私が忘れていただけだったかもしれません。次の文章を見た覚えがありませんでした。
《大蛇の居る上に常に雲気あり》(紀、神代上)
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_01.html
草薙劒、此云倶娑那伎能都留伎。一書曰、本名天叢雲劒。蓋大蛇所居之上、常有雲氣。故以名歟。至日本武皇子、改名曰草薙劒。素戔鳴尊曰、是劒也。吾何敢私以安乎、乃上獻於天也。
この文章をみて思いつくのは、下記で書いたように
旧約聖書には「幕屋(移動式神殿)の上には必ず雲があった」とあることです。
(以前は、当たり前だと考えたために忘れてしまっていたのかもしれません。忘れようのない文のはずですが、。)
(日本のヤマトの)大蛇と(旧約聖書の)神殿は完全にオーバーラップしています。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/07663254241f7230541a8d444de3f6b4
出雲が聖地であることの証明 2005年03月15日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/81a2ae84445f3809ffa229e463d377a0
なぜ日本では『古事記』『日本書紀』の二つがあるのか 2005年03月08日
幕屋(移動式神殿)が神聖なものならば、ヤマタノオロチ(邪馬臺<やまと>の大蛇)も神聖であるべきです。
ですが、日本の場合、捻じ曲がっているというか、ひねくれてしまっているというか、複雑になっています。
なんせ、始祖である素戔鳴尊に退治されてしまっているのですから、・・。
まぁ、そんなところは以前にも書いています。
で、出雲と三輪は結びつきます。
瀧原宮-三輪山・箸墓-出雲(日御碕神社)は一直線になることもみています。
そこで、何がそこでなんだか、説明しにくいですが、
元明天皇陵-法隆寺-三輪の位置関係をみました。
以前にも似たようなことをやっていますが、元明陵というところがミソです。
私の考えでは、阿閇皇女(あへのひめみこ・元明)は、天上に帰るときにすべてを忘れてしまった‘かぐや姫’や、自失状態となった‘宮子’、源氏物語の‘藤壺’、孝徳天皇の寵妃‘あへ氏’のモデルとなっています。
推古天皇にだって反映されているはずです。(即位年から)
(額田王にも反映されている部分があるんじゃないか、と思いはじめています)
△元明天皇陵-法隆寺-三輪は直角三角形になりそうです。
三輪山や箸墓では少し角度が小さいので、大神神社にしました。(いいかげんと思われましょう。)
法隆寺・大講堂
北緯34度36分53.15秒、東経135度44分03.10秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343653.15&l=1354403.10
元明天皇陵
北緯34度42分17.37秒、東経135度49分46.45秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344217.37&l=1354946.45
大神神社
北緯34度31分43.72秒、東経135度51分11.08秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343143.72&l=1355111.08
法隆寺・大講堂→元明天皇陵
Ⅰ41°09′37.33″ Ⅱ221°12′52.59″ Ⅲ13,275.866(m)
法隆寺・大講堂→大神神社
Ⅰ131°07′17.64″ Ⅱ311°11′20.49″ Ⅲ14,488.592(m)
元明天皇陵→大神神社
Ⅰ173°41′32.67″ Ⅱ353°42′20.74″ Ⅲ19,644.518(m)
法隆寺・大講堂での角度
131°07′17.64″-41°09′37.33″=89°57′40.31″≒89.9612度
元明天皇陵での角度
221°12′52.59″-173°41′32.67″=47°31′19.92″≒47.5222度
大神神社での角度
353°42′20.74″-311°11′20.49″=42°31′00.25″≒42.5167度
《大蛇の居る上に常に雲気あり》(紀、神代上)
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_01.html
草薙劒、此云倶娑那伎能都留伎。一書曰、本名天叢雲劒。蓋大蛇所居之上、常有雲氣。故以名歟。至日本武皇子、改名曰草薙劒。素戔鳴尊曰、是劒也。吾何敢私以安乎、乃上獻於天也。
この文章をみて思いつくのは、下記で書いたように
旧約聖書には「幕屋(移動式神殿)の上には必ず雲があった」とあることです。
(以前は、当たり前だと考えたために忘れてしまっていたのかもしれません。忘れようのない文のはずですが、。)
(日本のヤマトの)大蛇と(旧約聖書の)神殿は完全にオーバーラップしています。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/07663254241f7230541a8d444de3f6b4
出雲が聖地であることの証明 2005年03月15日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/81a2ae84445f3809ffa229e463d377a0
なぜ日本では『古事記』『日本書紀』の二つがあるのか 2005年03月08日
幕屋(移動式神殿)が神聖なものならば、ヤマタノオロチ(邪馬臺<やまと>の大蛇)も神聖であるべきです。
ですが、日本の場合、捻じ曲がっているというか、ひねくれてしまっているというか、複雑になっています。
なんせ、始祖である素戔鳴尊に退治されてしまっているのですから、・・。
まぁ、そんなところは以前にも書いています。
で、出雲と三輪は結びつきます。
瀧原宮-三輪山・箸墓-出雲(日御碕神社)は一直線になることもみています。
そこで、何がそこでなんだか、説明しにくいですが、
元明天皇陵-法隆寺-三輪の位置関係をみました。
以前にも似たようなことをやっていますが、元明陵というところがミソです。
私の考えでは、阿閇皇女(あへのひめみこ・元明)は、天上に帰るときにすべてを忘れてしまった‘かぐや姫’や、自失状態となった‘宮子’、源氏物語の‘藤壺’、孝徳天皇の寵妃‘あへ氏’のモデルとなっています。
推古天皇にだって反映されているはずです。(即位年から)
(額田王にも反映されている部分があるんじゃないか、と思いはじめています)
△元明天皇陵-法隆寺-三輪は直角三角形になりそうです。
三輪山や箸墓では少し角度が小さいので、大神神社にしました。(いいかげんと思われましょう。)
法隆寺・大講堂
北緯34度36分53.15秒、東経135度44分03.10秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343653.15&l=1354403.10
元明天皇陵
北緯34度42分17.37秒、東経135度49分46.45秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344217.37&l=1354946.45
大神神社
北緯34度31分43.72秒、東経135度51分11.08秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343143.72&l=1355111.08
法隆寺・大講堂→元明天皇陵
Ⅰ41°09′37.33″ Ⅱ221°12′52.59″ Ⅲ13,275.866(m)
法隆寺・大講堂→大神神社
Ⅰ131°07′17.64″ Ⅱ311°11′20.49″ Ⅲ14,488.592(m)
元明天皇陵→大神神社
Ⅰ173°41′32.67″ Ⅱ353°42′20.74″ Ⅲ19,644.518(m)
法隆寺・大講堂での角度
131°07′17.64″-41°09′37.33″=89°57′40.31″≒89.9612度
元明天皇陵での角度
221°12′52.59″-173°41′32.67″=47°31′19.92″≒47.5222度
大神神社での角度
353°42′20.74″-311°11′20.49″=42°31′00.25″≒42.5167度