遍路の心

鮒の里.四国遍路19番立江寺近く.お接待処.民宿

魚眼で見る遍路...立江川の鮒、光潤より

2009-04-24 09:29:30 | Weblog
  発心の道場、「阿波の近世仏教」ーーー河出書房新社、「徳島県の歴史より」
 
 阿波の近世は天正13年「1585」に蜂須賀家政が入部したときに始まる。蜂須賀家は臨済宗で、家政の兄である東嶽や顧問僧の泰雲などの禅僧を重用したことから、菩提所の興源寺をはじめ妙心寺派の教線が領内に伸張し、南山、春叢、玉澗などの名僧を輩出し、とくに興源寺の玉澗は文字禅の巨峰といわれ、諸国の雲水「修行して歩く僧」によって禅堂は活気にあふれたと伝えられている。
 しかし、阿波は伝統的に真言王国といわれ、約600寺のうち450寺ほどが真言宗であった。
 戦国大名の三好長治が自ら信仰していた法華宗を阿波一円にひろめようと、他宗寺院を折伏して法華寺に改宗させようとしたものである。
 そんな阿波における真言寺院の圧倒的な数が、四国霊場第一番の札所を霊山寺と決定するうえで、大きく働いたことは確かなことである。
 この順拝コースを確定するのは四国霊場
を20回以上も踏破し、「四国遍路、道指南」という案内記を刊行した真念大師だとされているが、この真念大師がコース決定のうえで影響を与えたものと考えてよいだろう。
         次回は阿波藩のへんろに対することがら、
                     立江川の鮒より
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする