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古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

孝霊山-藤白神社-《藤ノ木古墳・法輪寺・元明陵》

2013年01月11日 00時51分39秒 | Weblog
藤白神社-元明天皇陵の線上に法輪寺(三井寺)は、ほぼのっていました。 藤ノ木古墳はわずかに外れています。 ところで、藤白神社-孝霊山の線と、これらの藤ノ木古墳、法輪寺(三井寺)、元明天皇陵は直角三角形になりそうです。 これまた、だからどうなんだ、といわれそうです。 しかし、有間皇子に文武天皇が投影され、藤ノ木古墳の被葬者が文武天皇であり、その文武天皇が殺害されたのが現在の法輪寺(三井寺)の場所で . . . 本文を読む

有馬皇子と藤白

2013年01月09日 13時03分35秒 | Weblog
以前もやりましたが、「軽皇子」と呼ばれる方は何人も登場しています。 木梨軽皇子、孝徳天皇(軽皇子)、文武天皇(軽皇子)がいました。 (軽は武器・武力を表わしているはずです) そして、「阿倍」のつく「皇女」「内親王」がいましたし、孝徳天皇の「寵妃」も「阿倍氏」でした。 天智天皇皇女とされる「元明天皇」が阿閇皇女(あへのひめみこ)で、 聖武天皇と光明子の皇女は「孝謙(称徳)天皇」は阿倍内親王でした。 . . . 本文を読む

△孝霊山-高市山-瀧原宮、その他

2013年01月06日 23時36分00秒 | Weblog
△高市山-瀧原宮-孝霊山は、見た目は二等辺三角形ですが、数字的にはいかがなものでしょう。 △孝霊山-高市山-瀧原宮 高市山→孝霊山  Ⅰ317°29′42.93″  Ⅱ136°16′13.32″ Ⅲ290,725.358(m) 瀧原宮→孝霊山  Ⅰ294°40′22.31″ Ⅱ112°59′13.65″  Ⅲ294,304.108(m) 高市山→瀧原宮  Ⅰ37°34′00.67″  Ⅱ2 . . . 本文を読む

孝霊山-高麗寺跡-日ノ御埼、日ノ山(和歌山県)

2013年01月05日 13時31分42秒 | Weblog
□高市山-瀧原宮-高麗寺跡-日ノ山(和歌山県)、日ノ御埼は長方形になっているように見えました。 http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/a61e59423b2ec0b838035755c72ab930 高市山-瀧原宮-高麗寺跡に日ノ御埼、日ノ山(和歌山県)2012年12月19日 http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/2f . . . 本文を読む

《高松塚古墳-仁徳天皇陵-高市山》⇔道成寺

2013年01月03日 15時37分58秒 | Weblog
高松塚古墳の被葬者は高市皇子(天皇)のはずです。 そして仁徳天皇陵の被葬者を高市皇子(天皇)と重ねあわそうとするならば、高松塚古墳と仁徳天皇陵と高市山をなんとしても結び付なければなりません。 それは、道成寺を入れることによって成立します。 昨日の追加だけです。 △高松塚古墳-仁徳天皇陵-道成寺 高松塚古墳→仁徳天皇陵  Ⅰ291°20′08.17″ Ⅱ111°09′18.97″  Ⅲ31,3 . . . 本文を読む

高市天皇と仁徳天皇陵(大仙陵古墳)

2013年01月02日 22時11分12秒 | Weblog
高市皇子(天皇)が、高市山-瀧原宮の直線と関連付けるとするには〈仁徳天皇陵〉と〈反正天皇陵〉のどちらを狙いにするでしょうか。 △高市山-瀧原宮-反正天皇陵のほうが△高市山-瀧原宮-仁徳天皇陵よりも、数値的には少し良いと思えます。 そこで、高市皇子(天皇)は、自らを反正天皇陵の被葬者(たぶん『倭の五王』の一人なのでしょう)に見立て、天武天皇を仁徳天皇に比定させて仁徳天皇陵の被葬者を親の天武天皇に重ね . . . 本文を読む