monologue
夜明けに向けて
 




一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ
    英知は黄泉にも等しく与えられ
    神の御業に等しく映り その対を
    成す様に 定められたからである

一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に

「光の黙示録」より

*********************

 黄泉と「櫛(くし)」が組み合わされて使用されている古事記の「黄泉國」の条はだれでも知っている有名なもので「国産み神産みの末亡くなった伊邪那美を追いかけて黄泉國に降りた伊邪那岐が妻の変わり果てた姿に驚いて逃げ帰る」という話しだがどんな文字が使用されているか参考のために以下に原文を掲げる。

於是欲相見其妹伊邪那美命、追往黄泉國。
爾自殿縢戸出向之時、
伊邪那岐命語詔之、「愛我那迩妹命、吾與汝所作之國、末作竟。故、可還」。
爾伊邪那美命答白、「悔哉、不速來。吾者爲黄泉戸喫。
 然愛我那勢命、(那勢二字以音。下效此)入來坐之事恐。
 故、欲還、且與黄泉神相論。莫視我」。
如此白而、還入其殿内之間、甚久難待。

故、刺左之御美豆良(三字以音。下效此)。
湯津津間櫛之男柱一箇取闕而、燭一火入見之時、
宇士多加禮許呂呂岐弖(此十字以音)
於頭者大雷居、
於胸者火雷居、
於腹者黒雷居、
於陰者拆雷居、
於左手者若雷居、
於右手者土雷居、
於左足者鳴雷居、
於右足者伏雷居、
并八雷神成居。

於是伊邪那岐命、見畏而逃還之時、
其妹伊邪那美命、言「令見辱吾、即遣豫母都志許賣(此六字以音)令追」。
爾伊邪那岐命、取黒御鬘投棄、乃生蒲子。
是搜食之間、逃行、
猶追、亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而投棄、乃生笋。
是拔食之間、逃行。
且後者、於其八雷神、副千五百之黄泉軍令追。
爾拔所御佩之十拳劒而、於後手布伎都都(此四字以音)逃來、
猶追、
到黄泉比良(此二字以音)坂之坂本時、取在其坂本桃子三箇待撃者、悉迯返也。
爾伊邪那岐命、告其桃子、「汝如助吾、於葦原中國所有、
 宇都志伎(此四字以音)青人草之、落苦瀬而患惚時、可助告」、
賜名號意富加牟豆美命(自意至美以音)。
最後其妹伊邪那美命、身自追來焉。
爾千引石引塞其黄泉比良坂、其石置中、各對立而、度事戸之時、
伊邪那美命言、「愛我那勢命、爲如此者、汝國之人草、一日絞-殺千頭」。
爾伊邪那岐命詔、「愛我那迩妹命、汝爲然者、吾一日立千五百産屋」。
是以一日必千人死、一日必千五百人生也。
故、號其伊邪那美命謂黄泉津大神。
亦云、以其追斯伎斯(此三字以音)而、號道敷大神。
亦所塞其黄泉坂之石者、號道反之大神、亦謂塞坐黄泉戸大神。
故、其所謂黄泉比良坂者、今謂出雲國之伊賦夜坂也。


以上、ここからいわゆる「櫛の火」に関する部分を抜き書きすると
「故、刺左之御美豆良(三字以音。下效此)。
湯津津間櫛之男柱一箇取闕而、燭一火入見之時、
宇士多加禮許呂呂岐弖(此十字以音)」

 美豆良(みずら)とは「巻」や「鬟」と書いて古代の男子の髪の結い方で髪を頭の真ん中から左右に分け、耳のあたりで輪形に結んだものを指す。それで「左之御美豆良」は左側の髪の輪ということになる。
問題の櫛は「湯津津間櫛」だが普通に解釈するのではなくこれが岩戸に関係するのであればそのように意味を解かねばならない。「湯」とは火と水の交わるところを意味する。それで文字中に水と日が使われる。
「津間」は間を意味し「夫(つま)」とも書いて端の意味。「湯津津間」で日の世界と水の世界の間の端と端の交点を意味する。これはそういう櫛なのである。
そして「男柱一箇取闕而、燭一火入見之時、」とここで十の回転の力「男」の柱が出てくる。
それに火をつけると左側の櫛だったから左「火垂り」に回転して戸が開いてその中に入って見たのだ。
それでこの世と黄泉の世界をつないだ部分の宇宙構造がそのあとに宇士多加禮許呂呂岐弖(此十字以音)と注意深い文字使いで記されている。
これを「蛆集(たか)れ」と読んでゾンビたちの踊りのような話しということになってしまったが「宇」はもちろん宇宙の宇で千にウカンムリ、「士」は千が逆になった形。則ち「千」の回転が多く加わり豊かで「呂呂」は「串」にそっくりでこの世と黄泉の底辺同士が重なった図なのである。
この伊邪那岐と伊邪那美の決別のとき、岩で塞いだ現世と黄泉の国とのあいだにある坂の名前が黄泉津平坂であった。坂は境のこととされ、この平は比良と書かれたりしたがやはり岩戸を示唆していた。伊邪那岐を追いかけてきた「豫母都志許賣」は「黄泉醜女」で黄泉の四九女ということで九四を逆にしてある。いずれにしてもこの世と黄泉の「三四三」 の宇宙と 平と櫛は深い関わりがあるキーワードになっている。
ここで思い出すのは「SOUNDとこの部屋の仲間へ」のひらがな部分にあった「かすたりて みすみ を しょうく し」という一節である。これは「数足りて三四三を正串」ということででバランスを失っている三四三の世界を正しくするという意志の表明であったのだ。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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6月6日(金)~6月13日(金)
ヒット数:1,460 件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(2)<3>ごめんなさい
第2位(1)<1>女優(スター)
第3位(3)<2>水面に書いた物語
第4位(4)<4>あやかしのまち
第5位(7)<7>オーロラの町から
第6位(8)<12>軽々しく愛を口にしないで
第7位(5)<5>はるかなるメロディ
第8位(9)<9>それってⅨじゃない
第9位(6)<6>ラスト・ランデヴー
第10位(12)<13>Stay with me
第11位(10)<10>ときめきFALL IN LOVE
第12位(13)<11>素顔のマスカレード
第13位(16)<16>Sentimentallady”M”
第14位(11)<8>マイ・スィート・ライフ
第15位(18)<15>恋すれば魔女
第16位(14)<14>わかりあえる日まで
第17位(17)<18>しあわせになれる
第18位(15)<17>NEVER GIVE UP!


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「ごめんなさい」が毎週階段を一段ずつ登るように登り今週頂上に達した。見晴らしが良いだろう。ご愛聴感謝。
fumio





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一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ
    英知は黄泉にも等しく与えられ
    神の御業に等しく映り その対を
    成す様に 定められたからである

一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に

「光の黙示録」より

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「黄泉の壺」とは前方後円憤の形が壷に見えるのでそう表現するのだが坪と書けば天秤の「秤」にも共通する「平」が見える。「平」はいつもいうように「一八十」の重ね文字で「磐戸(いはと)」を隠しているのだ。つまり「天秤」とは天秤(あめのいわと)。この戸をわたしたちが見つけて開かねばならない。その戸を力づくで開いた天手力男命が投げ捨て隠したのは信州の「戸隠」であった。この暗号を解けば「戸が櫛、串(九四)」。私事にわたって申し訳ないが、わたしの生家の地名は京都市下京区櫛笥通花屋町上ル裏片町であった。「櫛笥」とは変わった名称だが大物主伝説で蛇が入っていたという櫛の笥(け)に因(ちな)んでいる。それは大物主の妻となった倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)命が、昼来ないで夜だけくる夫の大物主に朝、姿を見たいと頼んだので大物主が「あしたの朝あなたの櫛函(くしばこ)に入っていよう。」と約束して翌朝、姫が櫛函を見ると小蛇がはいっていた、という伝説である。この伝説が言いたいことは大物主は裏の世界(黄泉)に行くということなのである。かれは「串」の字で表されるふたつの笥のもうひとつのほうに縦の棒を伝って入るのだ。つまり「串」とは三四三(みすみ)天秤の二つの受け皿を描いた表象文字なのである。それゆえ大物主の正式名称には「「天照国照彦天火明奇(くし)甕玉饒速日尊」と「くし」が入るのである。
fumio


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一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ
    英知は黄泉にも等しく与えられ
    神の御業に等しく映り その対を
    成す様に 定められたからである

一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に

「光の黙示録」より

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「天秤」(英語ではbalanceあるいは balance scale)は三(現世)と三(黄泉)の世界」を四の支(死)点で支えて合計十の世界 を計っている。この世界の形を「三四三(ミスミ)」とも呼ぶ。
それゆえ「黄泉の裁きを侵すことなかれ」というのである。現世が黄泉の裁き(三ばき)を侵すとバランスが崩れてものごとがうまくゆかなくなるのだ。現在残念ながら人類の欲望のために「三四三(ミスミ)」のバランスを崩す事態が起こっている。
fumio




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一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ
    英知は黄泉にも等しく与えられ
    神の御業に等しく映り その対を
    成す様に 定められたからである

一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に

「光の黙示録」より

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「浸す」は水や液体にものを入れてその成分を含ませることだが「侵す」は他人の領域に無断で入り、権利権益権限、神聖などを汚すこと。
「黄泉の裁きを浸す」であればあいまいであった「黄泉の裁き」の意味が「侵す」と訂正すれば明確になった。「裁き」が示唆しているのは古代よりそのシンボルとされていた「天秤」英語ではbalanceあるいは balance scale。つまり「侵す他人の領域」とは黄泉なのである。その天秤の片方の皿にはあの世が乗りもう一方にはこの世が乗っている。 それを称して「天の秤(はかり)」というのである。
その構造は「御代黄泉」と裏表一体で3(現世)4支(死)点 3(黄泉)となっている。
fumio




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一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ
    英知は黄泉にも等しく与えられ
    神の御業に等しく映り その対を
    成す様に 定められたからである

一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に

「光の黙示録」より

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この「光の黙示録」はウェブ上に発表されたとき、
   また、本章「一七」は原本では「黄泉の裁きを浸すことなかれ」
   となっていますが、正しくは「黄泉の裁きを侵すことなかれ」
      とのことです。あわせてご注意ください。)と引用者注がついていた。
原本『光の黙示録』では「侵す」が「浸す」と誤植されていたから訂正をもとめているのである。元々意味のとりにくい詩句が続くのでこれまでさほど気にとめられなかったのだろうが、しかし単語が間違っていたなら預言として機能しない。それで訂正した上で今その真意を伝えようというのだろう。「浸す」と「侵す」ではなにがどう変わるのかそれが問題だ…。
fumio

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一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ
    英知は黄泉にも等しく与えられ
    神の御業に等しく映り その対を
    成す様に 定められたからである

一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に

「光の黙示録」より

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なぜか「光の黙示録」の黄泉に関する詩編を読んでみる気になった。
ここに今伝えたいなにかがあるのだろうか。
fumio

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その日、21才のギタリスト、アル・クーパーはプロデューサーのトム・ウィルソンに呼び出されて高揚していた。なにしろあのフォークソングの旗手ボブ・ディランのレコーディングセッションなのだ。スタジオに入るとすでにギターを抱えて手慣らししているテクニック抜群のギタリストがいた。おもわずよくみるとそれはその頃ブルースギターリストとして名を挙げていたマイク・ブルームフィールドだった。とてもギターでは太刀打ちできないと思ってアルはギターをしまい調整室に入って様子を見守った。数時間のセッションが続きオルガンプレーヤーがピアノに移動した時、チャンスが来た。「ぼくにオルガンを弾かせてよ、すごいフレ-ズを思いついたんだ」と嘘をついて頼んだ。だめだ、おまえはオルガンじゃなくギター弾きじゃないか、とプロデューサーのトムはつっぱねた。アルは本当にすごいフレーズなんだと粘る。トムが「アルッ」と発した時そこに人がやってきて電話にトムを連れていった。トムが「ノー」をいう前に。そしてついに「ライク・ア・ローリング・ストーン」リメイク テイク1のレコーディングが始まった。そのときのトム・ウィルソンの第一声はオルガンの前にすわっているアルに対しての「What are you doing overthere?そこでなにしてるんだ」であった。それでも若者は動かずプロデューサーはそのままレコーディングを開始した。手練れのミュージシャン全員が一斉に音符通りに音を出した時、アルだけは他の音を聴いて間違えないようにキーボードを押さえたので8分の1泊ずつ遅れた。それはオルガンだけが微妙にずれて曲に奇妙なスリルやゆらぎ効果を与える結果になった。ミックスダウンでボブ・ディランがそれに気づき「オルガンの音を上げろ」といいだした。プロデューサーのトムが「あいつは本当のオルガンプレーヤーじゃないから」と言いかけると「そんなことはおれはどうでもいい。とにかくオルガンの音を上げろ」とボブは命じた。その後アルはオルガンプレーヤーとしてディランのライヴに同行することになった。
 その曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」 はその印象的なオルガンと内容の深さが相まって、ヒットチャートを翔け登った。
そして、音楽誌Rolling Stone誌が2004年に行った500 Greatest songs of all timeという特集で、これまでのすべての曲中で第1位に輝いた。音楽はうまかったり正確であればよいのではない。「ふるえ、ゆらゆらとふるえ、」命のゆらぎにこそ感動がある。
時代を変えるものが生まれる時、その裏にはきっとなにか大きな力が働いている。プロデューサーのトム・ウィルソンにあの日あの時「ノー」といわせなかったのはなにだったのだろうか。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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5月30日(金)~6月6日(金)
ヒット数:1,641件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<4>女優(スター)
第2位(3)<3>ごめんなさい
第3位(2)<1>水面に書いた物語
第4位(4)<2>あやかしのまち
第5位(5)<6>はるかなるメロディ
第6位(6)<10>ラスト・ランデヴー
第7位(7)<5>オーロラの町から
第8位(12)<11>軽々しく愛を口にしないで
第9位(9)<9>それってⅨじゃない
第10位(10)<8>ときめきFALL IN LOVE
第11位(8)<7>マイ・スィート・ライフ
第12位(13)<15>Stay with me
第13位(11)<13>素顔のマスカレード
第14位(14)<16>わかりあえる日まで
第15位(17)<18>NEVER GIVE UP!
第16位(16)<14>Sentimentallady”M”
第17位(18)<17>しあわせになれる
第18位(15)<12>恋すれば魔女


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すこし変動はあってもベスト5はこのところ安定しているのだが「恋すれば魔女」が最下位に落ちたのは意外だった。オヤジギャグと思われたのか。
ご愛聴感謝。
fumio





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  いましいます、ありとしありて 
  ゆめ を はむ もの 
  かいなる もの は、かい として 
 さらなる うまち を あつめむとす 
 かすたりて みすみ を しょうく し
 ほしみ は、ほし を
  ちもり は、ち を
  くうなる そは、くうへ
  あやまてる、れきし
  あやまてる、たみ を うむ

  かくや、すきさりし えいか
  なに を もとめむ

 
    **

 流河に何を見出すや?
 崩石に何を思わんや?

 轟く大地は何を生む?
 囁く風は何を置く?
 
 溶ける、溶けてゆく。
 流血の歴史。
 涙の歴史。


   ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った

 夢魔は去った
 だが夢も去った

 鎖で繋がれた巨人は
 大地の重みに堪えかねて
 自らの踵を噛んだ
 
  灰色の陰は大鷲の老いを示す
  飛び石の向こうには、
  約束された緑の大地は無い
 
  私は言葉を切り揃えはしない。
  私は音を大事にする。
  私は木の葉擦れの間で息をしよう。

  人よ、人であれ。
  他人の水晶を覗いて、
  嘆くのは止めよ。

「SOUNDとこの部屋の仲間へ」

***********************************

この詩編の2008年現在の視点での見直し解読結果をまとめておく。

第一連のひらがな部分は
「居まし 居ます アリ歳在りて
夢を食む者
魁なる者はカイとして
更なる美霊を集めむとす
数足りて 三角を招来し
星見は星を
地守は地を
空なる祖は空へ
過てる歴史
過てる民を生む
かくや過ぎ去りし栄華
何を求めむ」となる。
要約すれば、アリオンと歳(ニギハヤヒ)が新時代のためにふさわしい人々を集めそれぞれの役割分担して正しい歴史認識に基づいた繁栄を築こうというものであった。
第二連は第一連で提起したことを承けて「何」は解字して「可人」(よき人、べき人、かの人)を選び崩石轟く大地などによって試練を与え鍛えて、かれらが新時代を建設し、以前の流血の歴史、涙の歴史は溶けてゆく。
第三連の「月の娘」は「月呑む皇」、「木星王」は「太歳」、「赤い目をした大地の子供」は「大ツチノコ」でいずれにしてもニギハヤヒでかれが新たな時代の建設を始めた。
 「鎖で繋がれた巨人は」ヨーロッパのことでEUの主流となっている人道的社会民主主義政権と右傾化したイタリア政権との対立が懸念される。
大鷲アメリカの老いがイラク戦争後の政策の失敗や経済問題その他に顕著になってバラク・オバマのような黒人大統領候補が出る時代になった。日本から太平洋を臨む飛び石の向こうにあるアメリカ大陸には「約束された緑の大地は無い」。
宇宙神霊はきれいに整えられた言葉の姿形より内にこめられた精神を大事にしてイザナミ、スサノオ、ニギハヤヒ、日と月と音をともに自らの心として外れの門の中に存在している。人は神の霊を止(とど)める霊止(ヒト)として人の本性に基ずく生き方をせよ。
他人の未来や他人がなにを思ったかに拘泥するのは止めて自己を見つめその奥に秘められた魂の輝きに気づくこと…。
この次またこの詩を見直すときにはどのように時代が変化しているのだろうか。
fumio

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   ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った

 夢魔は去った
 だが夢も去った

 鎖で繋がれた巨人は
 大地の重みに堪えかねて
 自らの踵を噛んだ
 
  灰色の陰は大鷲の老いを示す
  飛び石の向こうには、
  約束された緑の大地は無い
 
  私は言葉を切り揃えはしない。
  私は音を大事にする。
  私は木の葉擦れの間で息をしよう。

  人よ、人であれ。
  他人の水晶を覗いて、
  嘆くのは止めよ。


「SOUNDとこの部屋の仲間へ」より

********************************

第三連も最後の
「人よ、人であれ。
  他人の水晶を覗いて、
  嘆くのは止めよ。」の解読になった。

 「人よ、人であれ。」は神の霊を止(とど)める霊止(ヒト)として人の本性に基ずく生き方をせよ、と読むのが正しいだろうが具体的にどうするのかが問題だ。
「他人の水晶を覗いて、 嘆くのは止めよ。」
これは、占いに使用する水晶玉ともうひとつの水晶がつくことば「水晶体」ヒトの眼球のレンズの部分のこと。他人の占いの水晶玉を覗いて、そこに映るものを見て嘆いてもしかたない。それは他人の未来なのだから。水晶体の場合は、他人の眼の水晶体を覗いてばかりいてもそこに透けて見えるのは他人の心なのだ。他人がなにを思ったかに拘泥して嘆くのは止めて自己の水晶を見つめるとその奥に秘められた魂の輝きに気づく。人はそれぞれに与えられた命(運命、宿命、使命、など)が違い、それらの糸(意図)がもつれることなくひとつの目的のために進んでいる。それは小宇宙である人体の細胞の働きに似ている。全ての細胞は互いに助け合い互いの使命を果たし主人が生存することに貢献している。心臓の細胞が肺の細胞を羨んだりいばったり批判してもしかたがない。それぞれがかけがえのないすばらしい命を生きているのだから。
fumio





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   ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った

 夢魔は去った
 だが夢も去った

 鎖で繋がれた巨人は
 大地の重みに堪えかねて
 自らの踵を噛んだ
 
  灰色の陰は大鷲の老いを示す
  飛び石の向こうには、
  約束された緑の大地は無い
 
  私は言葉を切り揃えはしない。
  私は音を大事にする。
  私は木の葉擦れの間で息をしよう。

  人よ、人であれ。
  他人の水晶を覗いて、
  嘆くのは止めよ。


「SOUNDとこの部屋の仲間へ」より

********************


  「私は木の葉擦れの間で息をしよう。」の「木の葉擦れの間」はこの「波須礼(外れ)」の門の中の日なのだが「間」の本字の「門」の中身は月なのである。つまり「日月」が門の中にある。「息」は宇宙神霊は意識体なので呼吸することはないので「自らの心」。つまり、イザナミ、スサノオ、ニギハヤヒ、日と月とはともに宇宙神霊の自らの心として門の中に存在しているのである。
fumio





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昨日、ヒントとして載せたニギハヤヒを祭り十種神宝が隠されたといわれる玉置神社 の神札の図でははっきりしない日と月の間の部分を描いて上に載せておく。
玉置社の神楽歌の詞は
  「熊野成る 玉置宮の 弓神楽 弦音須礼波 悪魔退久 」なのだが神札では大和(矢的)成る になっているわけである。
そうなのだ。「木の葉擦れ」は「この波須礼」であったのだ。波はイザナミ、須はスサノオ、そして礼は本字の「禮」に戻せば示篇に豊で「豊の国霊」ニギハヤヒということになるのであった。
fumio


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   ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った

 夢魔は去った
 だが夢も去った

 鎖で繋がれた巨人は
 大地の重みに堪えかねて
 自らの踵を噛んだ
 
  灰色の陰は大鷲の老いを示す
  飛び石の向こうには、
  約束された緑の大地は無い
 
  私は言葉を切り揃えはしない。
  私は音を大事にする。
  私は木の葉擦れの間で息をしよう。

  人よ、人であれ。
  他人の水晶を覗いて、
  嘆くのは止めよ。


「SOUNDとこの部屋の仲間へ」より

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「私は言葉を切り揃えはしない。」は、以前、体裁を整えるために言葉を切ったり揃えたりしないと普通にとっていたのだが今回見直しを迫られて見直すと「言葉」は数霊の「九十八」であった。九はニギハヤヒ、十はイザナミの7+3で八はスサノオ。「私は音を大事にする。」の「音」はたびたび述べてきたように精神を示す縦の日で隠されてきた本当の日。
  そして「私は木の葉擦れの間で息をしよう。」の「木の葉擦れの間」は「この外れの間」と解いて「葉擦れ」に隠されているのが「外れ」と出題意図を見破ったと思って喜んでいた。しかしそれはひっかけだった。そんなに甘くはなかったからふたたび見直させることにしたようなのである。それでは答えは何か…。
fumio





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 ***

 月の娘は、皿を割った
 木星王は嘆いた
 赤い目をした大地の子供は笑った

 夢魔は去った
 だが夢も去った

 鎖で繋がれた巨人は
 大地の重みに堪えかねて
 自らの踵を噛んだ
 
  灰色の陰は大鷲の老いを示す
  飛び石の向こうには、
  約束された緑の大地は無い
 
  私は言葉を切り揃えはしない。
  私は音を大事にする。
  私は木の葉擦れの間で息をしよう。

  人よ、人であれ。
  他人の水晶を覗いて、
  嘆くのは止めよ。

「SOUNDとこの部屋の仲間へ」より

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  「灰色の陰は大鷲の老いを示す
  飛び石の向こうには、
  約束された緑の大地は無い」

この「大鷲」の示唆するのは米国。アメリカ軍の基地の放送FEN(極東ファーイーストネットワーク)の名前がイーグル810で、アメリカの郵便局のマークがワシの羽であり。アンクル・サムという星条旗の服を着たアメリカ国民の象徴的老人が勧誘する兵隊募集のポスターの絵柄が鷲であることなどから鷲はアメリカの国力軍事力の象徴なのだろう。そのアメリカの力も灰色の陰が老いを示しているという。それはイラク戦争後の政策の失敗や自動車産業の低迷、サブプライムローン問題その他に顕著になってきた。

「飛び石の向こうには、
 約束された緑の大地は無い」

 米国イリノイ州シカゴからカリフォルニア州ロサンジェルスへとつながる国道ルート66を2000マイル以上ひたすら走るとサンタモニカ海岸に出る。思考実験としてそこから巨人になって見渡せばこの国日本の太平洋岸が臨めるのだ。そのまま太平洋の飛び石のような島を跳んでゆけば日本に着く。日本側から見て太平洋には飛び石とみえる島が多いが その向こうにあるアメリカ大陸には「約束された緑の大地は無い」という。アメリカはわたしたちに約束された緑の大地ではないというのである。この地、日本(ひのもと)そのものが「約束された緑の大地」なのだから。
fumio



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