「おやじぃ」の日々つぶやき

日々の生活の中で見聞や体験したことを、その歳なりで感じる気持を綴ります。

南極観測船 宗谷の雄姿!!

2011年12月18日 | 旅行

12月18日(日)になりました。

これで、暦の上でも残り2週間です・・・



今夜のTV放送の話ですが、TBS~北海道放送(HBC)の「南極大陸」が最終回を迎えます。

先月、東京・お台場に行ったときは放送の半ばくらいだったので、「ゆりかもめ」線に乗って「海浜公園駅」の2つ先「船の科学館駅」まで行き、係留されている「宗谷」を見て来ました。



まず「ゆりかもめ」の始終発の新橋駅から出発しました。動き出したばかりの車両ですが、車内放送で「無人の自動運転云々」と流れていて、ちょっとビックリしました。真向かいのガラス張りのビルは「電通ビル」だそうです。




「船の科学館駅」を降りて直ぐ目の前の「船の科学館」ですが、分かりやすい外観です!!

※月曜は休館日で、入館できませんでしたが。






そして、この建物を船とすると船首に向かって右側(右舷ですね)に、このように「宗谷」が係留・展示されていました。

こちらも月曜の休館日で、船内には入れませんでした。






宗谷の右舷船首です。




こちらはご覧のとおり、船尾です。



そして、左舷側の全体を見たところです。





実物を見た印象として、
え~っ!こんなにこじんまりした船体だったんだ、と思いました。


宗谷の性能諸元を調べてみたら、退役の時点で「総トン数 4,100」「全長 83.3m」全幅 15.8m」となっていました。

詳しくは、次のウイキペディアをご覧ください。



 「宗谷」Wikipedia  




これは余談です。実は1991(平成3)年3月に出張で名古屋方面に行きましたが、その時に南極観測船2代目の「ふじ」を見学していたのを思い出しました。

そのときの入船券(半券)と乗船証明書です。





そして、これは名古屋港ポートビルの展望室?から写したと記憶している「ふじ」の全景です。





さらに、操舵室にて撮ってもらった記念スナップです。






船の科学館の方に戻ります。

宗谷の隣に青函連絡船「羊蹄丸」が係留されていました。この船が現役で就航していたときには、私は相当の回数乗船していました。思い出の一杯ある船です。






ただ・・・この羊蹄丸は確か引き取り先が決まっていた?けれども、最終的には解体されてしまうというような報道がされていたように記憶しています。

昭和はますます遠くなっていくのかなぁ・・・と少し感傷的になりました。






おまけに、おまけの写真です。

この建物は、時たまテレビに写ることがあります。フジテレビ本社です。やはり上層階に設けられた球形の部分は、一度見ると記憶に残ります。





吉野家の新メニュー~十勝仕立て豚丼

2011年12月14日 | 生活雑感

12月14日(水)です。いよいよ明日で師走も中日です・・・


12月上旬(8日からだったと思います。)にあの牛丼・吉野家の新メニュー「十勝仕立て豚丼」を全国一斉にお出しするというCMを見ていたので、先日、昼食がてら食べてきました。

我が家からは、気軽に歩いて行けるところではなく
をしばし走らせてでしたが。


店頭のPR看板です。

吉野家の豚丼は、以前の狂牛病騒動のとき代替メニューで出していましたが、今回のは北海道十勝(主に帯広を中心にして地元の方々が食べている豚丼)のスタイルで出すと言うのです。

これは、道産子としてはぜひとも食さないとならないなぁと思ってでした。(それ+にランチとしてお安いということも勿論ですが。)








さてさて、その並盛とみそ汁(380円+50円=430円)です。

見た目もなかなか美味しそうです。食べてみて・・・グッドでしたぁ。もちろんお肉も大きさ、厚味、食感が良くて、さらに看板に書いてあるように、タレとご飯のからみ具合が絶妙でした。

牛丼は、牛肉を煮込んだのをごご飯にのせるので煮汁がご飯に染み込んでいきますが、この丼はかけタレなので、染みこまないんですね。






これは、最初に食べに行った時に貰ったサービス券(豚丼並盛とみそ汁400円)の裏面に書いてあったこの「豚丼」についての能書です。






ところで、カウンターに置いてあったPRグッズに
「おたがいのために距離を置きました。」と書いてある大きな文字が目に入りました。このコピーはいったい何???




何かと言えば、牛鍋丼の調理及び出し方を工夫しました、という告知コピーでした。面白い・・・



ところで、2度目に行った時に、カウンターに別のPRグッズがありました。それには「カレー」に関する内容で「魚市場の味のカレーを出したい」というようなことが書いてありました。

その内に新たなメニューとして出てくるかも知れませんね。



杜の都の夜は更けて(グルメ&バー/その2)

2011年12月13日 | 旅行

11月16日(水)午後7時過ぎに牛たんなどを食べた後、目的のバーを探して歩いて行きました。マップなどで調べてあったので入店しているであろうビルは直ぐに見つかったのですが、ビルの角にある看板に店名が見当たりませんでした。それで、シュウマイの店頭売りをしている人に聞いてみると、建物の角を右に回るとあるかもよ、と言われたので行ってみました。

そうしたら、ありました!!これは入り口です。なんと「スコットランド国旗」を掲げているではありませんか!?

これは、スコッチの品揃えにかなり期待が持てそうと思いました。店名「レサシエル・バール」です。






店内は、カウンター8席ほど、4人掛けのテーブル2つと、こじんまりした作りでした。
入り口ドアの中にもこのように「スコットランド国旗」を使っていました。







頂いたオーナーマスターの名刺です。




その大宮マスターと従業員の「杏奈」さんお二人です。普段はマスターが一人の営業で、杏奈さんは週何日かの出勤、この日は出番の日とのことでした。

(杏奈さんは、以前はこのお店の客として来ていたが、今はマスターから頼まれて働いているそうです。)






さてさて、ウイスキーの方ですが、やはり良いものがありましたぁ。これは、左がカーデュー、右がタリスカーですが、いずれもオールドラベルで、1970年代にボトリングのものとのことでした。

味はどうか?もちろんこの頃のスコッチは、深いパワーを感じさせてくれるように思いました。


  




これは、国分町(仙台の一番の飲食店街だそうです。)の中のBarの案内マップです。どのようにして作ったのかお尋ねしました。

これは、界隈のBarのオーナーさんたちが話し合って、「バーテンダーが選ぶオススメ飲食店」として、自前で3年くらい前に作成したものだそうです。
面白い取り組みだと思います。







この日は、下の赤枠の店でしたが、大宮マスターにお願いして別な店を紹介してもらいました。それが左上黄色い枠の「ルバール カワゴエ」でした。

初めての街で飲む時は、やはり教えていただくのが一番です。






こちらは、マップの裏面の案内図です。行きたいお店が直ぐに分かるようになっています。




レサシエル・バールには、翌日17日も飲みに行きました。前日の杏奈さんはお休みでした。

それで、マスターと今年の3月11日大震災の被害のことをいろいろお聞きしました。このお店では、ほぼ被害が出なかったとのことでした。


そのポイントは幾つかあります。

まず、お店はこの大信ビルという築年約40年ほどの1Fに入っていますが、このビルは地下にも店舗があり古いビルではあるが基礎が頑丈に施工されていたようだということです。

もう一つは、レサシエル・バールの店内の作りと地震の揺れる方向との関係です。
上記とも関連がありますが、お店がビルの構造柱ほぼ2本の間に作ってあること、特にバックバーは柱と柱の間に作り付けになっていました。

そして、幸いなことに地震の揺れが南北方向だったそうですが、バックバーとボトルの棚などは、南北に沿っていたとのことでした。

それで、他のお店でバックバーなどが揺れにクロスする東西に設けられていたところでは、お酒のボトルの落下がかなりあったということでした。


さらに、もう一つ、大宮マスターは小さい頃に大地震を経験していて、お店の開店に当たって、しっかりと対策をしていたのです。

その一つが、この写真のように「吊り下げ式のボトルラック」2列です。

もう一つ、写真はないですが、バックバーに木製扉を付けて、上下にタイプの違う鍵を取り付けていました。(下の写真の木製の壁のように見えるのが、そのバックバーです。






ただ、お店の入り口の床に何本かひび割れがあると言われたので、見てみると確かにありました。


やはり「備えあれば憂い無し」ということが実感できました。


杜の都の夜は更けて(グルメ&バー/その1)

2011年12月10日 | 旅行


先月11月16日(水)午後3時過ぎに仙台のスーパーホテル青葉通りにチェックイン、多少寝不足だったことと温泉大浴場が男性の入浴タイムでもあったので、とりあえず入浴してひと寝入りしました。




外が暗くなっ来て、さあて杜の都の名物を食べに行くのに何にするかと、昭文社のガイドブック「ことりっぷ」(32P)を開いてみました。そしてこの牛たんの「利久」に行くことにしました。





「利久」中央通り店の正面です。さほど大きな店構えではないみたいです。ホテルから歩いて5分程度でした。




店内は、夕食時でもありかなり賑わっていました。こっちは一人客なので真っ直ぐにカウンターに座りました。トリを頼んでからメニューを見ましたが、定食まで食べるつもりがないので「牛たん」単品にしました。
待つことしばし・・・出てきたのがこの皿盛りでした。






やー!!かなりのボリュームがありました。見た目ですが、このように横への切れ目を沢山入れてあるのが一つポイントかなと思いました。(旭川の焼肉店ではタンをこのようにして出してくるのは余り見かけたことがないと記憶しています。)

しっかり完食しましたが、とても美味しかったです!!






追加で何か一品を食べたいなと思って、たまたま壁のポップに「牛たん松前漬¥200」というのが目に入ったので、注文したらこのように出てきました。お味は北海道でも馴染みの松前漬と同じだと思いますが、牛たんの細切りと絡み合って食感がすごく良かったぁ。






飲み物の方ですが、宮城県は酒の名産地です。メジャーな銘柄では「浦霞」「一の蔵」などが良く知られています。ドリンクメニューには勿論この2つが載っていました。しかし、飲むのならばご当地でしか飲めないものが良いですね。それで「綿屋」という銘柄を頼みました。

帰って来てから調べてみましたが、ネット上の「酒・源八」のこのような紹介記事があったので、引用してみました。「金の井酒造」という蔵元の銘柄です。






この「利久」の他のメニューには、こんな物もあるようです。食欲をそそられます。





1時間余で食べ飲み終わってお会計。税込みで2,992円でした。満足しました。





これは「利久」を出て歩いていると商店街のフェンスに貼ってあった「ポスター?」ですが、別に「おむすび」を使ってあったから写した訳ではありません。

仙台の皆さんの気持ちがこんな風に表現されているのかなぁと思いました。





さて、ここまではグルメ編です。この後、目当てのバーに向かったのですが、それは続きということで・・・


この冬、初の大寒波・・・氷紋&氷結

2011年12月09日 | 生活雑感


12月9日(金)です。

昨夜の天気予報では、朝の最低気温予想が零下14度以下と流れていたので、水道管の凍結を防ぐため水抜き栓を閉めたりと覚悟はしてましたが・・・

おそらく、放射冷却現象で予想よりも気温が低下したようです。気象台発表の観測気温は零下17.3度でした。


とすると、我が家の辺りは更に2度は低かった?!?!と思います。



だいたい冷え込みが厳しくなるのは、年明けの中旬くらいからなのですが、この時期にこの冷え込みは珍しいように思います。

それで、玄関の外の風除室の東側を見ると、出来ていました・・・氷紋です。






午前7時半頃の外気温をチェック。-15度より少し下でした。





上の氷紋アップです。この瞬間にしか見られない形状です。





そして、おまけの寒~い写真です。我が家の中にある一番狭い空間の東側窓です。これは氷紋というより氷結している状態かな?










まぁ、これだけの寒気に遭ってしまうと、いよいよ冬の生活に突入だぁっと覚悟ができるともいえます。

(半分はやせ我慢ですが・・・)



師走の大雪

2011年12月04日 | 生活雑感

師走の最初の日曜日ですが・・・

前日にかなりの降雪があると気象予報が出ていたので、そこそこ積もるかなと思ってはいました。




しかし、「想定外」でしたぁ!!



我が家の車庫前に寄せておいた軽自動車ワゴンRですが、こんな風にすっぽりと雪に埋もれてしまっていました。






これだけ降り積もると、町内会で契約した除雪業者さんが除雪車を入れるのですが、ブロックを順番にやってくることもあり、何時になるか分かりません。

それで、取り敢えず人力で除雪しました。


路面を終えてから敷地内に通路を確保するため、スノーダンプ(ママさんダンプということもありますが)で除雪。余りに積もっているので、スケールを刺してみました。








33cm程度でした。一晩でこれだけの降雪は珍しいです。それに気温が少し上がったためか、湿り気のある重たい雪でした。





多分、明日辺りには筋肉痛が出るだろうと思います


仙台城跡で政宗公像に再会(48年ぶり)

2011年12月03日 | 旅行

11月17日午後、県立宮城美術館で「フェルメール」を鑑賞した後に、東北大学のキャンパスを横切って歩いて、仙台城跡に向かいました。


その目的は、中学の修学旅行で来たときに、クラス全員で記念写真を撮った伊達政宗公像についてのある疑問を確かめることでした。



現在テレビ放送などでよく見かけるのは、この騎馬に乗った甲冑姿の像です。

(行った時間帯の関係で、逆光になるため昭文社のガイドブックから借用)
しかし・・・






1963(昭和38)年4月14日に撮影した修学旅行の記念写真では、このように立った姿の石像でした。







これが台座も含めた現在の政宗公像です。台座はほぼ昔のままで間違いありません。

そんな事をあれこれ考えていた時、水戸黄門様のような出で立ちの人がいたので、ガイドさんかと思って、この写真を見せて経緯を聞いてみました。

そうすると、現在の騎馬像は、1964(昭和39)年にこのように再建されたそうです。すると、私の修学旅行の翌年だったのです。





伊達政宗卿騎馬像について

建立 1930(昭和5)年
   1938(昭和13)年「国家総動員法」公布、これに基づき1941(昭和16)年「金属類回収令」が公布される
   そして、政宗卿騎馬像も供出された・・・

   私が見た立像は、太平洋戦争の敗戦後に建造されたものだが、当時は米軍が仙台にも進駐していて、鎧に騎馬姿(=戦争のイメージ)を立てるのがはばかられたらしいのです。

   騎馬像は、市民有志が再建運動に取り組み、全国を調査の結果、胸から上の部分が溶融されずに残っていたのを発見、現在の姿(元々の)で再建したそうです。なお、立像は大崎市の岩出山に移されて立っているそうです。

※なお、2005(平成17)年5~9月に仙台城本丸遺構の発掘調査のため、台座の位置を向かって左にずらせていました。


これで自分の疑問が解消できました


ところで、水戸黄門様のような人の仲間がいました。この方「伊達武将隊」です。「本職は観光協会の職員さんですか?」と聞いてみましたら「政宗様の武将じゃぁ!」と成り切っていましたね。面白かったです。






 伊達武将隊のウェブ 



フェルメールからのラブレター展(宮城県立美術館)

2011年12月01日 | 旅行

11月の本州個人旅行のことをアップします。


今回の旅行を計画したのは、9月初めだったと思います。それで、往復の飛行機便は2か月前の早割りで予約し、ホテルも総て「スーパーホテル」を使うことにしました。


そして、旅行日程表を次のように作りました。後は、これに従って天候とか、体調・気分でその日の行動をするというパターンでした。



旅行期間中は、ほぼ好天に恵まれたのですが・・・
11月19日だけ朝から雨でした。たまたま、宿泊のホテルが「レイトチェックアウトサービス」(通常10時のアウトを千円追加払いで正午まで延長できるというもの。)をしていたので、それを利用して天候の状態を見ながら、部屋でのんびりしてました。結構助かりましたね。






さて、初日は旭川からJRで新千歳空港に行き、このAIRDO72便で時間通りに出発しました。







そして1時間10分のフライトで仙台空港に着陸しました。晴天で飛行場の全体に関しては、津波に襲われた爪あとと思われるような様子は見かけませんでした。実に穏やかな風景でした。

仙台市内に向かうのに、JR仙台空港線に乗りました。仙台駅まで3駅であっという間に到着しました。空港と県都の駅(しかも新幹線に乗れる駅)がこのように結ばれているのは、本当に便利だなと感じました。






14:30頃のJR仙台駅の正面です。




ホテルにチェックインしてから、ホテルの温泉に入り少し仮眠を取ってから夜の街に出かけました。そのことは、次に書くことにして、2日目仙台での第一の目的だったこの特別展です。午前10時過ぎに入館したので、まだ入場者はまばらでした。







特別展の入り口で、説明のパネルを見たとき「この特別展はフェルメールの作品3点を含め・・・」と書いてあったので・・・

正直、え~!?~!?っと思いました。メインの画家の作品がたったの3枚だけなんて・・・


しかし、展示を最初からじっくりと見て行き、解説板と音声ガイドを聞いたりして、最後のブースでその3作品に向かい合ったとき、これは凄いことなんだと納得できました。


その一つが、フェルメールという画家は、生涯で30数点しか作品を書いておらず、没年から約300年ほど経った現在、それらの作品は世界の美術館などに分散して所蔵されていること、それを一度に3点見られること自体が素晴らしいことみたいです。ちなみに3点の所蔵美術館は次のようになっています。

「手紙を書く女」1665年頃:ワシントン・ナショナルギャラリー

「手紙を書く女と召使」1670年頃:アイルランド・ナショナルギャラリー

「手紙を読む青衣の女」1663~64年頃:アムステルダム国立美術館



さらに、この三番目の作品は、今年の春に修復を終えて、本国オランダでの公開に先駆けて、世界で初めて公開されると言う特別な作品です。「フェルメール・ブルー」と言われる色合いが深い感動を与えてくれる作品でした。



「手紙を書く女」




「手紙を書く女と召使」




「手紙を読む青衣の女」





この展示のサブテーマが「コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ」となっていますが、テーマどおりに展示の構成が良くできているように思いました。


「河北新報」は東北地方の地元紙なのですが、この特別展に合わせて別刷り特集を配布したようで、作品展の出口で自由に持ち帰りできました。その中のサブテーマに関わるこのような解説がありました。





この解説にふさわしい次の作品も掲示されていました。エドワールト・コリエル「レター・ラック」(1710年頃)です。






 「フェルメールからのラブレター展」ホームページ