風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

猫はバカか

2010-06-17 10:16:29 | 猫および動物
 猫は馬鹿か利口か分からない。
動物病院へ連れていく話をしていると、ちゃんと聞いていたように、机のかげに身を隠して出て来ない。
 
 こちらの機嫌の悪いときは、近づかず、甘い顔をしていると嬉しそうに、髭のあたりでニマニマ笑いながら寄ってくる。

 夜は抱いて寝てやり、かしづくように可愛がっているのに、家を離れたら、飼い主が分からなくなるのか、外で私を見かけてもそっぽを向く。
 タマちゃん、と声をかけながら近寄ると、すばやく逃げ出す。
ばかあ~、と言ってやる。

 ときどき、窓辺で思案顔でじっと外を見ているときがある。
何を考えているのかしらと思う。
 一度猫の頭の中をのぞいてみたいという気がする。

 言葉が喋れたら面白いだろうと思うが、喋れないから猫は可愛いのかもしれない。

 夫がいない留守に長電話をしているとき、目を細めて横で寝ていた猫が、夫が帰宅したとき、がばっと起きて、ニャアニャア今日はばあさんが電話で、あんたの悪口を言っていたよ、などと言われたら困るのである。

 何があっても、ニャアニャア、しか言わないから猫は可愛いのである。

携帯電話

2010-06-16 14:21:21 | 時事
 このごろ、バスや電車の中で、携帯電話で話す人はさすがに減った。
かわりに一心にメールを打ち込んだりヘッドホンで音楽を聴いたりしている姿は日常的になった。

 しかし、先日は、ある公共施設のトイレを使用中、隣の個室で携帯で話す大きな声がして驚いた。

 今、トイレ。
 大? 違うよ、小……。今から水を流すところ。聞こえる?  
 そのあと水を流す音まで聞かせたらしい。
やがてドアを開ける音がして出て行った。

 はしたないなあと思う。
電話の相手は、まあ、そこそこ、この手の話に了解済みかもしれないが、隣の個室、あるいは外で順番を待っている人間がどう思うかという想像力が欠如している。

 昔、バスや電車の中ではおよそみんな本を手にしていた。
それしかなかったからである。
 通勤時間だけで何冊も読みあげるのはごく普通のことだった。

 読書は、いろいろな想像を膨らませ、想像力が養える。
テレビなどの映像では直接視覚に訴えるが、活字だと、どんな顔色をしているのか、これほど惚れられる主人公はさぞ美人だろうとか、想像力なしでは本は読めない。

 このごろは道を歩きながらの携帯はもう当たり前になった。
ところかまわず鳴るから、携帯なのである。
 これで契約一件まとまるかもしれないセールスマン、あるいは親が病の床にいる人が身内に誰彼と連絡をとりあっているのかもしれない。
 
 想像力は人を寛大にもさせる。


福岡タワー

2010-06-14 15:12:52 | 時事
 新聞のランキングで、人気のタワーが特集されていた。

 風子ばあさんの住む街からは、海を挟んで福岡タワーがそびえ立って見える。
三角形のスマートなタワーは、昼間は空と海の青に映えて銀色に眩しく、夜は、間もなく天の川をイメージしたライトアップが始まり、冬はクリスマスツリーのイルミネーション、と美形なのである。

 ばあさんは、よそから人が来ると、海辺へ連れていき、タワーを見せて自慢するのである。
日本一だと思っていたのである。

 新聞のランキングを見て驚いた。
なんと人気の一位は、東京タワー、二位が横浜マリンタワー。
 何でも関東勢は強いのである。
それはまあ、仕方がないとしよう。

 だが、三位に神戸、四位に下関、……以下、福岡タワーは、なんと九位にならないと出てこないのである。

 なんたること、なんたること! 
ばあさんは、東京タワーとマリンタワーには行ったことがあるが、あれが一位二位なら、福岡タワーは飛び級、別格一位に入らねばならない。

 サッカーワールドカップが始まった。
スポーツは擬似戦争だと言った人がいる。
 タワーでさえお国自慢をしたいのだから、戦争は中々なくらないわけなのである。

 しかし、まだ言おう、白い砂浜を前に、円形の福岡ドームと隣あって立つタワーの眺めは、やっぱり日本一である。

 そうして、ばあさんは、もうすぐ始まるサッカー日本チームを、テレビの前で、金切声をあげて、盛大に応援をするつもりなのである。


男ともだち

2010-06-12 11:15:07 | 友情
 わいわいがやがやの飲み仲間に男ともだちがいる。
といっても、七十過ぎのじいさんである。

 彼は、息子夫婦との二世帯住宅に老妻と暮らしている。
 たまたまその日、息子夫婦が旅行に出たという。

 若いもんが留守だから、たまには一緒に風呂に入ろうと老妻を誘うと、彼女は、にべもなく、なにを馬鹿ばかしいと、断ったという。

 そういう奴なんだ、寂しいじゃないか……。
 彼はなかなかにロマンチストなのである。

 随分、長いこと一緒に風呂に入ったことがないんだ、たまには女房の裸くらい見たいよ、という。あきれて、見ないほうがいいよと忠告した。

 断る奥さんのほうが当たり前でしょ、七十過ぎのシワシワどうし見たってしょうがないでしょう、と言ったら、彼は、そうでもないよ、人間は顔の皺のわりには、身体に皺はよらないもんだよという。
 
 後日、彼は心臓にペースメーカーを入れることになって入院した。
見舞いに行くと、入浴を断ったという奥さんが甲斐甲斐しく、付き添っていた。

 彼と同い年と聞いていたが、どうしてどうして十歳は若く見える美人である。
丸みを帯びた身体も、なかなかに艶っぽく、なるほどなあと、例の話を思い出しながら、初対面の挨拶を交わした。

 この人の裸なら見たいかもしれないと、不届きなことを思いながらお辞儀をした。
 見舞い客がそんなことを思っていたなんで、奥さんはよもや知るまい。

 人の胸のうちほど見えぬものはない。


口蹄疫

2010-06-11 10:45:38 | 時事
 宮崎県で、牛や豚の伝染病、口蹄疫の感染の拡大が止まらない。

 役所の対応や、経済的な損失など、問題は深く、一個人がため息をついてもどうなるものでもない。
 ただ、テレビに映る牛クンや、豚クンの目が哀れで、ばあさんはひとりで涙をこぼしている。

 牛や豚はどっちみち、食べられるため、殺されるために飼育されていると言ってしまえばそれまでだが、飼育者になんの利益も生みださず、あべこべに、殺処分その他で莫大な出費がかかってくるのだから、牛にしても豚にしても、死んでも死にきれない、無念だろうと思う。

 手塩にかけた何百頭もの牛を殺処分、埋却した畜産農家の人が、自分も一緒に埋めてほしかったと泣いたという話を聞いて、風子ばあさんも、涙がとまらないのである。

 さて、それはそれとして、テレビの字幕で口てい疫と「蹄」の字を平仮名にしている局があるが、あれはいかがなものか。

 「蹄」という文字がそう一般的になじみのある文字でない。
常用漢字でないことは承知のうえで思うのだが、目下これだけ話題にのぼっている動物の伝染病を知るよい機会ではないか。

 いまなら「口蹄疫」と書いて、蹄が、てい、と読めないひとはそんなにいないと思う。
口や蹄に水泡が出来る症状からついた病名なのだから、文字を覚えることで病気への理解も深まるのにと思う。読めなかったひともこれを機会に覚えたらよいのにと思うのだが。

 なにごとも杓子定規なことである。

泥棒

2010-06-10 10:50:35 | 時事
 不景気な時代だから、いずこも同じだろうが、風子ばあさんの住む町内でも泥棒が横行している。

 盗られたのを気づかぬうちに警察から連絡があり、いつも置く場所を探したらたしかに財布がなかったという人がいる。

 たまたまドジな泥棒で、捕まって、現場検証に連れて来られたそうである。
盗られた方が、はい、確かに私の財布です……、と言いながら、犯人が乗っている警察車両を覗こうとしたら、プライバシーに関わるので、見たらだめと叱られたそうである。

 別の知人は、一万円ほど入った財布をキッチンに置いて寝たら、朝、失くなっていたという。
ほかは荒らされた形跡がなくて、胸なでおろし、以来、寝る前には、いつも一万円入りの財布を目立つようにテーブル上に置いておくそうである。

 一万円はもったいないから、三千円ではどうだろうか、という人がいた。
 三千円では少なすぎて、ほかを物色されるだろうから、せめて五千円にしたらという人もいて、笑い話のようだが、ホントの話である。

小樽運河

2010-06-09 15:20:00 | 旅行
 風子ばあさんは、ギターは弾くが、歌はまるで駄目である。
だが、例外はあって、都はるみの「小樽運河」だけは、ずっと前に一度だけカラオケで唄った覚えがある。

 セピア色した雨が降る~~ああ、小樽運河~
 小樽運河への知識はそれだけであった。

 その小樽を観光した。
 鰊漁場だったという海は、最盛期には海が見えないほどおびただしい数の鰊で埋め尽くされたという。

 ともかくも、かっては活気にあふれた街の名残りは、今も重厚な石造りやレンガの建物を遺し、かつてのトロッコ跡も見ることができる。

 寿司屋通りというのがあって、寄ってみたかったが、哀しいかなツアーでは別の昼食が用意されている。
 指をくわえて通り過ぎたが、まあ、名物にうまいものなし、というから、痩せ我慢ながら、あきらめた。

 運河のほとりに待機していた人力車は、いつかテレビで見たことのある京都を本部にした観光人力社の支部のようである。

 イケメン揃いの車夫さんが、優しく膝にケットをかけてくれるわ、ガイドをしてくれるわで、あれはなかなかに良かった。

 一緒に行った友だちは、私のように重いのを乗せて走らせるなんて、気の毒でできないと頑張ったが、無理やり乗せた。

 けっこう楽しそうにピースポーズで写真におさまっている。

函館山夜景

2010-06-08 14:15:58 | 旅行
 百万ドルの夜景といわれる香港、巨大なクリスマスツリーのようだといわれるマレーシアのホタル、あまりたいしたことはなかった。
 期待があまり大きいと裏切られる。

 だから、函館の夜景にはそれほどの期待を寄せないで行った。
五稜郭公園、旭山動物園を含むツァーだった。
 結論、函館山は素晴らしかった。

 夕方、夜景にはまだ早い時間だが、バスは登りはじめた。
天気に恵まれたせいもあり、まだ暮れ切らない空は薄青く、山の端は赤い夕陽に染まっていた。眼下の湾は暗く、そのコントラスが絶品だった。

 わずかに、その数分後、すとんとあたりが闇に包まれ、街の灯が宝石箱をひっくりかえしたように煌めいた。
 くびれた湾に挟まれた灯り、満足、マンテン。

 ツアーの常で、土産物屋に引きまわされた。
帰宅して、カバンを開けると、出るわ、出るわ、ラーメン、バター飴、チョコレート、昆布にまじってマンゴーのドライフルーツまで出てきた。

 北海道へ行って、なんで南国トロピカルフルーツを買ってきたんだ? 旅はひとの心をそぞろにさせるとはいえ、あまりにおろかな買い物に、とほほ……でした。


露出狂

2010-06-07 16:15:54 | 時事
 七十も過ぎれば、若いころは話さなかったことも、たいがいのことは喋れる。

 私が男のジッパーの中の物を初めて見たのは、通学途中の路上だった。
すれ違いざまに卑猥な笑いを浮かべながら見せられて、仰天した。

 いまなら、すぐさま携帯電話で通報され、まだそのあたりを歩いているところを、露出猥褻罪とかなんとかで、逮捕、収監されるところだろう。

 あのころの少女は、ただ、ぎゃっと叫んで逃げ、一目散に家を目指して走ったが、ことの顛末は親にも告げなかった。
 それを報告すること事体が、すでにエッチな感じがして、話題にすら出来ないのである。
おそらく、私だけではなかったろうと思う。

 満員電車の中で、あきらかに息を荒らげて体を押し付けてくる輩など、珍しくもなかった。
親には言わないが、朝の女性社員の更衣室などで、話題になることはあった。

 私も、私も……、と濃厚な接触を話題にされると、それほど密着されなかった人間が、あまり魅力的でなく、触られた方が手柄のように、得意になるものもいた。

 もう、この齢だから言わせてもらうが、あれはそれなりの性教育になっていたなどと言ったら、女性の人権団体とか、教育機関などから、さぞかしお叱りを受けることになるのだろう。
 
 すみません。ばあさんの寝言です。

 しかし、いまのように、尻を触ったくらいで、すぐに痴漢と騒がれ、新聞に名前が出て、職を失うというようなのはどうだろうか。

 男たるもの、あらぬ疑いをかけられることを恐れるあまり、必要以上に緊張を強いられ、行儀よく振る舞う。
 これって、結婚しない男が増えた現実と結びつけるのは無理があるかしら。

 あるいは、イライラしたからと、群衆の中に車を暴走させたり、パチンコ屋でガソリンを撒いて多数の死者を出したりなどという事件など関係ないのかしらん。老婆のたわごとです。

フェニックス

2010-06-06 16:54:01 | 歳月
 四十年前、新築祝いに鉢植えのフェニックスを貰った。
訪ねてくる誰からも、見事なものですね、と羨ましがられた。

 私もこんなの欲しいわ、と言っていた仲良しが、マンションを購入したので、私は迷わずフェニックスをプレゼントした。

 奮発したつもりだったが、友人宅のフェニックスは、翌年から葉の色艶を少しずつ薄れさせて、元気をなくしていった。

 大事にしているのよ、日当たりにも水やりにも肥料にも気をつけているんだけど、と友だちはすまなそうに言った。
 私も、けっこういい値段出したんだけどね、と言わないでもいいことを言った。

 その後、友だちのマンションのフェニックスは二年で枯れたのに、我が家のフェニックスはいっこうに衰えを見せなかった。

 あまり大きくもない鉢の中で、根が窮屈そうだった。
いっそ地植えにしようかしらと思いながら、ものぐさにそのまま放ったらかしにしていた。
 肥料もやらず、冬の雪の日でもテラスの軒下のまま、かなり粗末にしていても、少しずつ丈を伸ばした。

 気がついたら四十年が過ぎていた。
植えかえるにも、鉢の中で固まってしまった根のほぐしようもなかった。
こちらも齢をとって、鉢を動かすだけの体力を失っていた。

 今年もなんとか冬を過ごしたフェニックスは、いま初夏の陽を受けて、さすがに痛々しい。
ぼよぼよの葉先を見せながら、でも、まだ枯れきってはいない。
 時間の問題だなあと眺める。

 カチカチになった根元に水をやるとき、なんだか、人間が無理やり延命のために点滴を受けている様子を想像してしまった。

 ご苦労さんだったねえ、もう終わりにしようかと、ここ数日、水やりを控えている。
最後にお酒でも飲ませようかと、もの言わぬフェニックスに相談している。