昭和の記憶を辿る続きで、今回は「ステレオ」の話しです。次の画像は1964(昭和39)年以前の雑誌(雑誌名は「ラジオ技術」?)の1ページです。左下隅に第18回東京オリンピックの広告があります。この五輪開催を迎える頃は、「昭和の三種の神器」と言われた電化製品が大きく販売を拡大していたそうです。五輪をTVで家で見ようというような広告宣伝が流れ、まずはTVが大いに普及したようです。(まだ「街頭テレビ」を見る人が多かった時期でもありました。)後二つは、「電気冷蔵庫」と「電気洗濯機」でした。そして、家計に余裕のあるお宅では、このような音響機器に関心を向けるようになっていたと思います。
私は中学1年生の後半から、新たに創設された吹奏楽部に入り、「チューバ」を担当しました。その低音部門で並んで「ユーホニューム」を吹いていた男子がいました。彼の家は町の商店街の「馬具店」でした。私の町の産業は稲作が中心で、その農作業の労力のメインが「馬」(ドサンコ馬)でした。馬を使うためには、色々な「馬具」が必要です。時には特注品もあったようです。そのため彼の家は大いに繁盛していたようで、ある時期に3階建ての店舗兼住宅を新築し、その3階はワンフロアのステレオルームにしていました。そこに、このステレオより更に上のクラスの機器があったと思います。私も1,2度訪ねて行ってレコードを聴かせてもらった思い出があります。
さて上のチラシの●の二つ目の行に、『FMのステレオ放送に備えたアダプターが接続できる端子付きです』と記載があります。まだステレオ放送が完全に普及していなかった時代でした。今から約60年前の思い出の一つです
私は中学1年生の後半から、新たに創設された吹奏楽部に入り、「チューバ」を担当しました。その低音部門で並んで「ユーホニューム」を吹いていた男子がいました。彼の家は町の商店街の「馬具店」でした。私の町の産業は稲作が中心で、その農作業の労力のメインが「馬」(ドサンコ馬)でした。馬を使うためには、色々な「馬具」が必要です。時には特注品もあったようです。そのため彼の家は大いに繁盛していたようで、ある時期に3階建ての店舗兼住宅を新築し、その3階はワンフロアのステレオルームにしていました。そこに、このステレオより更に上のクラスの機器があったと思います。私も1,2度訪ねて行ってレコードを聴かせてもらった思い出があります。
さて上のチラシの●の二つ目の行に、『FMのステレオ放送に備えたアダプターが接続できる端子付きです』と記載があります。まだステレオ放送が完全に普及していなかった時代でした。今から約60年前の思い出の一つです
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