラロケでした! 28日の生放送中に流れます!」と書かれている。いろんな衣装をとっかえひっかえしたらしい。どのような形で登場するのか興味津々だ。

 さて、28日、バリバラでは24時間テレビの描く「感動を呼ぶ障害者像」と、どのように違ったリアルな障害者の声が聞けるだろうか。

2016.08.23   ヘルスプレス