「魏志倭人伝」と同じように、「記・紀」には逆に書かれているところがあります。
天智九年(670)
「四月三十日夜半之後(あかつき)に法隆寺に炎(ひつ)けり。一屋も余ることなし」
これを、法隆寺が建立された話と読むのです。
馬鹿な、とお思いでしょうが、『天孫降臨』だろうが、『神武東征』だろうが、逆になっているのです。これが、逆だっておかしくはありません。(例によって強引です)
法隆寺が消失した、の逆 . . . 本文を読む
カレンダー
最新記事
最新コメント
- 広島人/古代日本における鉄の重要性
- 永岡/またもや立ち止まり。
- ish/またもや立ち止まり。
- ともチャン/「藤原宮」の藤原の意味について
- 永岡/寄り道・『隋書倭国伝』の阿蘇山について②
- 検索できました/寄り道・『隋書倭国伝』の阿蘇山について②
- 永岡/なぜ日本では『古事記』『日本書紀』の二つがあるのか
- エロケン/なぜ日本では『古事記』『日本書紀』の二つがあるのか
- 永岡/堅塩媛(きたしひめ)改葬・推古の遺言について 再考
- 永岡/高市皇子は即位したでしょうか Ⅱ
バックナンバー
アクセス状況
アクセス | |||
---|---|---|---|
閲覧 | 200 | PV | |
訪問者 | 156 | IP | |
トータル | |||
閲覧 | 4,467,887 | PV | |
訪問者 | 1,383,779 | IP | |
ランキング | |||
日別 | 9,026 | 位 | |
週別 | 8,346 | 位 |
ブックマーク
- goo
- 最初はgoo
カテゴリー
- Weblog(1843)