monologue
夜明けに向けて
 



  わたしはサンフランシスコ旅行中曲想を得た「カリフォルニア・サンシャイン」を宮下富実夫たちとのセッションで試しに披露すると宮下はタンバリンを叩き演奏に参加してくれて思いのほかみんなの評判が良かったのでレコード化を心に決めた。

 ベースとヴォーカルを頼まれていたバンドが解散状態になってひとりでエンターティナーの仕事をするようになると自由になったのでいよいよ宮下富実夫の使っていた多重録音機ティアック8トラック・レコーダーの後継機、タスカム8トラック・レコーダーとコンソール(調整卓)を購入した。

 そしてプロフェット5、ヤマハDX7などのシセサイザーにMXRドラムマシンにスネアドラム、そしてエフェクター類、ノイマン・マイクなどの録音機材をスタジオと呼べるほど一通り揃えて「カリフォルニア・サンシャイン」の多重録音にとりかかった。
fumio

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わたしは高校時代に好きだったリヴェリアス(Riverias)の『カリフォルニア・サン(California Sun) 』 、ママズ・アンド・パパスの『夢のカリフォルニア』 、そしてしばらくのちに大ヒットしたアルバート・ハモンドの『カリフォルニアの青い空』 、イーグルスの 『ホテル・カリフォルニア』、などのカリフォルニアを歌った名曲の数々に触発されて、自分自身のカリフォルニアの太陽讃歌を作りたいと常々願っていた。

 1981年9月29日、わたしと妻と息子はサンフランシスコへ家族ドライヴ旅行した。運転中、なぜかカリフォルニアの陽光の詞とメロディが流れこんでくる。宿泊した、ヒチコックの映画『サイコ』を思い出させる、ゴキブリの出没する安モテルのメモに走行中に浮かんだ詞を書きつけた。

 
 カリフォルニアは日本列島ほどの広さの州なので北海道と沖縄の気候が違うように北カリフォルニアと南カリフォルニアでは気候風土が異なる。サンフランシスコは南カリフォルニアに位置してロサンジェルスから車で約六時間ほどの距離である。

 坂道で息切れする愛車を叱咤してチャイナタウンや観光名所を巡ってゴールデンゲイト・ブリッジを見おろすリンカーン・パークで『咸臨丸入港百年記念碑 大阪市長中井光次書』と書かれた黒い碑を前にして感慨に耽った。前に座る当時4才であった息子の大きさとの比較で碑の大きさがわかるだろう。この異国の仮マホロバ(カリホロニア)の地(つち)の上に立って勝海舟をはじめとする幕末のサムライたちが真のマホロバであるべき日本(ひのもと)の祖国を思い、新時代を築く礎(いしづえ)となる決意をどのように固めたのかと…。
fumio

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 やがてラテンギター、ジャズギター、女性ピアノにわたしのベース兼ヴォーカルのバンドもみんなのモチベーションが落ちて自然解消のようになった。日々の仕事をこなすだけでなにかの目標がないとバンドの維持はむづかしい。

  中島茂男はいつのまにか、サンフランシスコから戻ってきていたがもうエンターティナーには戻る気はなく別の方向に転進していた。

 それでわたしは中古のギブソンレスポール・エレクトリックギターを購入してふたたびひとりでエンターティナーを始めた。どんな形態であろうと歌を歌い人を楽しませて暮らせることは幸せだった。

 宮下富実夫、中島茂男、山下富美雄、そして島健というバラバラな指向性をもつミュージシャンたちをほんの一瞬邂逅させてアルバム「プロセス」を作らせふたたびチリジリにした存在の意図は奈辺にあったのだろう。
fumio

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 そのころ、島健 はジャズ雑誌のファン投票で上位に入るトランペッター、アル・ヴィズッティ (AL VIZZUTTI)のバンドでキーボードを弾いていたがそれだけでは生活できないのでクラブのピアニストも始めた。わたしはその店に仕事ではなく客のフリして訪れてかれの伴奏でスタンダードやポピュラーソングを歌ったりした。

 ある音響メーカーの新製品のPCMレコーダーがいかにクリアな音でデジタル録音できるかのテストと宣伝のためにジャズバンドの紹介を頼まれて、わたしはアル・ヴィズッティのバンド を紹介した。ひとり100ドルのペイで請け負って、ドラムス、ベース、ギター、キーボード、トランペットとプロユースのスタジオで時間をかけてPCM録音した。それが日本でその社の宣伝資材として使用されたのだろう。

 そのとき、島健はキーボードをハモンドオルガンの名器B3の音が出る設定にしたと自慢していた。一般の人には、それがどうした、という話題だがわたしは感心してその音を聴いた。かれは仕事をまわしたお礼にわたしの曲をアレンジしてやる、といっていた。それはかれらにとっておいしい仕事だったのだろう。

 わたしは「カリフォルニア・サンシャイン」のシングルを作っている時、島にアレンジを頼んでアルにトランペットのソロを頼もうかと思ったが、それではあまりに人頼みに過ぎるので思いとどまった。今にして思えばそれも面白かったかも。なにしろ島がのちに日本でストリングスアレンジしたサザンオールスターズの「TSUNAMI」はレコード大賞を受賞したのだから…。
fumio

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 ある時、中島茂男がしばらくサンフランシスコに行くと言い出した。わたしはわずかばかりの餞別を渡し見送った。

 それから仕事は振り出しに戻った。アコースティックギターにギターマイクをつけてひとりでエンターティナーの仕事をこなした。

 そのうちラテンギター、ジャズギター、女性ピアノという変則的な編成のバンドのベース兼ヴォーカルを頼まれた。ロックも演歌も歌謡曲もラテンインストルメンタルもなんでもありだった。とにかく譜面をたくさんコピーしてきてなんでもやれるようにまわりもちでだれかの家に集まって練習した。のど自慢などの出場者のバック演奏も譜面通りではなくその人のキーにあわせてすぐ弾けなければいけない。審査の間にはわたしはゲストのプロとして演歌の「与作」を歌ってみせたりした。わたしの家の裏庭で日曜に機材を使用してみんなで稽古していると裏の長屋のメキシカンや黒人住民が石を投げ込んできた。休みの日にうるさいと腹が立ったのだろう。

 わたしにとってそれは幸せな日々であった、とにかく歌を歌って暮らせるのだから…。
それは幼い頃からの望みだった。
fumio



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 宮下富実夫は81年に自分のユニット「富実夫FUMIO」をふたりの気のいい黒人、向かって左LANCE FOOKS(guitar) と右CALVIN HARDY(bass)とで結成して「DIGITAL CITY」というポップなアルバムを作った。「DIGITAL CITY」 の見本盤を見ると宮下は「to fumio yamashita family FUMIO富実夫1981 10 31 」と細いペンで手書きしている。

 そしてしばらくしてかれはアメリカを去った。それから日本での本格的活動が始まる。宮下の歩むべき道はアメリカではなく日本に用意されていたのである。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
**********************
6月31日(金)~7月7日(金)
ヒット数:1,001件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(2)<2>水面に書いた物語
第2位(1)<1>ごめんなさい
第3位(4)<3>あやかしのまち
第4位(6)<4>女優(スター)
第5位(5)<6>軽々しく愛を口にしないで
第6位(10)<7>はるかなるメロディ
第7位(7)<4>ラスト・ランデヴー
第8位(9)<13>マイ・スィート・ライフ
第9位(12)<8>ときめきFALL IN LOVE
第10位(19)<15>わかりあえる日まで
第11位(8)<11>素顔のマスカレード
第12位(3)<9>それってⅨじゃない
第13位(13)<16>Stay with me
第14位(11)<5>オーロラの町から
第15位(-)<->青春
第16位(18)<18>恋すれば魔女
第17位(15)<10>しあわせになれる
第18位(17)<17>Sentimentallady”M”
第19位(14)<->プロセス 
第20位(16)<12>まことのひかり
第21位(20)<19>NEVER GIVE UP!

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 今週もブログの本文に呼応するようにアルバム「プロセス」から15位に青春 19位にプロセスが入ってきた。やはりこのカウントダウンもブログ本文と連動している。ご愛聴感謝。
fumio












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今日はニュー・ジャージーに在住していた親友上田好久 の一周忌である。あれからもう一年たってしまった。

 去年気になって電話すると急逝していた。わたしになんとしてでも報せたかったのだろう。いつも向こうから電話があってこちらからかけたことがなかったがあの日はなぜか電話した。

 
 ヨシさん、向こうからこっちを見ればいろいろわかるだろうね。
 今から赤飯を炊いて供えるから一緒に食べよう。あの頃のように…。
fumio




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 わたしがアリオンの主宰する世紀末フォーラムに参加した頃、預言解読部屋あるいは預言解読村の村長であった「はな」さんが imaginationというブログをこの6月から運営している。

 ARION預言 その他の示唆に富む内容である。しばらく噂をきかなかったが活動を再開されたようで心強い。
fumio

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 今朝、記事にカテゴリを設定したほうがいいという提言があった。そういえばどこにどんな記事があるのかわからなかったのでなるほどと思ってこれまで書いてきた雑多な記事をカテゴライズした。このブログの左側のCATEGORYの欄から好きなシリーズを選んでクリックしてまとめてお読みください。
fumio

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 ダウンタウンにあるロサンジェルス・コンヴェンション・センター において「ジャパンフェスティバル」という大規模な日本宣伝の祭りが企画されたことがあった。この間、フランスで行われた「ジャパンエキスポ」のような催しである。企業がブースを借りて各社の最新モデルを展示する。さまざまな日本文化も展示する。その主催者から宮下富実夫に、成功するかどうかわからないのでペイを支払う予算はないけれどフェスティバルを盛り上げるためのバンド演奏の依頼が入った。「宮下のシンセとヴォーカル、中島のギター、島のキーボード、わたしのベース、」といういつもの布陣で臨み宮下の新曲を演奏した。会場は大盛況だった。それは丁度、アルバム「PROCESS」のカセットテープをリリースした頃だったので、妻はブースのひとつでそのカセットテープをそのころ流行のメディティションミュージックとして販売した。

 演奏後、日本のラジオの生放送に合わせてスタジオに急いだ。土曜の午後だったが時差の関係で日本では日曜の朝番組だという。それは作曲家、曽根幸明氏のやっていたラジオ番組で日米の回線をつないでロサンジェルスの生情報を伝えるコーナーだった。「ジャパンフェスティバル」の盛況の様子などをしばらくみんなで喋った。
この日本宣伝祭りの成功はアメリカの日本に対する意識が変化するきっかけのひとつになったように感じる。

 この「ジャパンフェスティバル」での演奏がこのメンバー4人での最後の演奏であった。以来、それぞれの進む道が交わらなくなったのである。
fumio

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 ある時、宮下富実夫に映画の主題歌の仕事が入った。英語圏用に日本の民謡の英語版を作って主題歌にするという指示を受けて、英訳は専門家に頼んで、歌は昔、日本でジミー時田のバンドでウェスタンをやっていた人に頼んだという。わたしたちの役目はバック演奏と囃しことば「ナカナカナンケ、ナカナンケ」とコーラスすることだった。スタジオはガナパーチのPARANAVA STUDIOを使用した。ワイワイとみんなで打楽器類を叩き祭りの雰囲気をだした。そのとき普段キーボードでは気付かない島健のリズム感に驚いた。

 映画ができあがって喚ばれた試写会に行くと、それは神代辰巳監督の「一条さゆり 濡れた欲情」という作品だった。英語版を作ってアメリカで公開する目論見のようだった。試写会では演奏を集中して聴き作品は流して見たけれどその後、アメリカで実際に公開されたのかどうかは定かではない。大島渚監督の映画『愛のコリーダ』の世界的大ヒットに肖(あやか)っての企画だったのだろうか。
fumio

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 ある日、息子が留学中のセントラル・オクラホマ大学(University of Central Oklahoma) の生徒達にアルバム「プロセス」を聴かせると収録曲の「puberty」 という題名に異を唱えていたということだった。このことばはなんだか恥ずかしいからもっとほかのことばはなかったのか、というのだ。

 思春期から青春期あたりを表すにはyouthや the springtime of life、young days、adolescence.などあたりさわりのないことばがあるのだが、「reach the age of puberty」という表現があって、「 思春期に達する, 年ごろになる」ということなのである。それは語源的には「pube」が性的成熟を意味してpubic hairの語源でもある。the age of pubertyを語源通りに具体的に訳せば「毛が生える頃」となる。それでオクラホマの大学の生徒達はこそばゆく感じたのだろう。

 しかしながら、あたりさわりのない通常の表現より反対はあってもなにかを奥に秘めた表現のほうがふさわしく感じたので採用したのだからしかたがない。
 
 かと言って母国語で「毛が生える頃は思い出の住処」とコーラスせよと言われると二の足を踏んでしまう。われながら勝手なものである。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
**********************
7月24日(金)~7月31日(金)
ヒット数:1,266件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<2>ごめんなさい
第2位(2)<1>水面に書いた物語
第3位(9)<9>それってⅨじゃない
第4位(3)<3>あやかしのまち
第5位(6)<11>軽々しく愛を口にしないで
第6位(4)<4>女優(スター)
第7位(4)<10>ラスト・ランデヴー
第8位(11)<5>素顔のマスカレード
第9位(13)<8>マイ・スィート・ライフ
第10位(7)<7>はるかなるメロディ
第11位(5)<15>オーロラの町から
第12位(8)<12>ときめきFALL IN LOVE
第13位(16)<16>Stay with me
第14位(-)<->プロセス 
第15位(10)<6>しあわせになれる
第16位(12)<18>まことのひかり
第17位(17)<17>Sentimentallady”M”
第18位(18)<13>恋すれば魔女
第19位(15)<14>わかりあえる日まで
第20位(19)<19>NEVER GIVE UP!

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 「ごめんなさい」が首位を続けているがなんといっても注目は14位に突然現れた「プロセス」である。
このカウントダウンもブログ本文と連動していることがわかる。
ご愛聴感謝。
fumio











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