【上を向いて歩こう 坂本九生誕70年】
坂本九が「第2のふるさと」と呼んだ場所がある。北海道だ。その縁は「上を向いて歩こう」が全米でヒットした1963年にさかのぼる。
坂本は地元民放、札幌テレビ(STV)のチャリティーショーに出演した。60年から北海道夕張市で流行し始めたポリオにかかった子どもたちを支援するためのショーに、坂本は71年まで9年連続で出た。
■ □
76年10月には、STVで坂本がキャスターを務める福祉番組「ふれあい広場サンデー九」が始まった。
障害児学級や、高齢者施設などを訪ね歩き、障害者らの声に耳を傾ける。時には海外の取り組みも取材した。道の担当者に福祉行政の不備を指摘することもあった。
まひしてろれつが回らない障害者の言葉も理解して、笑顔で会話する。そんな坂本を見た当時の番組ディレクター林健嗣(61)は、「この人は本物だ」と感じた。「寄り添って代弁者になろうとしていた。いつでも自然体だった」
街にはスロープもなく、福祉をテーマにした番組も珍しかった時代。毎週日曜日の朝の30分番組は「1、2年で打ち切られるのでは」との当初の予想を裏切り、平均10%の高視聴率を維持した。
■ □
結局、85年8月12日、日航機墜落事故で坂本が世を去るまで番組は続いた。「坂本の代わりにキャスターはいない」番組は翌9月、9年間、462回の幕を閉じる。しかし、残した足跡と笑顔は、今も障害者や福祉関係者を支えている。
ダウン症の岡本佳子は、坂本の言葉を励みに夢をかなえた。
81年、9歳の時に番組に出演。絵を描くのが好きだった岡本は、収録の合間に坂本に将来の夢を聞かれ、「25歳になった9月9日に美術館を作りたい」と打ち明けた。「約束だよ。頑張れよ」
岡本は小遣いを少しずつため、97年9月9日、約束通り、札幌市の自宅を改築して「小さな美術館」を開いた。「九ちゃんが今でも好き」と言う岡本は、笑うお地蔵さんなどの個性的な絵を描き続ける。
北海道栗山町には93年9月、「坂本九思い出記念館」がオープンした。
墜落事故の2週間前、坂本が最後の収録で訪れた町だ。その時、障害者の実習農場を案内し、後に障害者支援施設を開いた橘文也(64)ら9人が寄付を募って記念館を建てた。
橘は坂本と、チャリティーコンサートで知り合って15年来の付き合いだった。「障害者に会ううちに、ますます飾らない笑顔になっていった」と感じた。
一緒に食事をした時、坂本は「みんなが楽しく生きられればいいよね」とよく口にしていた。障害者への差別や偏見をなくしていきたいという熱意を、橘は受け止めた。
橘らは今年4月、「サンデー九」も復活させた。毎週金曜日の夕方、STVラジオの情報番組の中で、福祉を取り上げる15分間のコーナー。坂本の長女で歌手の大島花子(38)もたびたびゲスト出演している。=敬称略

坂本九の遺品がならぶ九角形の展示室で語る橘文也=北海道栗山町の坂本九思い出記念館
2011年12月08日 朝日新聞
坂本九が「第2のふるさと」と呼んだ場所がある。北海道だ。その縁は「上を向いて歩こう」が全米でヒットした1963年にさかのぼる。
坂本は地元民放、札幌テレビ(STV)のチャリティーショーに出演した。60年から北海道夕張市で流行し始めたポリオにかかった子どもたちを支援するためのショーに、坂本は71年まで9年連続で出た。
■ □
76年10月には、STVで坂本がキャスターを務める福祉番組「ふれあい広場サンデー九」が始まった。
障害児学級や、高齢者施設などを訪ね歩き、障害者らの声に耳を傾ける。時には海外の取り組みも取材した。道の担当者に福祉行政の不備を指摘することもあった。
まひしてろれつが回らない障害者の言葉も理解して、笑顔で会話する。そんな坂本を見た当時の番組ディレクター林健嗣(61)は、「この人は本物だ」と感じた。「寄り添って代弁者になろうとしていた。いつでも自然体だった」
街にはスロープもなく、福祉をテーマにした番組も珍しかった時代。毎週日曜日の朝の30分番組は「1、2年で打ち切られるのでは」との当初の予想を裏切り、平均10%の高視聴率を維持した。
■ □
結局、85年8月12日、日航機墜落事故で坂本が世を去るまで番組は続いた。「坂本の代わりにキャスターはいない」番組は翌9月、9年間、462回の幕を閉じる。しかし、残した足跡と笑顔は、今も障害者や福祉関係者を支えている。
ダウン症の岡本佳子は、坂本の言葉を励みに夢をかなえた。
81年、9歳の時に番組に出演。絵を描くのが好きだった岡本は、収録の合間に坂本に将来の夢を聞かれ、「25歳になった9月9日に美術館を作りたい」と打ち明けた。「約束だよ。頑張れよ」
岡本は小遣いを少しずつため、97年9月9日、約束通り、札幌市の自宅を改築して「小さな美術館」を開いた。「九ちゃんが今でも好き」と言う岡本は、笑うお地蔵さんなどの個性的な絵を描き続ける。
北海道栗山町には93年9月、「坂本九思い出記念館」がオープンした。
墜落事故の2週間前、坂本が最後の収録で訪れた町だ。その時、障害者の実習農場を案内し、後に障害者支援施設を開いた橘文也(64)ら9人が寄付を募って記念館を建てた。
橘は坂本と、チャリティーコンサートで知り合って15年来の付き合いだった。「障害者に会ううちに、ますます飾らない笑顔になっていった」と感じた。
一緒に食事をした時、坂本は「みんなが楽しく生きられればいいよね」とよく口にしていた。障害者への差別や偏見をなくしていきたいという熱意を、橘は受け止めた。
橘らは今年4月、「サンデー九」も復活させた。毎週金曜日の夕方、STVラジオの情報番組の中で、福祉を取り上げる15分間のコーナー。坂本の長女で歌手の大島花子(38)もたびたびゲスト出演している。=敬称略

坂本九の遺品がならぶ九角形の展示室で語る橘文也=北海道栗山町の坂本九思い出記念館
2011年12月08日 朝日新聞