古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

持衰と架空の存在

2005年04月08日 23時34分19秒 | Weblog
 聖徳太子が実在しなかったという説は私に力を与えるものです。
私は、聖徳太子はともかく、稗田阿禮は架空の存在のはずだと考えました。そして、紫式部もおそらくそうであろうと考えています。
ではなぜ架空の存在が創られたのか、必要としたのか。
私の説は、『「魏志倭人伝」は特殊な間違い・勘違いで書かれた部分が大変多く、そのために「魏志倭人伝」は、日本では、「卑弥呼復活の預言書」と理解され、その間違いどおりに「記・紀」「源氏物語」が書かれた』というものです。
ですから逆に、古事記・稗田阿禮、日本書紀・聖徳太子、源氏物語・紫式部が架空の存在ならば、「魏志倭人伝」の中に架空の存在が書かれているに相違ないのです。日本は「魏志倭人伝」の間違いの構造どおりに史書を書かなければならないという宿命を背負わされていました。もちろん、出雲から復活した天皇家は卑弥呼の子孫だからです。
稗田阿禮はその名前から「卑日可豊」が浮かび上がります。「卑弥呼は太陽であり、トヨという名前である」と意訳できます。
また源氏物語に求められているのは「大和朝廷が最も恐れている怨霊」を鎮めることにあり、それは、国家の要を防護せよという国家の要請であります。
たった一人の女性が、国家の要請に応えて、源氏物語を完成させるのは不可能であり、その責務を負わせるのは酷です。男だろうが女だろうが個人が、この‘国の要請’に応えるのは無理です。国のしかるべき機関が成し遂げる以外には方法はありません。それができるのは、安倍晴明が指揮した宮廷直属の官僚機構・陰陽寮だけでしょう。
源氏物語の中に当時権勢を誇っていた藤原道長をおっちょこちょい、早とちり、と思わせる場面があります。こんなことができるのは安倍晴明以外ありません。道長は安倍晴明に文句の一つも言ったはずです。しかし、構成上仕方ないことです、とでもいわれて、反論できずに‘ウーン’とうなりながらも、納得させられてしまったことでしょう。
源氏物語は、途中でトーンがひどく沈み込むところがありました。たぶん、その時安倍晴明が亡くなっていたのでしょう。羅針盤を失ったため源氏物語は道を迷ったようです。
紫式部を創造するところから物語は始まっています。紫式部のエピソードには生き生きと場面を髣髴とさせるものがあります。しかしそれらは架空のものだと思われます。

では「魏志倭人伝」のどこに架空の存在が書かれているのでしょうか。それは持衰(じさい)だと考えられます。

其行來渡海詣中國 恆使一人 不梳頭 不去[虫幾]蝨衣服垢汚 不食肉 不近婦人 如喪人 名之爲持衰若行者吉善 共顧其生口財物;若有疾病 遭暴害 便欲殺之謂其持衰不謹

其の行来・渡海、中國に詣るには、恒に一人をして頭を梳(くしけず)らず、キ蝨(キしつ・しらみのこと)を去らず、衣服垢汚、肉を食わず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。之を名づけて持衰と為す。若し行く者吉善なれば、共に其の生口・財物を顧し、若し疾病有り、暴害に遭えば便ち之を殺さんと欲す。其の持衰謹まずと謂えばなり。

渡海して中国に往来するときには、恒に一人には、頭を梳らず、虱を取り去らず、衣服は垢に汚れたままにし、肉を食べず婦人を近づけず、喪に服している人のようにさせる。これを名づけて持衰としている。もしも旅がうまく行けば、人々は彼に生口・財物を与え、もし途中で疾病、暴風などによる被害があれば、持衰を殺そうとする。その持衰が謹まなかったからだというわけである。
 
この文章を普通に読めば、持衰という役柄の人物は航海に同乗しているとなります。ところが、研究者の中には、それでは変だ、と考えている人がいるようです。なぜならば、「被害にあったとき、持衰を殺そうとする」としても、持衰は一緒に乗っているわけですから、一緒に被害に遭っていることになります。
殺さなくても死んでいる場合もあるでしょうし、その他の場合を考えても持衰を殺すことにそれほどの意味は考えられません。
そこで、持衰は同乗していなかったという説がでてくるそうです。同乗しないで何処にいたかというと、陸上にいて航海の無事を祈るという役目だそうです。
そのような例は確かに存在していて、インドネシアに多いそうです。

閼伽出甕 論考集「“持衰”について」(7)
≪また、男たちが遠出するとき、居残った者が“持衰”と同様の生活を送る風習が、インドネシアなどにも数多くあることが報告されている。ただし、この場合、居残る者は一般には女性である。≫・・インターネットより
 
しかし、陳寿の間違いっぷりからすると、インドネシアに持衰のような存在があったとしても、古代日本に存在したとは限らないのです。邪馬台国を南と勘違いしたために、南方の風俗を取り上げたのかもしれません。確かに、家族の誰かが渡海する時には、残されたものはそのものの無事を願い、祈りはするでしょう。ですが、日本の場合、朝鮮半島に渡航するのは、潮の流れが速いにしろ、それを熟知していれば、それほど難しいものとは思えないのです。もっと、半島は近いはずです。北九州と朝鮮半島特に釜山辺りとは緊密な関係だったはずです。問題は天候だけです。
中国に行くにしてもソウルの近く・帯方郡に中国の出先機関があったのですから、安全に行こうとすればそれも可能なはずです。我々は鑑真和上の例が刷り込まれすぎているのではないでしょうか。

≪永井俊哉ドットコム論文集・天皇のスケープゴート的起源≫では
≪船を国に置き換えた時、国王は持衰に相当することがわかる。≫とかかれていました。
 
これを読むと、聖徳太子は持衰のような役割といっていいのかもしれないと思えます。持衰は、「魏志倭人伝」では、ナビゲーターとも取れます。すると、稗田阿禮や紫式部の役目といっていいように思えます。
 
ともかく私の考えでは、日本では「記・紀」の編纂、源氏物語の製作に関し大胆に架空の存在を作り上げています。それが可能なのは、当時みんなが架空の存在が必要であることを認めていたからです。そして、それは「魏志倭人伝」の≪持衰≫からきているものと考えます。

現在、私の説は問題の設定自体から理解されないかもしれません。
タイトルをまた変えてみようかな。気分転換に。


《追記・2009・3/17
2007-02-09持衰再考、持衰は女性である
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/caa6aab5b892e2518b4da1fd29fa8d13
も参照してください。》
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4 コメント

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Unknown (内田)
2006-04-19 22:02:48
神奈川県の三浦半島・東京湾側にある大浦山洞窟では弥生時代に東京湾横断の「持衰」に失敗し、断首の上、頭部を刃物で破壊されて脳を取り出されておそらく食人に供された頭骨がいくつも発見されています。

持衰に付き物の焚き火のあと、そしてイルカの骨を使ったト骨も同時に出土しています。

持衰が架空というのは早急な結論では?

http://nikki.cmaker.jp/takumi/nk-20050505.html

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Unknown (go-hot-ai)
2006-04-21 22:25:52
コメントありがとうございます。

大浦山洞窟というところがあり、そこから脳を取り出された頭骨が発見されていたということを初めて知りました。検索してみましたが、凄いところがあるんですね。

しかし、申しわけありませんが、これがどうして「持衰」と判断できるのか、理解できません。

確かに、おっしゃられるように、「持衰が架空の存在だ」というのは早急な結論かもしれません。ただ、私の考えとしては、「魏志倭人伝」には必ず「架空の存在」が書かれているはずなのです。その第一候補が「持衰」ではないか、と考えただけです。

ですから、「日本に持衰が実在した」という証拠が発見されたならば、次の候補を見つけるわけです。ずるい論理になっています。

そして、持衰が実在しようが、架空であろうが、日本の歴史には、架空の存在が登場している、というほうが強固な思いです。

そこで、持衰については留保していると、お考えいただけたら、幸甚です。そのうち、再度考えてみます。

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これは小説ですね (否持衰舎)
2009-03-06 15:50:32
持衰を見ていたら、この頁に来た。
想像とか夢とか、そんな世界で語るのは面白い。
でも、まるで本当かのように信じている様子はちょっと可愛そうになった。ということで投稿。
根拠が一つもない。想像を組み立てる材料に想像を持ってきている、これは小説の世界。
目的は何なのかナア。
返信する
卑弥呼と持衰 (永岡)
2009-03-17 00:47:10
 この部分だけを見て「根拠が一つもない」とコメントされることも無理ないかな。
 そこで、暇がありましたなら、このブログで最初に書いてある『魏志倭人伝』や「記・紀」についてどう考えているか、というところや
2007-02-09持衰再考、持衰は女性である
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/caa6aab5b892e2518b4da1fd29fa8d13
なども読んでみて下さい。(無理強いはしませんが)
『逆』がキーワードです。
 
 それらを踏まえて簡単に付け加えます。
 持衰と卑弥呼の役割や性格にオーバーラップするところがあるならば、持衰と卑弥呼が同一地域に同時に存在するということは不思議なことになります。
 はっきりいえば、卑弥呼が存在していたならば、持衰は存在する必要がないのです。
 持衰は航海についての専門職で、卑弥呼は総合職という違いがあるのではないかと思われるかもしれませんが、関係ありません。
『魏志倭人伝』が正確であるということを前提にすると、富士山に登っているつもりで樹海を彷徨(さまよ)うことになります。
 きっと、出口は見つからないでしょう。
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