風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

尊厳死

2010-06-24 22:27:44 | 健康
 出来ればまだ死にたくはない、しかし、いずれは死ななければならならい。
当たり前のことである。
 
 今日死ぬと言われるのと十年先で死ぬと言われる差はあまりに大きい。
 しかし、よく考えてみると、本当にそうだろうか。

 今日死ねば、やり残したことがあり、あまりに無念だし、周囲は慌てる。
 だが、十年先だったらどうか。
これでよかった、などと思えるだろうか。
 やっぱり無念は残り、周囲は慌てるのではなかろうか。

 どちらにしたところで、死んで半年もたてば、この世にいなくなったことに周囲は馴れるし、ばあさんの無念が怨霊になってあたりを脅かすことなどないのである。

 五年先に死んでも十年先に死んでも、死んだあとは同じなのである。
 だから、風子ばあさんは、死ぬのはそれほど怖くないのである。
仕方がないと思っている。

 けれども、何が嫌と言って、痛い苦しいのだけは勘弁してほしい。
トゲが刺さっても、腹をくだしても、インフルエンザで熱を出しても、ばあさんは、のたうちまわる。
 来る日も来る日ものたうちまわる末期など、想像するだけで気が狂いそうになる。
それなくして死ねると約束してくれるなら、今日は無理でも、そう遠からぬ日に、ぽっくり死んでいいとさえ思う。

 尊厳死協会に入っているが、あれは延命治療をしないというだけで、安楽死はさせてくれない。
オランダでは、希望すれば注射で眠るように安楽死をさせてくれるという。
実に羨ましい。

 もうこれまで、と思ったときに、お願いしますと言って、気持ちよく死なせてもらえると思ったら、安心して明るく生きていられるではないか。
 いまさらオランダへ移住は出来ない。

 末期でさえ過大な医療を施すこの国に住むばあさんは、ピンピンコロリを日夜念じて生きているのである。