monologue
夜明けに向けて
 

修業  



予言の民ホピ族によればわたしはTrue white brotherとして日の昇る国で修行して地球救済に任ることになっていた。わたしは以前は宗教の形で地球救済に携わったが、あまりうまくゆかなかった。それで、今回は渡米してアーティストとしてハリウッドでロックミュージシャン生活をしてレコード制作や映画関係に関わったりしていた。
日の昇る国での修行はなまやさしいものではなく厳しく過酷だった。
まず原宿竹下通りのホワイトエレガンスプロでオーデションに受かって声優として所属していると派生的にできた劇団での核反対の舞台稽古で
1988年9月14日午後9時過ぎ、反原子力関係の劇の舞台稽古中、窓からJRを臨む渋谷の稽古場で、原発ジプシーと呼ばれる役の若者たちが原子力博士役のわたしを何度も胴上げから放り投げた。
わたしは柔道の前方回転の要領で立ち上がり続けたのだが、それではなにか物足りなさを感じていたらしい舞台監督の演出家が、フィナーレの構想を練って、
わたしの身体が一番高く上がった時に電灯を消せば観客の目にその場面が焼き付いてフィナーレとしてふさわしいのではないかと思って試させたのである。
演出家が「電気を消せ」と指示した途端わたしの視界は真っ暗になって、わたしは自分の身体の位置がわからなくなって額から落ちて頸椎を損傷したのだった。

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カリフォルニアサンシャインagainその54
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《至高の国アトランティスの生残者(いわゆるマスター達)、子孫達に伝える。宇宙磁気線としての第三ショック・ウエーブの台頭があり(時期は1988年)その後にジャイアント・ロック(北米インディアン・ホピ族の言い伝え通り)は四分化されるだろう。 ☆の形としての本来の力が作動を始めるので霊的な指導者達、つまり黄金のどくろを持つ者達は眉間より発する至高の波動(紫波)を送りなさい》
チチカカ、ハオアイ-メヒコ、イナワシロ、トウキョウ
ツルガミネ、アソ、ロスアンジェルス、サンホセ
アリゾナ-マグア、キスコウ、シャンガイ、ルツ

 時を告げる鳥は放たれた、そしてその使命を全うする。

 4分化された「巨岩」は、その4分化されたことの意味を知り、
 砂州に広がる忘却の都市に、その意味を刻印するだろう。

---ARION,O∴O---
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予言の民ホピインデイアンは石板(テイポニ)に第一次世界大戦と第二次世界大戦を小さく書き、そこから少し離れた左下に第三次世界大戦を大きく丸く描いて、それでアメリカ合衆国が絶滅するという。
「時を告げる鳥」そして「ジャイアントロック」であるわたしはその予言を実現をさせないために地球救済委員会、アリオンの別動隊として1986年に「ひのもと」の国へ向い芸能関係の仕事を始めた。そして2年後ホピ族の予言通り宇宙磁気線としての第三ショック・ウエーブの台頭があり1988年9月14日9時に原発反対の舞台の稽古中に頸椎損傷事故に遭ったのである。その時はわからなかったがそれが使命を果たすための大きいプロットになっていたのだった。
fumio

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カリフォルニアサンシャインagainその53
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その頃、わたしはアメリカでの夢をほとんど果たしていた。洋楽が好きでどうせステージでスタンダードやグループサウンズ、ソウルミュージックなどを英語で歌うのだったら本場アメリカで英語の歌を歌って暮らしたいという夢を抱いて渡米したのだ。
クラブでのエンターテイナーの仕事やバンドでの大学その他の宗教施設でのライブなど。ゴングショーという人気テレビにもオーデションに通って出演したし、そしてレコード制作など、ミュージシャンとしてやることはやったが
しかしながらなにかが足りない。そのままアメリカで生涯を過ごしてはいけなかった。わたしは日の本へ戻ることになっていたのだ。
fumio

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