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ひまわり博士のウンチク

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小田実『終らない旅』

2011年09月24日 | 本と雑誌
Owaranaitabi
 
終らない旅
小田実 著
新潮社 刊
 
 NHKで放送された、入院中の小田実氏を取材した「小田実 遺す言葉」のなかで、ちらりと紹介された本が目にとまり、読んでみたくなった。
 亡くなった前年、2008年の発行なのにすでに絶版で、ネット古書店では見当たらず、毎度のことながらアマゾンの中古でばかばかしい値段が付けられていた。
 本来なら購入してゆっくり読みたいところなのだが、そんなわけで近所の図書館で借りてきた。
 
 阪神淡路大震災で父を亡くした久美子は、見知らぬアメリカ人女性から連絡を受け、彼女の母が遺していったとされる5冊のノートを受け取る。それは、父が晩年を過ごそうとした恋人のために自分の体験を書き連ねた、長い手記だった。
 亡くなった久美子の父毅(つよし)は、小田実本人とオーバーラップする。
 ベトナム戦争当時、小田実はいずれの政党にも労働団体にも関与されない、市民運動体として「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)をつくった。当時、理由はさまざまだが、米兵の脱走がたびたびあって、彼らを匿いソ連や中立国に送ることもやっていた。
 小田実は完璧な平和主義者であった。ベトナム戦争当時は、「正義の戦争」と「不正義の戦争」が区別して語られることが多く、侵略戦争は「不正義の戦争」で民族独立のためや帝国主義と戦う戦争は「正義の戦争」という論理である。しかも、すべての戦争に反対するのは、侵略戦争と戦うことも否定されるわけだから、誤りである、という「正義の戦争」派が多数を占めていた時代であった。したがって、すべての戦争に反対する「完璧な平和主義」は日和見主義として批判の対象になった。
 小田実は毅の言葉を借りて娘の久美子に次のように説明する。
 
 ??「正義の戦争」をする側が相手にするのは、必ず「不正義の戦争」をする、よからぬ側だ。そのよからぬ側は、どんなよからぬ悪辣な手段を使ってでも、彼らの「不正義の戦争」に勝とうとする。彼らに、「正義の戦争」をする側は負けてはならない。必ず勝たなければならない。「正義の戦争」は、「不正義の戦争」に勝つことによって、そのことによってのみ正義は成立する。
 「久美子、私はいつか、日本の都市焼きつくし、一方的殺戮、破壊の作戦を立案し、実行したカーティス・ルメイが、戦後、自分たちの側が戦争に負けていれば、自分はまちがいなく戦犯として法廷に引き出されていた、幸いにして、自分たちの側は戦争に勝った、そう言ったと教えたことがあるだろう。『正義の戦争』が、勝利することによってのみ『正義の戦争』として成立する実例だが、その彼に、私たち『不正義の戦争』をした、そう『正義の戦争』をした側によって断じられた側の最高の指導者だった、そのはずだった天皇は、勲一等旭日大綬章という、日本の最高位に近い勲章を手ずから授与することで、相手側の正義を追認した。それは、自分の側の戦争の不正義を、あらためて確認したことになる。相手側に正義があれば、一方的な殺戮であれ破壊であれ、何をされても仕方がないになるのかね。一方的な殺戮、破壊のなかで殺される人間は、どうなるのか。ただ見棄てられる存在でしかないのか。」|

 
 そうして、「私のベトナム反戦運動の原点は、まちがいなく私の体験に基づく、戦争はどんな戦争も間違っている、の信念だろう」と結ぶ。
 すべての戦争に反対し、ベトナム戦争の早期終結を求める「ベ平連」の基本理念である。
 
 1975年に終ったベトナム戦争は、終結まで15年間もかかった大戦争だが、あれから36年も経ってしまった現在、ベトナムの中でも戦争の実感を持たない若者が増えていると聞く。ましてアジア・太平洋戦争後66年の日本では、いくらお年寄りたちが戦争体験を話しても、右から左で聞く耳を持たない人がほとんどだ。
 「もう日本が戦争をすることはないのだから、過去の戦争の話など聞きたくない。それよりも自分たちがこれからどうするかだ」と、「そのどうするか」は「いかに儲けるか」であること「勝ち組」になることだという。
 おそろしいことに、「日本が戦争をしない」のは憲法九条があってこそだということにか気づいていない。この66年間で、どれだけ憲法九条が歯止めになってきたか知らないのだ。「9条なんて関係ない、国民の努力ですよ」なんて平然という。
 
 ノートを持参したアメリカ人女性ジーンの母アリスと久美子の父ツヨシは、留学先のアメリカで出会い、お互いに惹かれあうが、アリスにはベトナムで捕虜になって収容所生活中の婚約者がおり、ツヨシには日本に残した妻子がいたために、お互いの気持ちは確かめずにいた。
 それから20年も経って、ベトナムで再会を果たし(「サヨナライツカ」みたいだが)そのときにはアリスは婚約者と離別し、ツヨシも妻を亡くしていた。二人は一旦一年の冷却期間をおいた後に、晩年を二人で過ごすことを決めたのだが、それが実現するまもなく、阪神淡路大震災でビルの下敷きになり、ツヨシは一生を終える。
 ベッドシーンもあるラブストーリーが物語の中心なのだが、どこまで実体験かはさだかでない。わざとらしさを感じなくもない。

 ジーンは、母から聞いた言葉として次のようなメッセージを久美子に語る。
 
  ジーンはことばを切ってから、「もうひとつ、彼が言った大事なことがあると、母は言っていました。」記憶をたしかめる表情をして、ことばを継いだ。
 「平和は、ただの現状維持を意味しない、ということでした。ことばを換えて言えば、力で押さえつけて現状を確保、維持するのでは、平和ではないということです。ローマ時代のPAX・ROMANAは、まさにそうした意味での平和でしたが、彼の言う平和はそうではなかった。そんな平和では、いつなんどき戦争が起こるかも知れない、戦争を内包した平和です。日本の戦後の憲法は、戦争放棄と軍備非所持を決めた、その意味で『平和憲法』と適切に呼ばれる、呼ばれていい憲法だが、その『平和憲法』が追求する平和は、ただの現状維持の平和ではない。彼によれば、その平和は戦争を内包しないが、変革を内包した、変革を必然の前提にした平和です。世界は戦後の今も、決して理想的な、理想が形成された世界ではない。世界はまだまだ変革を必要としている、より理想的な世界に、各国は努力して変えて行かなければならない。その努力がないかぎり、戦争はいつでも起こる。その努力に、日本は率先して参加せよ、という主張が『平和憲法』にはある。ただこの努力は、あくまで非暴力、非武力で行なわれなければならない……それが、戦後の日本の憲法が、トッコウ、ギョクサイの悲惨な体験にまで及んだ戦争を経て、持ち得た政治原理だと、その日本人、あなたのお父さん、ツョシは、母に懸命に言われたのだそうです。」

 
 近年、「九条の会」設立に尽力した小田実氏は、平和憲法とは平和を維持することが目的ではなく、それを世界に拡げることだと、機会があるごとに語っていたが、ここにその原点をみることができる。
 この『終らない旅』は、小説の形を借りた小田実氏の平和理論である。物語そのものは、大変失礼ながら「クソ」である。そちらの面白さを期待すると確実に裏切られる。
 かつまた、文章も決してうまいとはいえない、というよりへたくそである。しかし、この本の価値はそういうところにあるのではなく、正当な理論を正当な形で伝えるためのシナリオが実に明確に描かれている。やはり、この人は頭がいい、と思わせる個所がいたるところに現れているのだ。
 自分の背骨にもう一本筋を増やすことのできる名著といえる。
 
 それにしても、入手し難くなっていることは至極残念である。文庫なり何なり、復刊する道はないものだろうか。
 
 リンク→小田実さんのこと
     『何でも見てやろう』
 
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