monologue
夜明けに向けて
 

事戸  



一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ
    英知は黄泉にも等しく与えられ
    神の御業に等しく映り その対を
    成す様に 定められたからである

一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に

「光の黙示録」より

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「日月神示」荒の巻 第01帖 は
「言答開き成り成るぞ(イワトビラきナりナるぞ)」で始まり、途中、
「山(屋間)の文読み(ヤマのフミヨみ)、皆喜び(ミナヨロコび)、」とある。
このように「日月神示」では岩戸を「言答」としている。これは「ことど」とも読めるのではないか。
そこで古事記「黄泉國の条」を再掲すると、

爾千引石引塞其黄泉比良坂、其石置中、各對立而、度事戸之時、
伊邪那美命言、「愛我那勢命、爲如此者、汝國之人草、一日絞-殺千頭」。
爾伊邪那岐命詔、「愛我那迩妹命、汝爲然者、吾一日立千五百産屋」。
是以一日必千人死、一日必千五百人生也。


この中の「度事戸之時」の解釈は一般的には「コトドを渡す時で離縁の宣言をする時という意味である。
このコトドが「言答」で問答の意味だけでなく岩戸のことでもあるなら…。
其黄泉比良坂を引塞ぐ千引石とは実はコトドそのもであったのだ。「其石置中」も石を言(イワ)と読みコトとすれば九十(コト)が戸となっていたことがわかる。この戸を開くことを言答開き成るというのであった。
fumio




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