ひまわり博士のウンチク

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天童荒太『歓喜の仔』

2013年01月03日 | 本と雑誌
Kankinoko
 
 正月休みの元日から二日にかけて、天童荒太の新作『歓喜の仔』を一気に読んだ。
 実は、直木賞受賞作の『悼む人』をまだ読んでいない。以前話題になった『永遠の仔』が感動的で大変面白かったので、同じようなタイトルに惹かれたのだ。天童荒太の作品は、したがって、この2作しか読んでいない。
 二つの作品はテーマが共通していて、ともに親の愛が薄い,世間でいう幸福から見放された子ども達が描かれている。
 『永遠の仔』のわかりやすい物語進行に比べ、『歓喜の仔』はいささか難解である。様々な状況で親の愛を失った子ども達が、生きていくためにぎりぎりの生活を送っていくのだが、似たような、というよりは同じ構成の登場人物達が、一方では表向き平和な世界で、一方では戦火におびえる世界で、パラレルワールドのように同時進行していく。この二つのシーンの転換が、本文中では1行空けただけなので、読み流していくとどちらの話なのかわからなくなり、混乱する。多分、作者は読者が混乱することを意識的に意図しているのだろう。
 
 戦火の世界では「平和な世界で作られた武器が、ここで使われている」と語られ、生きるために武器の運搬や脱走の手伝いをする。一つ間違えばすぐに射殺される。また一方で、親の借金返済のために「アジツケ」と称する覚せい剤の調合をヤクザから請け負う。借金の総額がいくらなのか、どれだけ「アジツケ」をすれば完済できるのか、まったく知らされていないし、それを知ろうとすると袋だたきにあった。
 戦乱の中の子ども達と、「平和」な世界の子ども達、どちらにも真の安全も幸福も存在しない。現在の地球上にはどこにも安全な世界など存在しないことを、子ども達の暮らしを通じて読者は知らされる。
  同時進行していた二つの物語はやがて、思いもよらない展開を経て、最後には統合されていく。終って、この小説がハッピーエンドなのかバッドエンドなのかわからない。「エンド」、終りはこの小説のずっと先のことなのではないだろうか。
 
 久しぶりに、長編小説を読んだ。このところ評論ばかり読んでいて、頭が固くなり、なんとか分析しようという心理が働いて、これは小説を読む上ではよくない。もう1、2冊小説を読むことにする。次はノーマン・メイラーかフォークナーにしようか。ノーマン・メイラーは『鹿の園』と『裸者と死者』が、フォークナーは『八月の光』と『サンクチュアリ』が書棚から出して手元にある。さてはて。
 
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