「おやじぃ」の日々つぶやき

日々の生活の中で見聞や体験したことを、その歳なりで感じる気持を綴ります。

サイモン&ガーファンクルのライブ

2009年05月29日 | 音楽
 先々週の何時だったか、道新に「サイモン&ガーファンクル」のライブの一面広告が載りました。
 さっそく、チケットを申し込みましたが大分時間が経過して、やっと届きました。


来る7月18日(土) 17:00~ 札幌ドームで行われます。これは楽しみです。待ち遠しいですね!!
 サイモン&ガーファンクルは、1970年発売の「明日に架ける橋」が全世界で1000万枚を売り上げたスーパースターです。このほかにも、沢山いい曲があります。


 1970年というと、私はまだ学生時代でしたが、同時代には余り聞いていなかったように思います。しかし、手元には20曲が収められたカセットテープがあります。
 この間から何回も聞いていますが、どの曲も色褪せてはいません。
 やはり、いいいものは永遠に愛されていくのだろうとおもいます。
 

自然は待ってくれない!

2009年05月27日 | 生活雑感
  気がつけば、はや5月も終わりに近づいている! この時期にやらなくてはならない事、猫の額ほど菜園の準備。

 去年がどうだったかは、すっかり忘れているが、だいたい5月の20日過ぎには、準備を始める。しかし、今年は明らかに遅れをとてしまった!? 菜園にはもう雑草がはびこっているい・・・・・。急がなくては∞
       

 そんなことで、とりあえず先日買ってきておいた有機石灰を26日の夕方に捲いた。約11.5㎡(約3.5坪)ほどの菜園なのに、20kgの袋がやけに重い!!


 作業?は10分程度で終わったのに、腰がすっかりへたってしまった。日ごろの運動不足を痛感する時期だ(毎年、毎年同じ事を思っています。)

 ともかく、これが終わったら後は少し雨が降ってくれればいい。天気予報を見たら27日から28日にかけては雨が降りそうだ。タイミングはあっているのだ!まぁ、いつものことだが、こうして私のささやかな野菜作りがスタートするのです。
 次は、土を掘り返す作業が控えている。こっちは、確実に大汗ものになる。作業の後のビールが楽しみだ・・・
 

スコットランド旅行記③「エディンバラからスカイ島へ」

2009年05月26日 | 旅行
 5月2日午前8時、エディンバラのホテル前から専用バスでスカイ島へ向けて出発しました。予定としては、午後4時ころにスカイ島のタリスカー蒸留所(島で一つだけ)へ到着することです。それまで、約360kmのバス移動です。

         ※スカイ島とその手前の周辺        ※エディンバラとその周辺

 


地理上では、だいたい北緯56度・西経3度から57度・西経6度の中で動きました。天候は晴れ、外の気温は約10度ほどでした。

  


 上の2枚は道々、車の窓から見えた川の橋と道路橋です。さすがに車が通行しているのは見ませんでしたが、いまだに使われているようでした。


 旅行前に仕込んだにわか情報では、イギリス本土には、高い山がほとんど無いと聞いていましたが、本土の西部方面だとこれくらいの山はあるとのことで、写真の左の上の方には少しですが残雪が見えます。


 午後2時ころ、目的地のスカイ島に近づいた辺りで、トイレ・タイムを兼ねて立ち寄ったところにある「エレン・ドナン城」です。駐車場も大きめに整備されていたし、売店もあったので観光スポットのようです。

  


 左のように、この城には陸地から石の橋で繋がっています。回りは「海水湖」のようです。そして、ちょうど小学校高学年くらいでしょうか、2人の少年がキルトで正装をしてバグパイプの演奏を披露していました。(右側の少年の上着の模様は、薄青地に白の斜め十字で、これはスコットランド国旗のデザインです。)
 スカイ島に近づくころになって、天候が曇りから雨模様になって来ました。こちらの方では、一日で何回も天気模様が大きく変わるとのことでした。


 スカイ島へは、この橋を通っていくか、この橋の近くにあるフェリー乗り場から行く2つの方法があるとのことです。私たちは、橋を通って島へ入りました。目的地のタリスカー蒸留所までは、もう直ぐでした。最初の蒸留所!!見学が楽しみです
☆本日はこれで終わりです!?

吹上温泉露天の湯

2009年05月24日 | 健康
朝酒に朝湯・・・!
 5月19日ころだったか、何となく吹上温泉の露天風呂のことを思い出して、そういえば最後に入りに行ったのはいつだったけ?と思い出そうとしましたが、記憶にありません。それで、近いうちに行ってみようかなと考えていました。

 その時、上富良野町役場にお願いして吹上温泉を案内したパンフレットがあれば送ってくれるように頼んでおきました。それは程なく届いたのですが、公式ガイドと思われるパンフレットには、次のように載っているだけで写真は一切ありませんでした。何でかな?と思いましたが・・・。


 それでは、入浴がてら写真を撮りに行ってこようかなと思っていて、22日7:30AMころ美瑛町に出かけました。町の入り口のセブン・イレブンで缶ビールを買って白金温泉を抜けて望岳台手前から十勝岳温泉方面へと進みました。そして目的の吹上温泉に到着ししました。駐車場入り口には以前からこの看板が立っています。
先客と思われる車が2台留まっていました。温泉への連絡通路上には一部残雪がありました。私はサンダルでしたが、通り抜けるのにさほど支障はありませんでした。

    


 さて、主の風呂の方です(先客の2人が出てから写しました。)確か、湯の温度が上がって熱くなっているような話しを以前聞いた記憶があります。しかし、入ってみてそれ程熱くは感じませんでした。(たぶん40度くらいかなと思います。)
 確かにお湯自体は高い温度で流れ込んでいるようです。主の風呂の奥に写っている横木にテント地のものを垂らして熱い湯をガードしてました。そちら側は、手を入れて見るとかなり熱いなと感じました。


 また主の風呂の上にこじんまりとした風呂があります。こちらの湯温も、入浴するのに熱いほどではないだろうと思いました。

   


 右の写真は、セルフタイマーで写した私の背中です。これはNGの出ない写し方だと思いますが。でも、なんとなく還暦を迎えた男の哀愁感が漂っているように見える?かもしれません(単なる本人の勝手な思い込みでしょうか。)
 入浴は約40分程で切り上げて湯を出ました。手足が温まってピンク色になっていました。早朝に大自然の中での入浴です。満足度は最高です!!

【入浴に当たっての注意点など】
1 言うまでも無く混浴風呂です。そのため、マナーとして男女とも、水着等を着用の上で入るよう案内看板で呼びかけています。
2 脱衣施設、風呂傍のトイレなし。
 (風呂上がりに着替えをする場合は、大きめのタオルを持参するのがいいでしょう。)
3 24時間無料で入浴可。(ただし、深夜の入浴は避けたほうがいいと言われています。若い男女のカップルやグループがやって来て、乱痴気騒ぎすることもあると聞いております。)
4 蛇の出没に ご注意!季節によっては青大将などの蛇が風呂の傍に来ることもあるようです。蛇を見たら失神してしまうと思う方は、入浴を避けたほうが無難でしょう!!

スコットランド旅行記②「エディンバラの夜とバー」

2009年05月24日 | 旅行
 旅行記①と実際の曜日と時間が前後しますが、旅行日第1日目のことです。
 
 成田国際空港を定時11:30AMに離陸したヴァージン・アトランティック航空VS901便は、順調に飛行を続けてロンドン・ヒースロー空港に現地時間15:45頃に到着しました。そして、約3時間後に乗継のブリティシュ・ミッドランド航空BD062便でエディンバラ空港に飛び、20:00過ぎ頃に市内行きの専用バスに乗りました。まだ、エディンバラは明るいくらいの感じでした。そうですね、旭川なら今の時期の午後5時くらいといったところでしょうか。
 
 エディンバラ旧市街地内のホテル(カールトン・ホテル)に到着し、チェック・インを終えたのが、現地の午後9時過ぎころでした。外は少し夕闇が広がってきていました。ツアーメンバーでの自己紹介とかは、成田空港のロビーで簡単に済ませていましたが、お互いに良く知っている方も多かったようでした。
 それでも、何となく酒好きの人間同士でエディンバラ市内のバーにのみに出ましょうと話しがまとまったのが、男性3人(私を含めて)女性4人でした。
 その内の最年長者N.Kさんにご案内をいただいてとあるバーを目指してホテルを出ました。


 まずは、真っ先に目に飛び込んできたのがこのライトアップされた「聖ジャイルズ大聖堂」でした。(スコットランドを代表する教会)

 


 左は、旅行記①に書いた「ロイヤル・マイル」の石畳です。そして、N.Kさんがここだよと言ってたどり着いた「THE BOW BAR」の置き看板です。お店の名前の由来はN.Kさんに聞いたようでしたが、ちょっと忘れてしまいました。何か聖ジャイルズ大聖堂と関わりがあるような話しだったかもしれません。


 店内のカウンターの前です。カウンター前には椅子が無く、従って皆さん立ったままで飲んでいました。お金の支払いは、飲み物を注文したら引き換えに払うと言う、その都度の精算方式です。店内の広さは差ほど大きくなくて、テーブルと椅子の席が5つほどあるだけでした。曜日は金曜日で週末です。そして、週明け月曜日がイギリスでは銀行が休み(バンク・ホリデーと呼ぶそうです)になり土曜日からの3連休になります。そのせいかもしれません、人出が多かったようでした。

 テーブル席を見ると、先客の50歳半ばくらいかと思われるカップルが一口飲んだくらいのビールグラスを置いて熱烈に語り合っていました。二人で右手をしっかりと握り締めながらでした!うーん、日本では見かけない光景でした。
 また、皆さんは飲みながら食べるというのはしないようですね。


 私たちの連れの女性たちに声をかけてきた男性と二人が話しをしているところです。向こうの男性は多くが気さくな方のようでした。(二人が何を話していたか?私には分かりませんでしたが。)


 さて、同行のメンバーそれぞれで好きな飲み方(私は地ビール2杯とウィスキーシングル2杯でした)をして時間もほどほど経過したので、もと来た道を戻りました。ここは、「ロイヤル・マイル」のほぼ真ん中あたりの交差点です。角はバンク・ホテルとその左がラディソンSASホテルです。いずれもガイドブックに紹介されている有名ホテルです。
 
 ここを右手に見ながら2件目にロイヤル・マイルに面したバーに行きました。お店の看板は写し忘れたかもしれません。程なく、同行の女性の一人が疲れが出たのか眠りだしたので、男性1人と女性3人が先にホテルに帰りました。
 最後に残った3人でこの店の若い従業員と記念に写真を撮ってもらいました。


 2人は、スコットランド男性の正装といえる「キルト」を着用していました。

 そんなこんなで、ホテルにはやや0時を過ぎるころ戻って取り合えず休みました。(結局、その後2時間くらいしか眠れませんでしたが・・・???)

「天使と悪魔」②

2009年05月23日 | 映画
 先週15日(金)に封切りで「天使と悪魔」を見てきました。それで、1回目の感想を書きましたが、一部おそらく居眠りをしていた箇所もあり、ストーリーとして気にかかるところもあったので、22日(金)に2回目の鑑賞をしてきました。
 ただし、今回はドラマの舞台となる教会とか広場、聖堂にポイントを絞って見ました。以下、パンフレットからのスキャン画像です。







 この他に、7番目として「システィナ礼拝所」が出てきます。教皇選挙「コンクラーベ」が行われる礼拝堂です。ただ、おそらく写真、画像は非公開のようで掲載されていません。
 
 こういう場所に絞って見てみると、映画を中々また面白く見ることが出来ますね。今回は眠くなることが無かったので、字幕の部分ではありますがセリフの細かいところもチェックして、なるほどラストに近い(本当のラストは、まだまだあります)ところの山というか、落としどころという部分がなるほどと納得がいきました。

 やー、それにしてもこの映画で随所に出てくる群集のシーン。勿論全部エキストラを使うんでしょうが、ものすごい数ですね(まぁ、今時の映画なのでC・G処理をしているかもしれませんが・・・。)それでも、この監督のロン・ハワードは素晴らしい方ですね。改めて感心しました。

 2回目を見て、また些細なことですが気になったことが出てきたので、おそらく来週あたりもう一回見に行こうかと考えています。

 なお、余談ですが映画の中で3番目のサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会でラングトン教授(トム・ハンクス)が、逃げるときに教会の床下に転落してしまいます。そこには床に、壁に人間の頭蓋骨がビッシリと並んでいるシーンが出てきます。(おそらくこれは作り物だと思いますが・・・。)
 それでふと思い出したのが、ローマ在住の著名な作家、塩野七生さんの本の中で紹介されていたローマ近郊の古い教会のことでした。文庫本でしたが、家の中を探しましたが見つからなかったので、とりあえず記憶の中からのみで言います。その教会の傍には、長年に渡って人骨のみを使用して作り上げた「建物」があるというのです。即座には想像つきませんが、実際にそういうものがあるそうです。

【09.5.24追記】上に書いた教会は「サンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツイオーネ教会」通称、ローマの『骸骨寺』というようです。ブログ旅行記で見つけた記事には「あまりの骸骨の数、あらゆる部分のパーツを使い装飾した壁、天井、シャンデリア・・・・どれもグロでした。」と書かれてあります。

 ローマの『骸骨寺』ブログ

スコットランド旅行記①「エディンバラの朝」

2009年05月23日 | 旅行
私の旅行記プランでは、後の方になるかもしれませんが、またエディンバラ城という古城も街のシンボルとも言えるので、両方を兼ねてということで書き出します。

 前の日に遅くにホテルにチェックインしてから、エディンバラのパブに飲みに繰り出した6人が、前日の申し合わせのとおり午前6時15分頃から約1時間の散歩をしました。ご案内役は、75歳でスコットランドに今回で10回目と仰るN.Kさん!もう、すっかり街の中が頭にインプットされているようでした。まずは、ホテルから徒歩10分ほどで街のシンボルといえる「エディンバラ城」前に行きました。早朝のため、他に観光客はほとんど来ていませんでした。


 お城が建っている岩山は、キャッスル・ロックといわれ、城が築かれる以前から天然の要塞として利用されていたものです。日中は、左右の小さなボックスに衛兵が直立不動で立っているとのこと。なお、ゲール語ではエディン-バラと区切っていずれも「岩、丘」を意味するそうです。
 帰ってから「地球の歩き方~スコットランド&湖水地方」を読んで見ると、この城の中はそうとう広大で、沢山の古い建物がありました。また、現イギリス王室が公務で年間に定期的に滞在して、様々公式行事やイベントが行われています。
 そのイベントで「地球の歩き方」に写真が載っていたのが下の「ミリタリー・タトゥー」(軍楽隊の行進デモストレーション)です。8月の夜に行われる世界的な一大イベントとのことです。これは、生で見られたら素晴らしいだろうなと思いますね!


 さて、この城の前から街の中心部に向かう1マイルの通りが(一部歩行者専用、一部車両も通行)ロイヤルマイルといわれているストリートです。


 写真の右の方に「ROYAL MILE」とプレートが掲示されています。エリザベス女王がエディンバラ城を出てパレードをして1マイル先の建物(詳細は分かりません)で、叙勲式などのセレモニーをするようです。スッコトランド・オタクのN.Kさんの薀蓄では、映画の初代ジェームス・ボンド役のショーン・コネリーがこの地で勲章を授与されたそうです。
 さて、このロイヤル・マイルに面して建っている建物が「ウィスキー博物館」(スコッチウィスキー・エクスペリエンス)でした。早朝ですから当然開館はしていません。でも、ウィスキー好きには必見のところなんだそうです。


 そろそろホテルの朝食の時間が近くなってきたので、戻りますかというところで、N.Kさんが同じ道を帰っても面白くないし、時間もそんなに変わらないから別なルートで帰りましょうと結構細めの道に入って目に留まったのがこれです。


 「ラムゼイ・ガーデン」と読めるプレートが掲示されています。おそらく英国式ガーデンの一つの例なのかなと思いました。塀が高いのと時間がなかったこともあり、庭の中まで写真は撮れませんでした。
 そして、ホテルに近づいた頃に写した建物です。何の建物かはさすがに分かりませんが、威風堂々という表現が正に当てはまる感じがします。


 さらに、ホテル(バルセロ エディンバラ カールトン)に近いところで、ノースブリッジ(北の橋?)を挟んで写した建物です。


 ともあれ、旅行の最初の散歩でこんなに堪能してしまいました。どこから見ても総てが絵葉書になりそうです。素晴らしい!!の言葉のみです

【エディンバラ情報】グレート・ブリテン(英国連合王国)の一つを構成するスコットランドの首都。人口43万人。大きくはオールド・タウンとニュー・タウンに分かれている。街がユネスコ世界遺産に登録されている。丁度街の中心部を全面交通止めにして、路面電車の復活走行のための電源ケーブル埋設工事の真っ最中だった。2年後に路面電車走行するとのことでした。
 また、細かい話しですが、街として2年前に飲食店(パブも含めてのよう)などでの全面禁煙を導入したので、店舗前の歩道にテーブル、椅子を置いてあるのが目に付きました。現地ガイドさんの話では、吸殻のポイ捨てが多くて難儀しているようだとのことでした。
 あとは、八重桜が満開を過ぎたころで、綺麗だなーと思いましたね。私は出発前に桜の咲くのを見ていませんでしたから。 

映画「天使と悪魔 ANGELS&DEMONS」

2009年05月20日 | 映画
 5月15日(金)は「天使と悪魔」の封切りの日だったので、2回目の上映をシネプレックス旭川にて鑑賞してきました。上映時間2時間18分で、ドラマの展開が速いので長いとは思いませんでしたが、前日は、3・6に飲みに出て遅い時間に帰宅したこともあり、途中で少し眠気に襲われてしまいした。

 まずは、パンフレットにて紹介されているプロローグから。
「全世界で一大ブームを巻き起こし、興行収入7億5800万ドルという驚異的な大ヒットを記録した『ダ・ヴィンチ・コード』(06)の製作チームが、全世界で4000万部(日本では300万部)を売り上げたダン・ブラウンの大ベストセラー小説を再び映画化した。それが『天使と悪魔』だ。新たな歴史の謎に挑む、ハーヴァード大学の宗教象徴学の権威、ロバート・ラングトン教授をトム・ハンクスが再演。監督のロン・ハワード、脚本のアキヴァ・ゴールズマンら『ダ・ヴィンチ・コード』のスタッフが再結集した。

 歴史上、最も物議を醸した暗号を解いた男ロバート・ラングトンに、ヴァチカンが助けを求めざるを得ないような恐ろしい発見とは?それは、イルミナティが復活した証拠だった。イルミナティはこの世にはもう存在しないはずの最古にして最強の秘密結社。その正体は、長きにわたり、カトリック教会から弾圧を受けた、ガリレオ・ガリレイを中心とする科学者集団。彼らは復活し、ついにカトリックの総本山であるヴァチカンに復習の牙をむく。それはローマ教皇が逝去し、新しい教皇を選出するコンクラーベの時だった・・・・・・。イルミナティが仕掛けた時限爆弾の時計の針が刻々と進む中、ラングトンはローマへ飛び、美しいイタリア人科学者ヴィットリア・ヴェトラと手を組む。ヴァチカンを救うための唯一の手がかり、400年前の“パス・オブ・イルミネーション~啓示の道”を辿るラングトンとヴェトラによる謎解きが幕を開ける。」

 予告編を見たい方は公式サイトへ 「天使と悪魔」

 さて、私は封切りで見たのですぐに記事にしたかったのですが、今回はJonh.Jonhさん「8分半のゆで卵」に先を越されてしまいました。敬意を表して、こちらの記事をご覧ください。

 「8分半のゆで卵」~天使と悪魔

 私は、本筋とは少しは離れて、映画の中で気になったこの方のことを。


 映画では、リヒター:スイス衛兵隊長の役で出ているステラン・スカルガルド(スェーデン出身)です。この人と言うより「スイス衛兵隊」なるものが何故ヴァチカンにいるのか?という疑問をふと思いました。それで調べてみるとこんなことが。

スイス衛兵隊とは?
1505年1月22日に教皇ユリウス2世の要請により、教皇国でスイス衛兵隊が採用された。1527年5月6日のローマ略奪の際には189人のスイス衛兵のうち147人が戦死している。 現在ではバチカン市国の警備隊として100人前後で構成されている。隊員となるのはカトリックのスイス市民で、スイス軍で一定の経験をつんだ者とされている。職務は儀杖や警察任務であるが近代兵器の訓練も受けており、また伝統として剣や長斧の訓練も受けている。その制服はルネサンス風のデザインで、一説にはミケランジェロのデザインとも言われるが、1914年に制定されたものである(結成初期、募集に応じたスイス人達が貧しく継ぎだらけの服を着ていた事に因むという)。ちなみに、制服はこんな感じのようです。


※いずれも「ウィキペディアフリー事典」から引用
 私も、なんとなくあぁそうかと少し納得しました。

 さて、また余り関係ないことですが、スコットランド旅行の最終日前日、ヒースロー空港でロンドン名物の赤い車体の2階建バスに「天使と悪魔」の広告が出ていました。こんなようにでした。


 はたまた、この映画の舞台は「ヴァチカン市国」とイタリア・ローマですから、当然登場人物はイタリア語を話します。ただ、「コンクラーベ」とか教皇侍従の呼名が「カメルレンゴ」だとか、結構変わっているのではないかと思います。それで外国語事情に詳しい者に聞いてみたところ、おそらくもともとはラテン語だったものをイタリア語読みしているからでないかと言っておりました(蛇足ですが。)

             例により、この映画のパンフレットです


 この映画は、舞台がイタリアで特定の所に限定されているので、Jonh.Jonhさんもブログで書いてらっしゃるように観光をしている気分にもなれますね。何回か見てみるとかなり楽しめるのではないかと思いました。 

悲しき日々

2009年05月18日 | 思い出
 5月16日(土)に友人の奥さんから電話があり、話の内容から共通の友人S.Aさんの夫人が急逝されたことを知りました。

 S.Aさんは私とは26、27年くらい前からの付き合いで、1989年に彼が結婚をしてからは、夫人ともどもの交流をして来ました。数家族で温泉に行ったり、登山、キャンプと様々に楽しんできました。お名前のとおり温かく気さくな人柄で、子供がいなかったこともあり、他の家族の娘さんや私の2人の息子(8歳の年齢差あり)をとても可愛がってくれました。

 そのご夫人のS.Hさんが50歳後半の若さで15日に急逝されたのです。
 通夜が17日に執り行われ、参列すると会場に加藤登紀子の「百万本のバラ」が静かに流れていました。会場の女性職員が「この曲は、故人が大好きな曲で、カラオケでも歌っていらっしゃいました」と説明したのを聞いたとき、急に悲しさがこみ上げてきました。
 本当に記憶に残る方でした。そして、ご主人のS.Aさんの様子を見るとまた悲しさがつのって来ました。
 夫人には、お母さんと2人のお兄様がおり、身内で一番若いのに逝ってしまったのです。本当に残されたご遺族は傷ましいばかりでした。

 今日の葬儀後の出棺前のお別れの時に、私は昨年2月1日に撮った写真(S.Aさんの退職慰労会、亡くなられた夫人が隣でにこやかに笑っています。この時以降お会いしていませんでした。)をお花と共に柩に納めました。

 宗派によって違うかもしれませんが、浄土真宗で葬儀を執り行うと、出棺の時に上蓋に釘打ちをするのが一般的のようです。しかし、喪主、ご遺族の意向で釘打ちはしませんでした。分かります。それをしたら喪主、ご遺族は耐えられなかっただろうと推察します。

 午後1時30分から骨上法要をされる予定なので、今頃は夫人はお骨になって葬儀会場に戻っておられるだろうと思います。合掌、ご冥福をお祈りいたします。

 蛇足ですが、このような時私はよく蓮如上人の御文の一節「白骨の章」を思い出します。少し長くなりますがそれは次のとおりです。
 (講談社「お経 浄土真宗」より引用)

【原文】
夫、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり。さればいまだ万歳の人身をうけたりといふ事をきかず、一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき人やさき、けふともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人はもとのしずく、すゑの露よりもしげしといへり。されば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけふりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろかなり。されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏まうすべきものなり。あなかしこあなかしこ。

【口語文】
 さてさて、人間の定めなき浮草のごとき有様をとくと観察してみますと、およそはかないものといえば、この世に生まれて死ぬるまでの夢まぼろしのごとき一生であります。ですから、これまで一万歳の寿命を得たという話を聞いたことがありません。まことに一生はたちまちに過ぎ去ってしまいます。今日、一体だれが百歳の身体を保つことができましょうか。
 自分が先になるか、今日お迎えが来るのか、明日来るのか、誰にも分かりませんが、いずれにしてもそう遠いことではありません。昔の人も「木の葉の末に宿る露が風に散るように先立つ人もあり、根元におちるしずくがややあって消え去るように、おくれて寿命の尽きる人もあるが、いずれにしても、日々に命を終える人の数ははかりしれない」と述べております。
 したがって、朝には、色つやのよい紅の頬をしていても、夕べには白骨となるのがわが身であります。無常の風に吹かれてしまいますと、両眼がたちまちに閉じ、ただ一つの呼吸もとだえてしまいます。そうなれば、紅の頬からは血の気が引いて青ざめ、桃や李のように美しい容色も失せてしまいます。
 そのとき、父母兄弟夫婦子孫などの縁者が集って嘆き悲しんでも、もはやどうしようもありません。といって、そうばかりもしておれないので野辺の送りをし、夜中に火葬に付してしまいますと、もうあとには白骨しか残っておりません。こうして「あわれ」という言葉では到底いい尽くせないほどの深い悲嘆にくれる日々を送ることになります。
 このようなわけで、人生のはかないことは、老人が先に若者が後に死ぬという定めすらないのですから、人はだれでも早く来世の浄土往生という一大事に心をかけて、阿弥陀如来を信じおたのみして、念仏を申すべきであります。  敬具


東京~ロンドンの往復フライトにて

2009年05月15日 | 旅行
 もし今でも余り変わっていなければ、旅行会社の企画する海外パック旅行だと航空機のシートもツアー参加者の人数分をまとめて事前に確保して実施しているのではと思います。

 しかし、今回の蒸留所ツアーでは東京~ロンドン往復の航空機の使い方が個人旅行のような形態になっていました。チェックインを参加者が個別に行いますので、座る座席もバラバラになりました。
 私のシート番号は43Aなので、窓側でした。それで、B席に誰が座るのかなと思っていたら、私の後に来たのが外国人女性でおそらく30歳前後の方でした。その方の体格を見たとき、これはちょっと困ったなと思いました。何故か?おそらく身長は175cm程度でスリーサイズが上から100cm、100cm、120cm位かなと思えました。座席の横幅は約40cmほどですが、何とか身体は収まったようでした。
ただ、前の座席との空間はエコノミー席ですから僅かしかありません。お隣の女性は太く長い足なのでギシギシの状態になっていました。

 成田空港を午前11時30分に離陸しヒースロー空港の着陸が午後3時40分(現地時間)で、フライト時間は約12時間。この間、当然自然現象が来ましたが、トイレをかなり我慢してお隣が席を立つ時に合わせて行くようにしました。「ソーリー!」と言えば何のことは無かったのでしょうが、遠慮をして言いずらかったのです。そんなこともあり、多少しんどい思いをしました。

 さて、ヒースローに到着してエディンバラに乗り継ぎする際に、荷物の受け取りを待つときに周りを何となく見渡すと、どうも往路の隣席の方の体型に近い女性が多いように感じました。
それで、直感的にその体型を図形でイメージするとこんな風になるかな、と思いました。(頭から腰の辺りまでを簡略に表現するとです。)


 旅行の途中、食事の時にツアーメンバーで私と同じ年齢位の男性とこの話しをしましたが、欧米人の方は食事の分量が多すぎるからでないか、という話しで納得をしました。確かに、夕食のメニューで単品を注文すると、一皿の盛り付けがどう見ても2~2.5人分はあるなということが多くありました。また、彼ははこんなことも言ってました。「欧米の人が食べ過ぎを自覚して少し食べる量を減らせば、自分も肥満にならないだろうしその分を例えばアフリカあたりの飢えている人々の支援に回せば救われる人が多くなるだろうね」と。確かにそうも言えますね。考えさせられることでした。

 そんなこともあり、帰りの便に乗るときは、窓口で通路側の席を取れないか頼んで見ました。しかし、当日は週末で乗客も多く、通路側の席は先取りされてしまいました。諦めようかなと思いましたが、窓口の担当者が日本人男性だったので、「よろしければ、追加料金をお支払いになると非常口付近の座席は取れますが。」と言ってきたので、幾らですかと聞くと「75ポンドです。」というのです。1ポンド156円換算で11,700円になります。成田で両替したポンドが残っていたし、お願いすることにしました。
これは正解でした。帰りのフライトでは目の前にトイレが有りましたし、当然座席を立つのも座るのにも、隣の人に声をかける必要はありませんし、好きなように足を伸ばしたり出来ましたから疲れも少し緩和されたように思いました。余談ですが、帰りの隣の乗客はスキンヘッドで長身の黒人男性でした・・・(足が長かった!)。

 飛行機の中でのちょっとした出来事と感想でした

スコットランド旅行記プラン

2009年05月13日 | 旅行
 私の人生2回目の海外旅行は、とても実りあるものでした。旅行費用を考えても十分にお釣りがくるかなという思いでいます。

 第一の目的は、スコッチウィスキーの蒸留所巡りです。次のような順序で回ってきました。

1 タリスカー蒸留所(スカイ島のカーボスト)
2 グレンモーレンジ蒸留所(ハイランドのティン)
3 バルブレア蒸留所(ティンのエダートン)
4 ダルモア蒸留所(ハイランドのオルネス)
5 クライヌリッシュ蒸留所(ハイランドのブローラ)
6 プルトニー蒸留所(ハイランドのウィック)
7 スキャパ蒸留所(オークニー諸島・メインランド島のオーラ)
8 ハイランドパーク蒸留所(メインランド島のカークウォール)

 しかし、この外にもスコットランドならではの中小の都市、古城・古城遺跡、景勝地などなど、見所は満載でした。また、天気にも割合恵まれて写真を写すにも条件が良く、トータルで1,100枚程度撮って来ました。


 まず、写真の中のお気に入りの1枚を載せます。場所はオークニー諸島(北緯58度)のメインランド島・ストロムネスの港にフェーリが入港する直前にデッキから写したものです。この日没の時間が、午後8時半ごろなのです。夜の闇に包まれたのはその後約1時間ほどしてからでした。(日付が2008になっているのは、カメラ設定のミスです。念のため)

 さて、これからの旅行記の掲載プランですが、幾つかに分けて書こうと思います。①古城・古城遺跡など ②景勝地(世界遺産を含む) ③都市巡り ④飲む・食べる ⑤蒸留所巡り 大まかには、こんな順番で書き綴って見ようかと思います。どうぞご期待ください!読んでね!
 

あぁー丸井今井旭川店の閉店

2009年05月13日 | 生活雑感


 丸井今井㈱の再建問題で三越伊勢丹HDがスポンサーに決定したことにより、丸井今井旭川店が閉店になることは、既に周知のこととなっていました。しかし、昨日12日に車を運転しながらHBCラジオから旭川店の閉店が7月20日(月)になったと聞いた時、えっー!早すぎる!!と、正直驚きました。

 道民にとっては「丸井さん」と呼んで親しまれてきた百貨店、創業は1872(明治5)年ですから、約130数年の歴史を持つ老舗企業です。

 齢(よわい)60歳の私にとって、数々の思い出のあるお店です。北空知の小さな町に住んでいたので、お店といえば大きいところは農協の店舗くらいで、あとは個人商店のみでした。もちろん、エレベーターのあるビルディングの建物は皆無で、想像すらつきませんでした。
 
 何時の頃だったか、今は亡くなった母に連れられて、国鉄の蒸気機関車で旭川に買物に出てきて、旧店舗(今のアッシュのあるところ)に行きました。建物は5階建だったように記憶しています。その時に生まれて初めてエレベーターなるものに乗ってビックリしました。また、不確かですが、地下の食堂で定番のお子様ランチあたりを食べたのでないかと思います。

 時は過ぎて30歳前半ころ既に旭川に住むようになってから、多少ですが丸井今井旭川店の新店舗(現店舗の半分程度)の建築に関わる仕事をしたことがあります。あれは、1980年より少し前だったように記憶しています。
 既に買物公園が定着し、まだまだ街の中心街に多くの人々が足を運んでいました。当時、旧建設省の法律により大きなビルディングを建てるには、容積率の規制がありました。丸井側は旧店舗の向かいに9階建てのビルを建てるプランを作りましたが、そのままではこの容積率の規制で建築できないことになっていました。
 当時の上司(係長)から、旧建設省が省令あたりで出していた「公開空地」の併設により容積率の緩和を受けられないか検討せよと指示を受けました。

 標準的な「公開空地」は現西武旭川店A館の買物公園側のようなスペースを想定しているようでした。問題は、容積率規制を緩和した新店舗を現在の場所に建てた上で、旧店舗を解体しその跡地を「公開空地」に整備することが出来るのかどうかということでした。新築する建物の敷地内に「公開空地」を設けるのであれば全く支障はありませんでした。しかし、丸井側はそのようなプランではなく、買物公園を挟んだ向かい側に「公開空地」を作りたいと言うことです。

 記憶が薄れたので、その時何故私がこうした仕事をしたのか理由は忘れてしまいました。とにかく、それまで全く読んだこともない「建築基準法」の関係部分を頭を捻りながら一字一句を調べました。
 どうも今思うには、当時の係長は法学部卒業で弁護士試験も受けたりしたした方なので、この事案については自分で調べたりすれば法律の素人だった私よりも簡単に結論を出せたのでないかとな、と思ったりします。おそらく、係長としては勉強も兼ねて部下の教育をしたかったのではと思います。

 ともあれ、ようやく丸井側の案で新店舗の建築は可能との結論を上司に報告し決定を受けた上で、丸井側との協定書(?)を取り交わしました。その時に、上司のところに当時の丸井今井社長ご本人【いまどきの言い方だと完璧なスキンヘッドの頭、ただし当時だと只の禿げ頭の方かも】ともう一人の方(旭川店の支店長だったかもしれません?)が訪れて結構長い時間お話しをされていたように思います。今では懐かしき思い出です。


 さて現実的な話しです。私は丸井のクレオカードを持っていますが、多少ポイントが貯まっているようなので、閉店となれば使ってしまわないといけません。果たして閉店セールでも使えるのかどうでしょうか。

海外旅行の前後のこと

2009年05月11日 | 旅行
 海外旅行も行き先によっては、結構お手軽な時代になりました。それでもそんなに度々出かけることは出来ないものです。また、ハプニングもつき物です。

 今回も、直前の「新型インフルエンザ」の感染拡大で、ひょっとしたらという考えがよぎりましたが、私はなんとか行ってこられました。

 しかし、5月1日(金)に成田空港でJTBの受付カウンターに行ったところ、スコッチ文化研究所の土屋代表から、参加予定のお一人がこのインフルエンザの問題で、直前にキャンセルされたと話しがありました。

 その方は薬品会社の社員で、インフルエンザ問題が出たため会社が海外渡航を禁止する決定をし、これに反して出かけた場合は帰国後10日間の出社禁止にするとお達しがあったそうです。結果、その方は泣く泣く直前にキャンセルされたというのです。サラリーマンは辛いですなー!お気の毒でした。

 あとは、関係ないことですが、私は時々咳き込むと中々止まらないことがあります。それで、念のために咳止め薬を多めに持参しました。
 帰りの便でも、かなり咳が出たので薬を飲んで抑えました。考え過ぎかも知れませんが、あまり長々と咳き込んでいたら客室乗務員からインフルエンザ罹患者でないかと疑われたかもしれません。

 成田空港に到着して、入国審査前に検疫チェックがありました。簡単な質問票に記載して係員に渡して書類を貰うだけでしたが、到着便がイギリス、オランダ程度だったのか、それだけで終わりました。
 チェックを受けて貰ったのが次のペーパーでした。


 ともかく、スムーズに入国が出来て良かったです!!

 出発前に書いた記事にコメントをいただいたAki様、yukai様、John.John様、ありがとうございました。
 この後は、楽しんでいただけるような旅行記を掲載したいと思います。また、どうぞよろしくお願いします。

無事に帰って来ました

2009年05月10日 | 旅行
 5月9日(土)ロンドン・ヒースロー空港午後1時45分発のVirgin atlantic900便にて成田空港へ向けて出発しました。予定10時間50分のフライトをして、成田に本日10日午前8時50分に無事到着しました。

 まず、旅行出発前に起きた「豚インフルエンザ」(新型インフルエンザ)の関係で、検疫として質問票を記載してから出国手続きへ。まあ、イギリスからの到着便なので特に問題はなかったですが。

 それにしても、成田が午前9時ですでに気温24度!。ちょっとビックリしましたね。

 出発前に予約していた羽田空港から旭川空港へのJALに乗って戻ってきました。
 成田に着いたときから無性に旭川ラーメンが食べたくなっていて、梅光軒本店に直行して缶ビール(サッポロクラッシク)を飲み、醤油ラーメンを堪能してから帰宅しました。

 飛行機の中では余り眠った記憶がないのですが、旭川に戻ってからそんなに眠い感じは無くて、入浴後に冷やっことか漬物でエビスビールと日本酒「一の蔵」を飲んだりしながら、この記事を書いています。

 町内のお宅の庭には、芝桜が咲いています。僅か10日前には咲いていなかったのに、温かかったんですね。

 明日から日常に戻ります。少しづつ旅行記をまとめようと思います。

【09.511追記】4時間ほどの睡眠の後、目覚めて眠れなかったので不在の間の道新10日分に目を通しました。そして、旅行前には「豚インフルエンザ」と言われていたのを「新型インフルエンザ」と呼称するようになったことを知りました。また、英国でも感染者数が結構増えているようです。(09.5.11道新で55人と報道)

 些細なことですが、5月1日にエジンバラ入りしたときに、現地の日本人女性ガイドさんがこんなことを言っていました。
 「こちらの人はマスクをする習慣がありません。それで、滞在中に咳などしそうな時は、テッシュで鼻を押さえてそれを直ぐに処分してください。」
 まあ、9日間の間にツアー参加者(私も含めて)には全く問題はありませんでしたが。