吉村昭著「三陸海岸大津波」は、昭和45年に「海の壁」として上梓され、
平成16年に「三陸海岸大津波」と改題されて文庫になった。
今年の震災後再び文庫化されて広く知られた。
明治29年、昭和8年、昭和35年、
いずれも三陸海岸を襲った大津波の記録である。
明治29年の津波については、吉村昭氏本人が、昭和45年当時、
まだ存命中だった津波から辛くも逃れた二人の体験者からの聞きとりをしている。
昭和8年の津波については当時の小学生の作文が引用されている。
いずれも今と違って映像のない時代である。
記録の重みは現代の比ではなかろうと思う。
巻末の解説で、高山文彦氏は著している。
「明治の大津波についで、なぜ昭和の大津波でも大きな犠牲を払わなければならなかったのか。
これは悔いても悔いきれない、痛ましい事実である」
この「昭和の大津波」というのは、昭和八年の津波のことである。
時代は進んだが、津波により原発というさらなる事故が加わったことを思うとき、
人間はこれまでいったい何を学んできたのだろうかとの思いを深くし、
まさに悔いても悔いきれないのである。
まずは知ることからの思いで読み終えた。
平成16年に「三陸海岸大津波」と改題されて文庫になった。
今年の震災後再び文庫化されて広く知られた。
明治29年、昭和8年、昭和35年、
いずれも三陸海岸を襲った大津波の記録である。
明治29年の津波については、吉村昭氏本人が、昭和45年当時、
まだ存命中だった津波から辛くも逃れた二人の体験者からの聞きとりをしている。
昭和8年の津波については当時の小学生の作文が引用されている。
いずれも今と違って映像のない時代である。
記録の重みは現代の比ではなかろうと思う。
巻末の解説で、高山文彦氏は著している。
「明治の大津波についで、なぜ昭和の大津波でも大きな犠牲を払わなければならなかったのか。
これは悔いても悔いきれない、痛ましい事実である」
この「昭和の大津波」というのは、昭和八年の津波のことである。
時代は進んだが、津波により原発というさらなる事故が加わったことを思うとき、
人間はこれまでいったい何を学んできたのだろうかとの思いを深くし、
まさに悔いても悔いきれないのである。
まずは知ることからの思いで読み終えた。