平成最後の日の記事です。
桜の季節が終わったら 次はつつじ。
いつの頃からか、 それを楽しみにするようになっています。
毎年桜を愛でるのも 心子との想い出の 桜並木が動機なので、
つつじも心子つながりかと思います。
と言っても、 例年 沿道の植え込みのつつじを 味わうぐらいだったのですが、
今年はゴールデンウィークを利用して つつじ苑に行ってきました。
根津神社のつつじ祭りは たまたま今年50周年だそうです。
狭い参道に屋台が並び、 芋の子を洗うような人込みでした。
社殿は 現存する江戸時代最大の 神社だそうです。
その脇に つつじ苑があります。
こんもりとした丘一面に つつじが植えられ、 目を見張る美観でした。
色とりどりのつつじ。
とても美しいですね。
赤, 白, ピンクが交ざったつつじは 鮮やかです。
画面一杯の 真紅のつつじの花びら。
更にアップ。 これぞつつじという感じです。
画面斜めに並んでいるのは 千本鳥居です。
ここに載せきれなかった写真を Facebookに 初めてアップしました。
https://www.facebook.com/masayuki.inamoto.75/media_set?set=a.1107408709438815&type=3
来年もまたここへ来て、 つつじを満喫したいと思います。
楽しみがひとつ増えました。
心子にも見せたかったですね。
多忙な中
長文に亘る返信ありがとうございました。
驚きと共に、大変嬉しく
何度も何度も何度も
しつこく読み返しては
毎回泣いていました。
早速
養父にも伝えたところ
養父も泣いておりました。
私はSNSが苦手でよくわからいので
失礼がありましたら
申し訳ありません。
お忙しいと思いますので
このコメントへ返信は結構です。
必ず目を通してくださると思っていますので
それだけで充分です。
また、来ます!
ブログも一部読ませていただきましたが、波瀾に満ちてとても苦しい体験を沢山味わってきたのですね……。
本当に辛い思いをされたことでしょう。
そんななかで現在の主治医と養父の方に出会えたのは、大変救いになったのではないでしょうか。
BPDで素晴らしいドクターと巡り合えるのは僥倖なことだと思います。
また、養父になられたのは非常に奇特な方だと思えてなりません。
攻撃を受けながらも家族として受け入れるというのは、恋人として共にいることよりずっと厳しいのではないかと思うのですが。
その男性と知り合ったのと、心子の本を読まれたのが同じ時期だったのですね。
何か縁があったのでしょうか。
今は養父の方と別居して、寂しさと闘いつつも、主治医やグループのサポートで、BPDと薬物依存の治療に立ち向かっておられるのですね。
かなり快復してきたとのことで、とても良かったと思います。
きっと必死で頑張ってきたのでしょう。
辛さに耐えながらの姿に敬服いたします。
過去を省み、感謝の気持ちで、自分を見つめるためにブログを書いておられるとのこと、それも非常に感服します。
僕も「境界に生きた心子」を執筆することによって、自分の気持ちや体験の意味を整理することができました。
高見沢さんもブログを書くことで、苦しかった人生の意味を見出したり、苛酷な体験の位置づけができていくことを願っています。
まだ困難なこともあるでしょうが、周りの人たちの貴重な支えを得ながら、きっと良い方向へ進んでいくことを心から祈っています。
心子と共に……。
8年程前に
「境界に生きた心子」読ませて頂きました。
私は現在50歳ですが
30歳から精神科に通院しながら、
35歳でBPDという病気を知り
主治医に訴えましたが違うと言われました。
BPDと診断されるまで12年かかりました。
薬物依存症でもあったため
必死に病院を探しました。
4年前に素晴らしい主治医に出会い現在
通院と薬物依存症回復施設、自助グループに行く事でかなり回復したと思います。
もう一つ知って頂きたいのですが
8年前に出会った男性と男女の関係になりました。
しかし、私のBPDの症状に驚かれ私の生い立ち、異性関係について聞いてくれました。
家族の素晴らしさを知らない貴女は可哀想だ。
貴女に家族の素晴らしさを知って欲しい。
男女の関係は無理だけれど、家族として受け入れることで
貴女を見捨てたりしない。
養子縁組をしました。
現在の主治医に出会うまでは
やはりBPDの矛先は養父で
かなりの暴言暴力をふるってきました。
人への依存を克服するため半年前から養父とは別々に暮らし始め
寂しさに耐えられず
死にたくなる時もあります。
SNS苦手でよくわからないのですが、BPDで迷惑をかけてきたことを振り返り、死なずに生かされている意味を考えてブログを書いています。
長文失礼致しました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。