向こうから、幼稚園児くらいの女の子と、母親らしい二人連れが歩いてきた。
住宅地の中の、あまり広くもないごくありふれたアスファルト道路である。
並んで歩いていた母親が、ほら、そこを歩いたらいけません、と女の子に注意した。
マンホールの丸い鉄製の蓋を踏むなと言っているのだ。
ほう、と感心した。
風子ばあさんも、たいがい用心深い。
子供を育てる間、棒のついた飴をなめさせたことはない。
よその子供のことでも、棒のついた菓子を食べながら歩いているのを見ると、もし転んで、咽喉でも突いたらと恐ろしい。
ストーブの上に薬缶などもおかなかった。
しかし、歩いていて、マンホールの蓋を踏むなと言った覚えはない。
ばあさん自身、多分、いつも何気なく踏んでいる。
なるほど、蓋がある以上、それがずれることも浮くことだって、ないとはいえない。
踏まなければゼロの危険を、わざわざ冒すことはない。
賢いお母さんである。
しかし、そうやって数えあげればこの世は危険なことばかりである。
ばあさんは、うちの子供たちが小さいころ、汚れたものを触ろうとすれば、バッチイヨ、といい、高いところに登ろうとすればアブナイよ、と言った。
我が家の息子どもが、大胆不敵な大物になれなかったのは、バッチイヨ、アブナイヨ、と言われ続けたせいかもしれない。
今さら、謝りようもないが、すんでみれば数々お詫びの言葉を述べたい子育てではあった。
住宅地の中の、あまり広くもないごくありふれたアスファルト道路である。
並んで歩いていた母親が、ほら、そこを歩いたらいけません、と女の子に注意した。
マンホールの丸い鉄製の蓋を踏むなと言っているのだ。
ほう、と感心した。
風子ばあさんも、たいがい用心深い。
子供を育てる間、棒のついた飴をなめさせたことはない。
よその子供のことでも、棒のついた菓子を食べながら歩いているのを見ると、もし転んで、咽喉でも突いたらと恐ろしい。
ストーブの上に薬缶などもおかなかった。
しかし、歩いていて、マンホールの蓋を踏むなと言った覚えはない。
ばあさん自身、多分、いつも何気なく踏んでいる。
なるほど、蓋がある以上、それがずれることも浮くことだって、ないとはいえない。
踏まなければゼロの危険を、わざわざ冒すことはない。
賢いお母さんである。
しかし、そうやって数えあげればこの世は危険なことばかりである。
ばあさんは、うちの子供たちが小さいころ、汚れたものを触ろうとすれば、バッチイヨ、といい、高いところに登ろうとすればアブナイよ、と言った。
我が家の息子どもが、大胆不敵な大物になれなかったのは、バッチイヨ、アブナイヨ、と言われ続けたせいかもしれない。
今さら、謝りようもないが、すんでみれば数々お詫びの言葉を述べたい子育てではあった。