古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

△白兎神社-道成寺-伊吹山は正三角形に見えます Ⅱ

2023年06月23日 10時15分01秒 | Weblog
前回やったように
△白兎神社-道成寺-伊吹山は、一見、正三角形に見えますが、正確には正三角形とはいえませんでした。
伊吹山-道成寺    201,390.112(m)
伊吹山-白兎神社  208,286.824(m)
道成寺- 白兎神社  203,243.338(m)
伊吹山での角度    59.4655度
道成寺での角度    61.9686度
白兎神社での角度    58.5914度

〈伊吹山-白兎神社〉 の距離が208kmで
〈道成寺-伊吹山〉、〈道成寺- 白兎神社〉 よりちょっと長い。
なぜだろうと想像しました。
最初の想像は、正確に正三角形を創るように、白兎神社の位置を決めるとすると、
白兎神社を内陸部にしなければならなかったのではないか、でした。
しかし、「因幡の白兎」の話は海の近くでなければ成立しません。
それで、正確な正三角形は無理だった、と考えました。
そこで、より正確な正三角形になる地点を見つけることにしました。
グーグルアースなら簡単です。

「伊吹山」を中心として、半径を「道成寺」にする円を作成し、
「道成寺」を中心として、半径を「伊吹山」にする円を作成し、
その交点を見ればいいのです。
 (当たり前ですが、二か所交点ができますが、一か所は無視です)

すると内陸部ではありませんでした。
特徴的に思えたのは、鳥取砂丘のすぐ横だったことです。









卑弥呼臺与(トヨ)は、屋敷に火をつけられ、火災により死亡しました。ただし、やけどではなく、一酸化炭素中毒による酸欠死のはずです。
表面には見えない形で、多少の火傷もあったかもしれません。
「因幡の白兎」は卑弥呼臺与(トヨ)のはずです。
白兎が皮を剥がれた、というのは火傷を卑弥呼臺与(トヨ)の死因と考えた人もいたのでしょう。
その場合、鳥取砂丘のすぐそばでは、火傷を治療するのに「砂」を使用することになるでしょう。
しかし、火傷の治療に砂を使用することはありえません。
それで、白兎神社の位置をずらしたのではないでしょうか。
交点から西に6,7km離れた地点に白兎神社があります。
伊吹山-白兎神社  208,286.824(m)でしたから、ほぼ真西にずれていました。
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