一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
黄泉の壺を手にすることなかれ
英知は黄泉にも等しく与えられ
神の御業に等しく映り その対を
成す様に 定められたからである
一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
影が呼んでいると 常に
心に止めおく様に
天秤の左右 どちらかが重くなった時に
真に求めている者の名を
知るということを覚えておく様に
「光の黙示録」より
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到黄泉比良(此二字以音)坂之坂本時、取在其坂本桃子三箇待撃者、悉迯返也。
爾伊邪那岐命、告其桃子、「汝如助吾、於葦原中國所有、
宇都志伎(此四字以音)青人草之、落苦瀬而患惚時、可助告」、
賜名號意富加牟豆美命(自意至美以音)。
黄泉比良坂の坂本には桃があるという。それはやはり「百」の暗号で白の世界(現世)の上に一で蓋をしている図。追いかけてきた黄泉醜女もそこからは進めないので逃げ帰る。そこでイザナギは「汝如助吾、於葦原中國所有、 宇都志伎(此四字以音)青人草之、落苦瀬而患惚時、可助告」と言う。青人草を修飾する宇都志伎が現世(うつしよ)の写し(移し、映し、遷し)を示唆している。なにの映しかといえばそれが黄泉なのである。「百」の上の一が鏡になっていて鏡が結ぶ像は狂ってはいけない。
fumio
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