
古い本である。いつどこで手に入れたかはすっかり忘れた。古書で買ったことは間違いないのだが。
『夕刊フジ』に連載されていたコラムを1冊にまとめたもので、1973年発行の定価750円。当時としては決して安い本ではない。それがずっとデスクの脇の、すぐ手の届くところに雑誌や辞典類などと一緒にある。仕事の合間にスッと手をのばしては、適当なページをパラパラと開いて読んでいる。ひとつのコラムが見開き2ページでおさまっているので、後を引かず、仕事の邪魔にならないから、気分転換にちょうどいい。
山口瞳はノンポリで政治的な話はほとんどない。野球と酒飲みの話で大半が占められていて、まあ、毒にも薬にもならないと言っていい。
今日、たまたま開いたページに「かくれジャイアンツ」という表題があった。
「かくれジャイアンツ」」という言葉があるそうだ。もちろん「かくれキリシタン」をもじったものである。
巨人軍が好きだと言ってしまうのは、時によって恥ずかしいことであるらしい。いわゆる野球通にはアンチ・ジャイアンツが多いのである。それに判官びいきということもある。俺は巨人軍だと言うのは、何やら子供っぽく見られる気配がある。まるでYGという野球帽をかぶっているように──。(186ページ)
近頃は「かくれジャイアンツ」という言葉はほとんど耳にしなくなった。この本が出た当時の東京は、野球ファンと言えばジャイアンツファンであって、いわゆる「巨人大鵬卵焼き」の時代。大橋巨泉が「イレブンPM」という番組で「野球は巨人、司会は巨泉」などとほざいてはばからなかった時代でもある。(日テレ系列だったからだろうけれど、後に巨泉はV9に嫌気がさしてジャイアンツファンをやめてしまった)
このコラムが連載されていた当時は、ジャイアンツのV9が進行中で、野球が最もつまらなかった頃でもあった。
したがって、ジャイアンツは言ってみれば「体制」であったわけだ。そして体制的なジャイアンツファンに抵抗して現れたのが反体制を自負する「アンチジャイアンツ」という名のジャイアンツファンである。そして野球にめっぽう詳しい。(どういうわけか、ジャイアンツファンで野球に詳しい人はめったにいない。特に歴史については)
ジャイアンツが嫌いなら他のチームのファンになればいいものをそうしない。ジャイアンツがただ負けるのを楽しんで溜飲を下げる。なんのことはない、「俺はミーハーではない」という意思表示をしたいだけで、結局はジャイアンツを意識していることに変わりはないのだ。
他人と同じではかっこ悪いと考える人間は今も昔も少なくない。あえて流行は避ける。ランキング上位にある映画は観ない。ぽれぽれ東中野に大手配給会社のルートから外れた映画を観に行く。ゴールデンタイムではなく、深夜に放送される低予算のドラマを観ておもしろがる。
なんだ、僕自身ではないか。ちなみに僕はジャイアンツファンではない。アンチジャイアンツでもない。江戸っ子なのにタイガースファンである。
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