風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

携帯電話

2010-06-16 14:21:21 | 時事
 このごろ、バスや電車の中で、携帯電話で話す人はさすがに減った。
かわりに一心にメールを打ち込んだりヘッドホンで音楽を聴いたりしている姿は日常的になった。

 しかし、先日は、ある公共施設のトイレを使用中、隣の個室で携帯で話す大きな声がして驚いた。

 今、トイレ。
 大? 違うよ、小……。今から水を流すところ。聞こえる?  
 そのあと水を流す音まで聞かせたらしい。
やがてドアを開ける音がして出て行った。

 はしたないなあと思う。
電話の相手は、まあ、そこそこ、この手の話に了解済みかもしれないが、隣の個室、あるいは外で順番を待っている人間がどう思うかという想像力が欠如している。

 昔、バスや電車の中ではおよそみんな本を手にしていた。
それしかなかったからである。
 通勤時間だけで何冊も読みあげるのはごく普通のことだった。

 読書は、いろいろな想像を膨らませ、想像力が養える。
テレビなどの映像では直接視覚に訴えるが、活字だと、どんな顔色をしているのか、これほど惚れられる主人公はさぞ美人だろうとか、想像力なしでは本は読めない。

 このごろは道を歩きながらの携帯はもう当たり前になった。
ところかまわず鳴るから、携帯なのである。
 これで契約一件まとまるかもしれないセールスマン、あるいは親が病の床にいる人が身内に誰彼と連絡をとりあっているのかもしれない。
 
 想像力は人を寛大にもさせる。